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自己紹介その②ー組織設計事務所時代ーつらい、苦しい、それでも建築が好き

元々、私は「空間」を対象にデザインすることに興味がありました。空間と戦うためには、デザインをする上での考え方を拡げていくと同時に、実体として大きなモノを創る実務的な側面も欠かせないと考えていました。

正直、組織設計事務所時代は実務をこなすことで精一杯で、立ち止まって考え事をする余裕は一切ありませんでした。つらい、苦しい、でも、それでもやはり建築が好きだ!
タイトルにあるように自己紹介となるか微妙なのですが、組織設計事務所時代の奮闘を回顧、そして次のインテリアデザイナーとしての道までを下のようにまとめています。


1. そして組織設計事務所へ

組織設計事務所を選んだ理由はいくつかあります。

一つは、設備や構造設計の専門家と密に連携が取れる環境に魅力を感じたから。空間をデザインする際に、構造や設備といった技術的な側面は重要で、その知識をいかに身につけるかというときに、距離が近いとその分色々聞いたり学べることがあるのでは、という思いがありました。

もう一つの理由は「大は小を兼ねる」という考え方にありました。大規模な建物を設計することで、より複雑な要素を理解し、小規模な空間に取り組む際にも役立つだろうと考えたのです。(今では、大と小は世界がかなり異なる、という認識になりましたが、)

その他、グラフィックデザイン事務所時代には先輩も後輩もなく、1人で黙々とやることも多かった身なので、人がたくさんいるところで働いてみたい!という気持ちもありました。

こうして、私は組織設計事務所へと足を踏み入れ、意匠設計者として新たな挑戦をスタートさせました。

2. 入社から初めての仕事:設計者は全員スーパーマン!

入社して最初に任されたのは、すでに進行中のプロジェクトの基本設計や実施設計の「作図補助」の仕事でした。法規的な考え方、図面として描く壁厚と実際の内部構造など、先輩方に色々教わりながら少しずつ実務的な知識を学んでいきました。

実務を始めて感じたことは、設計者は全員スーパーマン!であることでした。

設計者はスーパーマン!

特に先輩の意匠設計者は、クライアントさんとの折衝も含め、構造、設備の他にもお役所、開発業者や施工業者、近隣住民、申請機関など、ありとあらゆる関係者の要望や意見を取りまとめ、一つの建物を成り立たせるために図面を書くだけでなくあらゆるタスクコントロール、コミュニケーション能力も求められます。また各専門家とコミュニケーションをとるためには、そのための様々な知識・知見を自分でもある程度持っておかなければなりません。

最初は横目で見ながら、その業務量の多さ、複雑さに身震いしていました。
その業務量の多さゆえ、一年を通して常に終電まで働き、建物を建てるために文字通り人生をかけている人たちを見て、スーパーマンだと思いました。(終電まで酷使して働くというのは減ってきていると思いますが。)
ある建物を見て、もっと他にやりようあるよななどと、文句を言っていた私ですが、この実務を経験すれば簡単に文句は言えません。建物に関わる全ての設計者を尊敬しています!

そんな荒波の中に片足ずつ浸かっていき、徐々に体を慣らしながら、建築設計の基本を身につけていきました。

3. 初めての担当プロジェクト:泥沼の公共建築設計

作図補助などをしながら1年ほど経ち、公共建築のプロジェクトの担当を任されることになります。この案件は、私もプロポーザル(設計競技)の提案書作りから企画立案に関わり、選ばれたプロジェクトでした。その提案書づくりには、前職のグラフィックデザインの経験がそのまま活きることになります。これが幸運にも採択されることになり、そのまま意匠設計者として初めて担当するプロジェクトになっていきました。

プロジェクトが動き始めると、基本計画からスタートし、基本設計、実施設計と進んで行きました。クライアントさんや各業者との調整まで、設計業務のほぼ全てを経験することになりました。

その道のりは辛く、苦しいものでした。

法規チェックや設備、構造設計者との調整、プロジェクトが進むにつれて課題は日に日に積み上がっていきます。スケジュールの遅延、コストの問題、設計変更など、建築プロジェクトでは避けられない課題ですが、特にこのプロジェクトでは日に日に状況が悪化していきました。納期ギリギリにも関わらず容赦なく要求される設計変更、各業者との調整が追いつかない状況が続きました。
さらにここで追い打ちをかけるように、開発業者の不在という大きな問題に直面することになります。

4. 全戦全敗:開発業者なき開発許可の戦い

開発業者はどこへ・・・

そもそも開発許可とは建物を建てる敷地の整備の仕様を役所の各担当課と協議し、許可を得ることです。道路の構造や隣地との境界沿いの擁壁や構造物の仕様、敷地に降った雨水の排水方法など、土地に関する様々な条件を示し、仕様を協議しないといけません。建物を建てるために必要な許可は確認申請ですが、その前に開発許可を受けなければ確認申請はできません
基本的に開発と建築は全くの別物で、それぞれの専門業者が業務にあたります。

この時の開発業者は、スケジュールや働き手の不足など様々な問題が絡み辞退してしまったのです(仕方がないですね)。ただ公共建築物であることで、建物の竣工のスケジュールをずらすことはできません。でも代わりの業者も見つからない。ならば意匠設計者がやらなければ、、そんなこんなで建物のことだけでも手一杯の私が、開発にも手を出すことになります。。。

役所の都市計画課に始まり、道路、公園緑地、警察、ゴミ処理、防犯・・・役所のあらゆる担当課に計画の説明と問題点の協議を重ねました。しかし道路や擁壁の構造などに加え、雨水排水も複雑な計算をして資料としてまとめなければいけません。右も左もわからない私は必要な資料を揃えられず、何度も出直しをしました。
日中に協議をして、夜になって事務所に戻り議事録などを取りまとめ、図面を描いたり資料を作ったり、「これいつまで続くんだろう」という日々が続きました。
当時は「無理しないでね、、」と優しい声をかけてくれる役所の担当者の方に救われていました。。

サンドバックのような日々を送りながら、事前協議を始めて半年ほどかかったのち、ようやく開発許可を受けることになります。

こうした想定外の問題に取り組む中で、全力でやれば大体の問題は解決できる、という自信につながっていきました。また設計者の職能が単に図面を描くだけではなく、あらゆる関係者との「折衝と調整」の連続であることを痛感しました。設計者は常にあらゆる関係者の仲介者でもあるということを理解できました。

そして燃え尽きた

ただこれをやり遂げた頃には、私のHPはほとんど残されていませんでした。
一級建築士の資格を取得したい私は勉強時間を確保したいという思いもあり転職を考え始めました。

5. 突然開かれたインテリアデザインへの道

そんな中、ある日突然大学の頃の友人から連絡がありました。
「一緒に仕事をしてみないか」ーー

彼はインテリアデザイン事務所で複数のプロジェクトを担当していました。
私は建築を学び、その知識をインテリアデザイン事務所の仕事で実践し、誘ってくれた彼と共に建築からインテリアまで、全てを設計し尽くせれば面白い!と思いました。

こうした経緯から、現所属のインテリアデザイン事務所に転職をすることになります。

次回、現職でもあるインテリアデザイン事務所のことについて、まとめていきたいと思います。これから建築の事やインテリアのことを中心に、身の回りのデザインのことについて情報をお伝えできればと思います。

ここまで見ていただきありがとうございます!
フォローやメッセージなど、反応をいただけたら私も嬉しいです。
これからもよろしくお願いします。

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