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留学②

先日、パリパラリンピックが閉幕した。

オリンピック期間と合わせて約1ヶ月半、「スポーツ」が人々を魅了した。


3年前の夏、私もあの場にいた。
アスリートとしてではないが、たしかに、
あの舞台にいた。


コロナ禍の東京で見た景色。
これが今の「スポーツ×留学」の原点だ。


東京2020オリンピック・パラリンピック。
56年ぶりの夏季大会の開催。64年大会以来の東京での開催。
開催に近づくにつれ、日本の話題は「東京2020」で持ちきりだった。


高校3年の夏、親友と共にボランティアに申し込んだ。
自国開催の「オリンピック」というこれまでにない機会、これまでにない経験ができる可能性に胸を膨らませた。
無事に2人とも審査を通過(面談?のようなものがあったがなぜ通ったのかわからないのが本音だ)し、晴れて東京2020オリンピック・パラリンピックの「FIELD CAST」となった。


新聞タワーやトラブルシューティングのグループワークなどの研修を重ね、配属先も決定し、日本は着実にオリンピックイヤーを盛り上げていた。


しかし、記憶に新しい2020年3月。
新型コロナウイルスによるパンデミックで1年の延期が決まった。


正直な話、私はもうボランティアをしないと思っていた。
当時関西に住んでいた私は、ボランティアユニフォームが受け取れる最寄りが静岡県に設定されているし、組織委員会側からの連絡は延期決定後ほったらかしで少し憤りを感じていた。
世論でも見通しの立たないコロナ禍での大会開催に疑問の声が増え、ハラスメントや賄賂などメガスポーツイベントの腐敗した背景を覗かせた。


だが、開催まで1ヶ月と迫った2021年6月。
「二度とない経験」を理由に、共に応募した友人と参加を決めた。
今LINEの返信を見返すと、Yと一緒に申し込んで良かったと感じる。

YとのLINE


そうして紆余曲折を経て参加した東京2020(+1)。
私にとんでもない景色を見せてくれた。


ジムでのぎっくり腰でボランティア初日に参加できなかったことはさておき、


オリンピック期間は「スポーツの力」を目の当たりにした。

ヘルニア用のサポーターを巻いて活動した7月25日。
阿部兄妹が金メダルを獲得し、武道館で「君が代」を流した。
自然に涙が流れた。
あの場にいた誰もがアスリートの姿に勇気づけられ、この大会の開催には意味があったと言うだろう。
あの時の感動、自分の心の底から湧いてきた日本人としての誇り、魂をこれから先も決して忘れることはない。

パラリンピックでは「スポーツの可能性」を感じた。

パラ期間は海の森水上競技場で活動し、パラローイングとパラカヌーに携わった。
会場では腰から下がないナイジェリアの選手がスケートボードに乗って移動していた。
片足のない選手が自分の身体を上手く使い艇を運んでいた。

自分のあたりまえがアップデートされた瞬間だった。
彼らは強く、優しかった。
持っていないものを嘆くのではなく、自分が持つものを最大限に駆使して世界の頂点を目指して競い合う。
自分の身体の限界を超えて挑戦をする。
そして、競技後は好敵手とお互いに称え合う。


真のスポーツマンたちだった。


この経験を経て、私の人生の軸が決まった。

「スポーツの普及」

より多くの人が、スポーツに関わり、スポーツに勇気づけられ、スポーツを通して成長できる。
そんな世界の実現に貢献する。



このタイミングでもう一つ大きな決断をした。



「大学卒業後は"スポーツの力"を大学院で研究する。」



現在の私に続く「スポーツ×留学」の始まりだった。

オリンピック中継に映り込んだ自分(写真左)

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