あてのない旅を想いと共に。
今回は内観やそれに伴う言語化という作業がいかに孤独で体力の必要な作業かということを自分なりにまとめたいと思います。
それなりに「自分」というものに向き合ってきた経験があるので、そこから得られたものを紹介しつつ、今まさに取り組んでいる方の参考になればいいなと思ってまとめていきます。
まず、内観とか言語化って個人的な作業なので、孤独に向き合うことが多くなります。
その中で見つけた自分なりの言葉は、その人独自のものであることが多く、人に伝わりにくいため、費やした時間に見合うような労いが他の作業と比べて少なくなりやすいのが特徴だと思っています。
基本的に見えない領域の作業になるので成果や変化というのが具体的にわかりにくく、また変化が細かかったり小さかったりするので取り組んでいる本人しか気づけないものであるなど、なかなか自分以外に見えにくいというのがあります。
そのくせやってる側は結構ハードで、よくわからないぼやっとしたものを50音の中から探しては組み合わせ、また組み替えてはやり直して、というように、自分が感じている想いをいかに言葉という器に当てはめるかを納得がいくまで延々と繰り返していきます。
とにかく地味。派手さも何もない。
それでいて個人的な作業なのでやれともやめろとも言われない。
特に言葉にすることが苦手だったり、あまり自分のことを話すのが得意ではない場合、必然的に取り組むハードルや費やす時間が多く、高くなりやすいため、途中で挫けてしまうことも多いのではと思います。
そもそも自分の内側にある形にならないふわっとしたものを意識的に言葉にするというのは大変体力の必要なことです。
自己紹介が苦手な方はこういう内観や言語化が苦手な印象があります。
僕もそうだったのですが良くも悪くも自分自身を表現することが苦手で、恥ずかしかったり、過去の傷がそうさせていたりと要因は様々あります。
特にコミュニケーションにおけるトラウマや嫌なことがあった場合は言語化する上でネックになることが多い印象があります。
というのも「自分が言ったところで否定されるとか」「どうせ自分の話なんて」とか、そういう体験が多いと、そもそも言葉にするという行動自体が傷つくことにつながる可能性があるので、極力意見を持たないようになりやすいです。
自分の意見を言うって結構大変で、ただ相手に伝えると言うだけの作業にならない事情がある人がたくさんいます。
あとは空気を読めたり察することが得意な人はわざわざ言葉にすることを避けるというかあえてやらないことも多いです。
僕がこのタイプでして、基本的に人の所作や雰囲気で何をどうしたいのかとか機嫌がいいのか悪いのかとかなんとなくわかるので、言葉よりも先に「行動」した方が早いというのがあります。
これは効率がいいように見えますがそんなことなくて、結局「場」が見えるのが自分だけなので、周囲に対して不要な期待を持ったり、自分のようにやってくれない人に不満を持つなど、勝手に動いて勝手に不満を持って疲れるというよくわからない状況に陥ります。
で、いざそれを伝えようにも言語化をしなかったというかある意味サボってきたのでどう伝えたら良いのかわからず、脳内のスピードと実際に口を動かして言葉を伝えるというスピードにギャップが生まれ、吃ったり、間が変な会話になるなど相手からすると「コミュ障なのかな」とあらぬ疑いをかけられることもあります(これ実話です)
僕はこんな自分が嫌だったし、とにかくむかついたのと、なんで自分はこうなのか知りたかったので、日記を書いたり、メモを取ったりなどとにかく「言語化」する習慣を持つようにしました。
コーチングを受けたり、メンタル的なセッションも受ける中で色々やってきまして、そこには過去の傷だったり、自分の中にある恐怖など、ただ言語化が苦手なだけじゃなくて人生レベルで癒やさないといけないことがあるのだと知りました。
僕の場合は「自分が話したいとか、面白いなと思う話題が自分以外の人にとっては全く面白い話題じゃなくて、話ができる相手が全くいなかった」と言うのが結構大きかったです。
自分が好きなことを話しても全く興味を持たれないと言うのは割とキツイもので、一体どんな話をすれば人は興味を持ってくれるのか、なんてことも考えてました。
でもダメなんですよね笑
それやってる自分が全く楽しくないので、とにかく相槌の上手いロボみたいな時期が結構長かったです。
だからこそ、必要に迫られて苦手な言語化に取り組んでいる人を見ると、「本当に凄いことをしているんだよ」と言うのを声を大にして伝えたいです。
知恵の輪みたいに実際に物質があって、それをガチャガチャやるのとワケが違います。
自分の感覚を味わいつつ、適切な表現は何かとパズルみたいに当て嵌めながら探していく。
頼りになるのは感覚だけで、それは雲を掴むようなものなんじゃないかって思います。
なかなか褒められるようなものではないと言いましたが、これをちゃんとやってる人がそもそもいないから褒める褒めないの領域になってないと言うのが正直なところです。
時間がかかるかもしれません。
途中投げ出したくなるかもしれません。
僕はそれでいいと思います。
だって納得のいく表現を見つけるのは自分でやるしかないから。
とにかく焦らずいきましょう。
そのうち面白いようにハマる時がやってきます。
僕がそうだったから間違いないです。
それでも僕は今でも思い悩みます。
でも続けてるのは、わかんないのが気持ち悪いからやめられないだけです笑
それは誰にでもできることじゃないです。とても凄いことをやってます。
本当です。本当に凄いんです。
僕は死ぬまで辞めるつもりはないので安心してください。
ここでnote書いたり、Xで呟いたりしながら少し先を歩き続けます。
ここで綴った言葉が何かしらのヒントやきっかけになれればいいなってちょっとだけ願いを込めて、僕はこれからも言葉を紡ぎ続けます。