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強く深く、そして優しく。どこまでも自由に。

     様
初めましてこんばんは。竹内晶貴(タケウチ マサキ)と申します。

この度施術を実施させていただくにあたり、話の流れで  様の話題が出ました。 「余計なことを・・」と思われたかもしれませんが、僕の方から気になってお伺いしたという感じです。

僕自身19歳から21歳頃まで引きこもっていて、2度ほど自殺未遂をしています。
家族や社会に限らずこの世界に居場所がないと決めつけ、その怒りの形もぶつけ先もないまま当時は生きていました。

今年30歳になりますがこの世界を一言で言えば「碌でもないゴミのような世界」だと思います笑
これはマジです、今でもそう思います。

それでもこうして生きているのは「運」もありますが
とにかく「負けたくなかった」というのが大きいです。

だっておかしいでしょ笑
考えすぎっていうけどそっちがもっと考えろって話だし、そんなレベルの話はこっちはとっくに解決してる。

それでも、自分が変わってる自覚があるから、どうにかこうにかして歩み寄ろうとしてきた。

だってそうじゃないと生きていけないと思ったから。
それを知ろうともせず、理解しようともせず、ただ形だけの「言葉」を受け取って相手の主観で勝手に決めつけてくる。

そんなことを繰り返されたら心なんて開けないし、こっちが勇気を出して踏み出した一歩を向こうの無知ゆえに踏み躙られたらそりゃあ嫌にもなる。

きっとご自身なりに一生懸命やってもらったんだと思います。
それでも理解されなかったんだと思います。

理解されなかったのは「あなた」という人の「見方」がわからないからなんです。
何を感じてどう考えて、何が好きなのかというのを周囲の人は「わからない」んです。
突然海外から転校生が来て英語で話しかけられてるみたいな感じでしょうか。

同じ日本語だからと言って「意図」や「意味」が通じるかどうかは別です、たとえそれが家族であっても。

でも悪気がないことがほとんどです。
許す許さないの問題じゃなく、ただの事実なんですね。
怒りや悲しみやもどかしさの要因の多くは「わからない」ことに端を発しています。
人が何を感じてどう思っているのか、  さん自身の感覚と社会がどのくらい隔たりがあるのかを知ることがポイントだったりします。

ごめんね。
俺たち大人がもう少し「心」というものについて丁寧に理解しようとできてたらこうしてもどかしい日々を過ごさせてしまうこともなかったかもしれない。

でも現実は今感じてもらっているものが全てです。
これを読んでもらって何を感じてもらっているかわからないけど、  さんの話を聞いて「とても強い」と思いました。

なかなか向き合えないこともあると思うし、わかってるけどどうしたらいいかわかんないこともあると思う。
「なんだかわかんないけど嫌というのはわかる」僕は当時はそう思ってました。

その抱えてる想いとか傷はすぐには癒えないかもしれない。
でも「なんとかしたい」と思ってるのかなとなんとなく感じます。

自分らしく生きるなんていうのは精神論ではなく結構理論的です。
・自分の得意は何かを見つける
(自分にとって当たり前だけど他者から見れば違うもの)
・その得意を日々の生活の中でどう入れていくか試行錯誤する
(休日にするのか仕事にするのか)
・世間と自分の「ギャップ」を知って立ち位置を確保する
(自分にとっての常識と世間にとっての常識を比較する)

大体こんな感じで「抱えてる想い」にたどり着くために色々なことを「日々」を通して言語化していく作業が大事だったりします。

きっと「想い」はあるんだと思います。
漠然と「目標」というか「こんな感じがいいよね」っていうやつがあるのかもしれません。

人間の願いや想いは叶うようになっています。
思い描けたものは他人にとっては魅力的に映らない場合がほとんどで、自分だからこそやりたいと思えたものだから。

とはいえ「夢や目標」がなくても別にいいです。
自分が自分であるために他者から評価される理由も他人が勝手につける価値もいらない。

そんなものなくても最初から唯一無二なのがあなたという存在です。
勢いで熱く語ってしまいましたがなんというかそんな感じです。
長文でごめんね、気が向いたら見るくらいで大丈夫です。

あなたはきっと大丈夫。 もしかしたらもう答えを持ってるかもしれない。

自分を大事にしてくれてどうもありがとう。
めちゃめちゃすごいと思います。 それでは。


竹内晶貴


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