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文章で伝えるのは難しい

文章で、感情の部分を伝えるのは非常に難しい。
家の売買が、成立したというものの、引き続き、買主からは、不具合の対処について、仲介の不動産会社経由で連絡が来る。そのメールの内容が、ともかくも、一刻も早く何とかしてほしい、と急き立てているようなものなのだ。早速、予定を調整して、9月29日の昼に買主宅(元は自分の家だが)に行くことにした。
とても、行くのが気が重い。恐る恐る、チャイムを押す。ところが何のその、ドアを開けた買主のご主人が笑顔で、「わざわざ、休みの日に遠くからありがとうございます。」と迎えてくれるではないか。その後も、修理をしてほしい場所を説明してもらって、「ここは業者に連絡して、場合によっては、修理になったら、請求書は私の住所に送ってもらうようにします。」「別に急ぎませんので、お時間がある時に連絡してくださいね。」といった感じで、終始フレンドリーな感じで会話は進んでいった。
直接の方が対応も早くなるし、直接やり取りしませんか、ということでLINEを交換した。不動産会社を通すと会話が曲解して伝わるから、ということは言わなかったが。
今思うと、その不動産会社の営業担当は、良くも悪くも淡々としていて、事務的に対応する人だった。「文は人なり」それがすべてではないけれども、だいたい、文章でその人の性格が出てきたりする。おそらく、買主も、「早くめんどくさいことは売主にお願いしてしまいたい」というのは、事実だろう。それが、営業担当のフィルターを通すと、そこの部分だけ強調されて、非常に事務的なものになってしまう。文章だけだと、非常に冷たいように見えた。
一方の僕はというと、「会ってみたら、とてもフレンドリーで良い人だった。もっと怖い人だと思った。」と良く言われてしまう。どういうことかと言うと、割と自分の負の感情を表に出してしまいがちなところがある。別に、そういうことばかり書いているわけではないんだけど、たまたま見ていた人からすると、「この人、怖いんかな」って思ってしまう。本当は、そこまで自分が負の感情があったわけではなくても、いざ文章にすると、相手にはきつく感じることはあるだろう。
同じ、「くそったれ」でも、文章にすると、近寄りがたい感じがするけど、会話の中で、誰かの会話に突っ込む感じで笑いながら、「くそったれだよ」と言うのではニュアンスが違ってくる。
文はある意味では、その人の性格の特徴を表しているけど、一方では、誤解して伝わってしまうこともたくさんある。だから、今は、負の感情は伝えずに、ハッピーな部分を多く伝えていきたいな、って思っている。
会話している時と同じように、うまくその人の特徴が分かるような文章を書きたいけど、それが一番難しいね。

#コミュニケーション #会話 #不動産 #文は人なり

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