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「音を視る 時を聴く 坂本龍一」展 を観に行く

 坂本龍一に初めて触れた最初の思い出は、小学生の時に母親に連れて行ってもらった、映画「ラスト・エンペラー」。当時は、映画の内容もうろ覚え程度で、それほど強い印象を受けたものではなかったけど、壮大な音楽に圧倒された。もともと坂本龍一は、キャストとしてのみの出演だったにもかかわらず、撮影が終了してから半年後に、ベルトリッチ監督から、音楽についてのオファーを受けたとのこと。なんという無茶ぶり。でも、結果として、その後、坂本龍一は、映画音楽としての確固とした地位を築いたのは周知のとおり。
 また、中学校の時に同級生で、父親がスタジオを経営している友人がいて、かなりの音楽オタクがいた。中学の時から、クラプトン、ストーンズ、ビートルズなど、多くの友人がB'zなどの邦楽の流行を追っている中で、異質だった。その彼の勧めで、YMOを聴いた。YMOが活躍した時代はまったく知らなかったものの、時代を先取りした革新性に非常に感銘を受けた。
 特別ファンというわけではないので、なかなか専門的なことは書けない。ただ、彼の残してきた作品については、その後も関心を持って追ってきた。
 彼には、とてもではないけど、一度の人生では表すことのできないような、多様な側面があった。ルーツであるクラシック音楽(その中でも、ドビュッシーとバッハが特にお気に入り)、YMOなどのテクノミュージック、映画音楽家、思想家(かなりの読書家だった)、コンテンポラリー・アートへの傾倒(韓国出身のビデオ・アートの第一人者、ナム・ジュン・パイクをリスペクトしていた)などなど。
 ブルータスで、「わたしが知らない坂本龍一」という特集が組まれるくらいだ。
 

 ライフワークが多岐にわたっていて、彼と接した人であっても、全貌をつかむことは難しいのだろう。まさに、このような人を天才と呼ぶ。音楽家という枠を超えて、音を紡ぐ思想家といった呼び方がしっくりくる。

 前置きが長くなってしまったが、このたび、東京都現代美術館で「音を視る 時を聴く 坂本龍一」を観覧してきた。この展覧会は、彼のアーティストの側面に焦点を当てたもの。
 生前、彼は、音と時間について非常に関心を寄せていたとのことだが、未発表の新作と、過去に発表した作品からなるサウンド・インスタレーション作品を美術館の内外の空間に構成・展開している。
 到着時間は、2月11日(火・祝日)の11時過ぎ。案内を見たら、チケット購入まで30分、入場まで60分とある。

何と、入るまでに60分!

 チケットはすでにオンラインで購入してあったので、入場待ちの列に並ぶ。どのような人たちが来ているのかな、と思って見渡してみると、だいたい7割くらいが20代、30代と若い層が多かった。男女比では、女性のほうが若干多いように見えた。後期の作品が多いからか、来場者の年齢層が若いということか。 
 正直なところ、作品の内容は難解なところが多く、哲学的な命題も含まれているため、「半分くらい理解した」というのが正直な印象。「水」、「音」、「時間」、「自然」などの自然をテーマにしているということは、何となくは分かった。
 彼の蔵書の中で、雪の結晶を研究し、著名な随筆家としても知られる中谷由吉郎の著作を展示されていたように、彼が自然科学にも強い関心を抱いていたことが窺われる。
 この「何となく分かる」という感覚、それだけで十分だったりする。世の中は、あまりに分かりやすいものばかりが求められている。この世の中、そもそも、そんな単純な世界ではない。
「何となく分かる」というものは持ちつつも、「心地のよさ」というのは感じたし、頭で色々と考えるよりも、「感じる」ということが、アートを鑑賞する醍醐味なのではないかと思う。少なくとも、どの作品も、ずっとそこにいたいと思った。ただ、あまりに人が多すぎる!ですので、観るのは、絶対に平日がおすすめ。
 特に、8番目のインスタレーションがお気に入り。霧の発生する9つの水槽に映像が映し出される、映像と音による作品。それぞれの水槽が、様々に異なる表情を見せる。

映像と自然音のサンプリングが様々な表情を見せる
12番目(最後)。霧に包まれる感じが幻想的。

 このような展覧会に行くのは久しぶりだったが、本当に時間を忘れて、心地よい気持ちに浸れた。たまに、日々の喧騒を忘れて、このような美しい経験をすることが、人生には必要だ。

 最後に、坂本龍一が愛した言葉で締めようと思う。
 芸術は長く、人生は短し

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