データドリブンとデータカルチャー
なぜデータカルチャー・データドリブンが注目されているのでしょうか。
そもそもデータドリブンやデータドリブン経営、データカルチャーとはどういう意味なんでしょうか。
個人的な考えでは、データドリブンは一部の人(経営陣)だけでも実現可能な概念ですが、データカルチャーは組織大に適用するような概念で、例えば、データドリブンで経営層が作成した戦略に従って組織が動く、ということとは厳密には異なるように感じています。
最近はあまり聞かないですが、少し前は、データを活用することの意義を受け入れず、データを見なくても分かっていることばかりとか、データだけを見て判断すると間違ってしまうこともある、というような「反論」をよく耳にしました。
データに基づく、KKD(勘・経験・度胸)ではない意思決定(データドリブンデシジョンメイキング:DDDM)とは、客観的で合意形成がしやすい意思決定だと言えます。この合意形成(例えば、データを見なくても一部の人は分かっていたことでも、データを見ることによって多くの人が納得するということ)が、データドリブンの一つのポイントだと考えています。
データドリブンで経営層が作成した戦略に従って組織が動く場合はやらされ感がある可能性があり、その場合はデータカルチャーが醸成されているとは言えませんが、データドリブンで経営層が作成した戦略が現場までデータを見た上で納得された上で実行されるような組織はデータカルチャーが醸成されていると言えます。
「データだけを見て判断すると間違ってしまう」という反論の話をしましたが、それは一理あって、データを見ても、メリット・デメリットがあり、一概に結論を出しにくかったり、データで現れない部分もあるため、最終的な意思決定は主観的になってしまう、とも言えます。もっと言うと、同じようにデータを見て、判断をするだけでは、同業界の競合はほぼ同じ判断をすることになり、差別化ができないため、重要な意思決定は『戦略的に』データからは読み取れない範囲での判断をすることがビジネスのカギを握ることだってあると考えられます。(当然、何もデータを見ずに主観的に判断するのと、いろんなデータを見た上で最終的に主観的に判断するのとでは、大きく異なります。)
では、データカルチャーが醸成された組織はどういう利点があるでしょうか。
現場の個人個人がする意思決定とマネージャーがする意思決定が、KKDではなく客観的データに基づいてされると、同じ結論になる可能性が高くなるため、マネージャーに意思決定を任せなくてもいい機会が増え、組織としての意思決定スピードが上がります。そうすると、現場への権限委譲によるモチベーションの向上、経営者視点の思考(entreprenarship mind)の醸成や自分事での思考が期待できるなど人材育成の観点でも大きな効果が期待できます。
ここまで、データカルチャーを醸成することの大事さについて説明しました。
ここからは、どうやってデータカルチャーを醸成するかについて、私の考えをお話します。
データ分析やデータリテラシーの向上は正直、非常に難しいと感じています。ですが、その難しいことを組織として成し遂げると大きな差別化ポイントとなります。
こういったスキルは、素養・「センス」のある一部の人ができることであって、いわゆる「2:6:2」の「6」の人たちやイノベーター理論のマジョリティはなかなかできない・向上させるのは難しいものです。
では、ここをどう変えていくか。
リスキリングとかコミュニティなどが言われていますが、個人的にはやはり『上司がデータを使って話をする』ことが一番だと思います。それをすれば必然的に部下がデータを見るようになります。逆に、上司がデータを見ないと、データを見る力がある部下もデータを見なくなります。(データを見る機会がないので。)
そう考えると、管理職以上を戦略的にターゲットとして、データリテラシーの向上を目指した教育を行うことが重要だと考えます。極端な話で言うと、経営層の思考や行動がデータドリブンになって、そういう会話を直属の部下としていけば、それが連鎖していくと考えられます。こうしていろんな部署にいる管理職がデータを見て物事を考え、データを見て判断して部下に伝えるようになると、会社全体としてデータドリブンで意思決定をするようになり、データカルチャーが醸成された組織となれるのではないでしょうか。
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