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『制服のボタンとタンメン』 

 春といえば、思い出すのが卒業式。中でも中学校の卒業式では、制服のボタンが欲しいという女子達に囲まれてボタンの列が出来た。

 あの時は上から下まで全てのボタンを持っていかれた(受け取ってもらった)という、人生最大のモテ期を経験した。

 しかしそれまでも、それ以後も、ラブレターをもらったことも、屋上に呼び出されて告白されたこともない。その後、ボタンを希求した彼女たちからのアプローチもなく、それまで通りのモテない日常に戻った。モテるなーと有頂天になったのは、この中学生の卒業式のあの時だけだ。

 しかしこの「モテたい」という欲求は、なんともおこがましい考えなのではないか。モテさせてもらえるかどうかは相手次第であり、自ら相手に影響を及ぼすことができないという意味では、期待するのは無意味なことなのだ。そもそもその姿勢自体が間違っているとさえいえるだろう。

 と、頭でわかっているのだが、おっさんと言われる年齢になってもなお、心のどこかで「それ」を希求している。儚い夢を、わずかな望みを、どこかで期待しているのだよ。

 中学の頃は下校途中の「買い食い」が禁止されていた。まぁ、そのような校則は無視することもできたのだが、比較的真面目な部類の生徒だった私は、その校則を遵守していた。

 卒業式の後、友達と3人でいつもの坂道を下り、「大韓」という中華屋の前を通った。

 「なんだか腹が減ったな」と1人がつぶやくと、お互い顔を見合わせて、入っちゃおうか!となり、そのまま入店。丁度お昼時で混雑していたが、テレビの下のテーブル席が空いていた。

 少し背伸びをして、ささやかな自由を手に入れた高揚感とともに、ワクワクしながらメニューを覗き込んだ。

 私はタンメンを注文した。この店のタンメンは何度も食べたことがあったが、友人と制服のまま食べるタンメンは格別だった。

 これから3人は別々の高校に進学する。2人は私立に、私は都立成瀬高校へ。この3人はその後浪人して同じ予備校に通うことになるのだが、楽しくラーメンをすすっていたその時は知る由もなかった。

 一通り食べ終わり、たわいもない話しをしていた時に友人のひとりが、ぽつりとつぶやいた。

「俺のボタン、誰ももらってくれなかったなぁ。。。」

 その一言は、一瞬で楽しかった時間を気まずい沈黙に変えた。

 ボタンがなく前がはだけて、だらしない恰好になっていた私は、バツが悪かった。

 もう1人の友人が「俺も同じだよ。そんなこと気にすんなよ。」と慰めの言葉とも言えぬ、自虐的な言葉を投げ返した。

 ボタンがなく前がはだけて、だらしない恰好になっていた私は、さらにバツが悪くなった。

・・・・何も言えない・・・

 その後友人と何を話し、どのように別れて帰ったのかは記憶にない。ときどきあの時は何と返すのが正解だったのだろうかと思い返すことがある。

「そんなこと、気にすんなよ」といえば上から目線で反感を買っただろう。

「それは残念だったなぁ」といえば、友人関係にひびが入っただろう。

「俺がもらおうか」といえば、コップを投げつけられただろう。

これはボタンを巡る淡い青春の物語だ。

制服のボタンとタンメン。

その日はどちらもしょっぱい後味を残した。


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