『人生最後の一食』
もし死ぬ前になんでも好きな食事ができるとしたら、何が食べたいのだろうか。この問いについては、何度か考えたことがある。母のカレーも良し、父の田舎の郷土料理の「鯉こく」も懐かしい。
もし夏なら、学生の頃に良く通った町田駅前のホルモン屋「いくどん」もいい。真夏に七輪を囲み、額から滴り落ちる汗をTシャツで拭いながら、生ビールを片手にシロとハツ、ミノを網にドバっとのせて、焦げないように、せわしなく転がしながら焼く。ガツガツと食べ、ぐびぐびと飲む。
あの身体に悪そうなオレンジ色の酢味噌の味がたまらんのだ。もうすぐ死ぬのだから、健康に気をつかう必要もない。少し焦げたホルモンに、たっぷりと浸して食べる。塩辛く、のどが渇くので、ビールが進む。この延々に続くかのような塩辛さとビールの攻防の末、気づかぬうちに、あの世に逝ったというのも一興だ。
もし秋なら、サンマと日本酒で迎えたい。サンマは塩焼きで、大根おろしとすだちを添える。内臓をまず取り出して、骨から身をほぐし、この内臓と身と大根おろしを絡めて、すだちを絞り、しょうゆを垂らす。この下準備を丁寧に行う。新鮮なサンマを存分に味わうには、この食べ方が一番。
秋の訪れは、サンマから。初秋から晩秋へ向かう切なさを感じながら、最後にサンマの喉元にある三角のコリコリとした部位を取り出す。この部位こそが、まさにサンマの心臓だ。このサンマを弔いながら、「キリンビールの秋味」で、サンマの命を流し込み、意識が薄らぎ死んでいくのを想像してみると、これも悪くない。
もし冬なら鍋を囲みながら、ビールをたしなむ。その後は熱燗をちびちびとやりながら、「生と死」についての持論を語り尽くしたい。生きるとは何か、死とは何かを語りながら、死の実践へと向かっていくのも良いかもしれない。その時の鍋は、湯豆腐がいい。タラを多めに入れて、ミツカンの味ぽんで味わいたい。
もし春なら、やはり桜を見ながら死にたい。酒の肴は稚鮎と竹の子の天ぷら。最期の酒は「十四代」で盛大に行こう。ぽかぽかと暖かい陽だまりの下、桜の花を見上げていると、次第に吸い込まれ、やがて桜の花になり、桜の花として散ってゆく。
どうせ死ぬなら春がいい。日本国で生まれ、日本人として生き、日本の地で、日本の四季の風情を感じながら死にたい。やはり私は日本人だ。つくづくそう思うのです。
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