現代アート「My fair prisoners!?3」のジークムンド・フロイトさんの調書エッセイ※全文掲載
この方は、無意識を見出した方です。ユングさんとともに有名な心の専門家です。この方は、ジークムンド・フロイトさんです。
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My Fair Prisoners!?調書
囚人番号:20201113125830
名前:無意識
懲役:83年
服役する刑務所:モラヴィア フライベルク
音楽:Blues
映画:「ライムライト」チャップリン
本:医学書、精神医学書
罪: 色々な人を決め付けてしまったこと
喜:自分の本が出たとき。子供が産まれたこと。
怒:戦争、レイプ、重犯罪、銃犯罪
哀:理解し合えない人たちの傲慢さ
楽:自分の本が売れるとき。ウィスキーを飲みながら本を読む時。
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エッセイ「無意識」さん
「無意識」は、幼少期、穏やかな子供だった。近所の友達とよく遊び、木の玩具を創ったりしていた。
小学校では、成績は少し良かった。運動は苦手。普通の子供だった。これと言って特に目立つ子供ではなかった。先生からは好かれていた。
中学校では、科学に興味を抱き、真面目に授業を受けていた。成績は徐々に上がっていった。
高校では、急に成績が上がり、医学部に進む事を教師に進められ、「無意識」もその気で考えていた。
大学では医学部に入り、色々と実験の日々。それが性に合っていた。心に興味を持ち始めたのは大学卒業間近だった。あまりにも戦争の後遺症を抱える恕者(かんじゃ)が多く、その為、その恕者の治療が最優先だと感じ、その治療方法を模索し始めた。 なかなか上手く行かないし、恕者の状態がよくならず、煩悶とした時間が多かった。そこで、心の治療には何が出来るかを考えつつ、意識の上の、無意識に注目し始めた。賛同者をなかなか得られなかったが、徐々に賛同者も増えて行き、無意識の研究会を創った。
ユングとの出逢いが本当に大きかった。しかし、途中で仲違いしてしまい、一番の理解者を失って、孤独感に苛まれた晩年だった。
死後、今では一番の理解者とユングがなってくれて、二人でよく話すんだ、そう「無意識」は語ってくれた。(了)
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※この方も刑期を終えました。