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【読書録106】「森信三 運命をひらく365の金言」10月編
昨年末より「森信三 運命をひらく365の金言」(致知出版社)を毎朝読むことを日課にしている。今回は、10月の中で特に自分のなかで気に入ったものについて取り上げる。
10月1日 人間の真価
人間の真価が、本当に認められるのは、その人の死後に相違ないですが、しかもその真価は死後にあるのではなくて、実に生前の生活そのものにあることを忘れてはならぬのです。
結局一口に申せば、その人の一生が、いかほどの誠によって貫かれたか否かの問題でしょう。
いかに生きるのか?
結局それは、一日一日の積み重ねである。いかに誠実に真剣に生きたかである。
森先生は、それを綱渡りに例えて教えてくれる。
綱渡りで喝采を受けるのは、渡った後だが、それは、綱を渡る間の渡り方に寄るのだ。
その間の困難さ、またその困難をどう乗り切ったか、それが人間の真価だという。とてもわかりやすい例えだ。
10月2日 仏の彫刻、悪魔の彫刻
この日も、わかりやすい例えでそれでいて真に迫る内容だ。
自分というものは、すでにできあがったもののように考えがちですが、実はこの自己というものは、刻々に形成されつつあるものであります。
わたしたちの生活は、一日一日がそのまま自己形成
彫刻師ののみのひと彫りひと彫りが、その彫刻を刻み出していくように、わたくしたちはこの自分という一大彫刻を刻みつつあるともいえましょう。
そこに仏が刻み出されるか、はたまた悪魔が刻み出されるかは、ひとえに彫刻師としてのわたくしたちの心ひとつにあるわけであります。
いくつになっても自分を高めていく。一刻一刻が自分を形成していくと信じて。
10月5日 人生の妙味
人生というものは、予定通りにゆくことが、必ずしも最上とは限らないという書き出しから始まる。
人生の真の妙味は、いわゆる予定通りに進行することではなくて、自分の立てた予定の崩れゆく時、しかもそこにより深い人生の意義を発見する処に味わわれるのであります。
人生に対してこのような根本態度の確立している人にとっては、いかなる不幸も、決して単なる不幸に終わるわけではないわけです。なるほど一面からは、確かに不幸には違いありませんが、しかもそれを機として、より大いなる幸を得るのが、卓れた人々の人生態度であります。
偶然の出会いや直面した困難さに対峙した時にこそ真の幸せがある。
自分にとっての幸せはなにか。考えさせられた。
10月7日 真の謙遜
謙虚ということは、わが身を慎んで己れを正しく保つということが、その根本精神をなすのであります。
つまりいかなる相手に対しても、常に相手との正しい関係において、自己を取り失わぬということであります。
してみれば、人は真に謙虚ならんがためには、何よりもまず自己というものが確立している事が大切だと言えましょう。
自己の確立こそが、謙虚の第一歩。
真に自分があれば、誰が相手でも態度を変えない。大事な事である。
10月9日 自分を化石化する人
尊敬の念を持たないという人は、小さな貧弱な自分を、現状のままに化石化する人間です。したがってわれわれ人間も敬の一念を起こすに至って、初めてその生命は進展の一歩を踏み出すと言ってよいでしょう。
自分を磨き高めるには、「敬」するものを持つということが大切というのはその通りだと思う。
10月13日 批評的態度
人間は批評的態度にとどまっている間は、その人がまだ真に人生の苦労をしていないなによりの証拠だとも言えましょう。(中略)とにかく自分は懐手をしていながら、人の長短をとやかく言うているのは、まだその心に余裕があって、真の真剣さには至っていないと言ってよいでしょう。
これは、本当、自分自身の戒め、生き方にも関わってくる。行動することの大切さ、つべこべ言わずにまずは自分がそうだと思う方向に物事を動かせという事だ。
10月17日 真に強くなるには
柿の渋が転じて甘味になるように、人間もわが身の「業」を果たすことによって、しだいにそのあくが抜けていって、そこに人間としての味がでてくるのであります。
人間は自分の苦しみや悩みの原因を、自分以外の者に塗りつけようとしている間は、どうしても落ちつかないものです。
人間が真に強くなるには、一切を自業自得として受け容れる態度を確立することです。
これは人生を生きる上で、最も大事な点です。
真に強い人間になるには、何が必要かを教えてくれる。常に自責の視点で考えること。自分に何ができるかという視点。大事である。生き方の根本だ。
10月20日 進歩の三段階のプロセス
この日の前後は、読書を行う意味を改めて教えてくれる内容となっている。とりわけこの日の教えは、読書をすることの意義を考えさせられる。
せっかく深刻な人生経験をした人でも、もしその人が平生読書をしない人の場合には、その人生体験の意味を、十分に噛みしめることが出来ないわけです。
われわれ人間の読書の中心は、結局「自分」というものをつねに内省できる人間になるということでしょう。
読書、内観、そして実践という三段階は、われわれ人間が進歩し、深められてゆくプロセスといってもよいでしょう。
実践と振り返り、その手段としての読書。その三セットが人間を成長させる。
10月26日 人間としての大事な二か条
この日もすごく心に響く内容だ。
人間として大事なことを、ギリギリの処までしぼっていって最後まで残るものは何かという問答である。
(一)一たん決心した以上は、必ずやり抜く人間になるということ
(二)もう一つは、人に対して親切な人間になるということ
捨て去り捨て去り、残るのがこの2つか。凄いものだ。
10月27日 人間の幸福
直球のタイトル、森信三師は、箇条書きにしてこう言う。
(一)幸福とは、われわれ人間が為すべき事を為した時、いわば報償として与えられるものである
(二)幸福というものは自分から与えられるものではなくて与えられるものである
(三)幸福感の確実に与えられる途とは、感謝の念と、さらにそれに伴う奉仕行
(四)感謝の念とは、現在おかれている境遇が、自分の分に過ぎた忝いものであるという念い
「感謝の念」は常に持ちたい。
温かい家族に恵まれ、やりがいある仕事にも恵まれ、本当、忝いという思いだ。
あまりかっか怒らないこと。今あることへの感謝。
10月28日 表裏両面の調和
すべて物事には、裏と表があり、その調和が大切だという。呼吸も吸うと吐く、この調和がとれないと成り立たない。
人間の幸、不幸も必ずしも物の多少だけでは決まらない、として幸福になる重要な条件としてこう言う。
(一)もし幸福を希うなら、絶対に自分を他と比べてはいけない
(二)われわれ人間は、最終的には、結局自分の現状に対して感謝する気持ちになれたら、はじめて真の幸福に浸ることができましょう。
この幸福感はすごく好きだ。
他人と比べないこと。それが幸福になる一丁目一番地である。自分らしくあれ。
そして、感謝の気持ちだ。今の自分に自分を支えてくれる皆に感謝だ。