【読書録4】「クライシスマネジメントの本質~本質行動学による3・11大川小学校事故の研究~」を読んで
2019年7月15日、大川小学校を訪れる。当然、「大川小学校」のことは聞いたことがあったし、何が起こったかも、TVニュースの報道レベルでは知ってはいた。現地を訪れると「なぜ、裏山に逃げなかったのか?」という素朴な疑問が当然、私にも沸いてきた。
その疑問は、持ちながらもあれから2年。本書に出会うことで、この事故の「本質」にまでさかのぼって考える機会をもらえた。
また、この事故のみならず、タイトル通り、「クライシスマネジメント」の本質についても考えるきっかけとなった。
「本質行動学」とは?
「本質行動学」(Essential Management Science)。初めて聞く言葉である。
本質(=その事柄の最も重要なポイント)に沿って、望ましい状態をなんとか実現していくための実践の学とのこと。
その手法で、津波来襲時、学校管理下にあった76名の児童と11名の教職員、1名のスクールバス運転手の88名うち、児童4名と教職員1名の5名以外が亡くなった大川小学校事故に挑む。
本質行動学とは何か、読了後も私には明確に理解はできていないと思う。
しかしながら著者が、本書のなかで繰り返し説く、「科学の本質は、現象を上手く説明する構造を追求することにあり、うまく構造化できれば、予測可能性と制御可能性を備えたものとなり、今後に役立つ視点となる。」という点は、本書を読み大変よく理解できた。
エビデンスを積み重ねることによって、大川小学校で何が起きたのか、そしてなぜ起きたのかの全体像(構造)をパズルのピースをはめていくように浮かび上がらせる。
また積み重ねたエビデンス(=データ)を、検証可能性や再現可能性を担保し、異なる観点から構造化することを可能にするために、本書に丁寧に掲載している。エビデンスがあることで、構造化した概念が説得力を増すとともに、臨場感をもってこの事故をとらえることが可能になっている。
大川小学校事故はなぜ起きたのか?
本書では、この事故の経緯を追って、この事故がなぜ起きたのか?を解明するための本質的な問いを
「なぜ津波に対する避難行動をとるための意思決定ができず、津波が目前に迫るまで校庭にとどまり続けることになったのか?」とする。
そのうえで、事故が起こった要因を(一般的な)背景要因と大川小学校固有の要因に分けて以下の通り結論づける。
本書を読み、当事者たちがおかれた状況、構造からして、自分がもしその立場だったらどんな判断を行ったか?に思いをはせる。声の大きな人の反対を押し切り早期に避難できたか?正直、適切に対応できた自信はない。
そんな構造に陥らないように、本書では、再発防止策として、10の提言を行う。
いずれもエビデンスに基づき、科学的に構造化したものから導き出された重い提言である。なかでも聞きなれなかった【提言6】にある『方法の原理』が興味深い。
方法とは、「特定の状況で何らかの目的を達成するための手段」であり、目的が前提となるということ。従って、方法の有効性は、状況や目的によって臨機応変に決まる。
一言でいうと、「手段」(方法)と「目的」を混同するなということ。意識しないと忘れがちであり、非常に重要である。
大川小学校事故の「事後対応」マネジメント
事故の原因を構造化し提言を掲げたうえで、再度、そのような意思決定
の停滞を招いた心理的要因に焦点化し、構造化を行う。なぜなら、そこには、ご遺族を事故による「1次災害」から「2次災害」「3次災害」へと常毛てしまう要因が隠されているからである。
大川小学校の事故について、意思決定できない教頭、教務主任、強い影響力を持ってしまった6年担任など、個人の責めして終わりにしてしまいがちであるが、それで終わりにせず、「心理の概念化・構造化により人ではなく、事象にフォーカスして、なぜそうした事故が起きてしまったかを明らかしていく。」
心理的要因に焦点を当て構造化すると、次の2つに要約される。
このように構造化して、「事前の避難方針を決めておくことや避難訓練がいかに大切か」等、予測可能性や制御可能性を備えた再発防止策が見えてくる。
次に、「事後対応」のマネジメントを考える上で、 その組織的過失の土壌となった、普段の学校運営について「関心特定アプローチ」という、何に関心を持っているかからその真の関心事(裏の関心事)をあぶりだす。
大川小学校の校長の関心を関心特定アプローチであぶり出すと、
それらから浮かび上がってくる、『裏の理念』、真の関心事は、「何かあったらめんどうなので余計なことはしない」という事なかれ主義。
このように、事故時の心理の概念化や事故前の通常期の裏の理念を振り返り、事後対応のマネジメントの構造化を行う。
著者が、「2次災害」「3次災害」という、石巻市教育委員会の事後対応や大川小学校検証委員会のあり方である。
行方不明者の捜索をしている3/29時点で校長が「お友達少なくなったね」「笑顔で明るい学校を」などと呼びかけ、調査メモの廃棄し、メールの削除をし、教務主任からのファックスをなかったことにし、挙句の果てに説明会を強引に打ち切るなど、遺族の不信感は高まっていく。
それらは、教育委員会の「裏の関心」が、避難できなかったことを仕方がないことにしたい。(無難にことを収めたい。)亡くなった教員や教育委員会が責任を負わずに済むようにしたいという責任回避にあったことをエビデンスを基に構造化して示していく。
また検証委員会のあり方についても、依頼主である教育委員会の関心に沿う形での有識者により進められ、都合の悪い証言はなかったことにしていく。検証委員会事務局に対する、著者のパブリックコメントとして提出した論文も検証員会報告書の問題点を鋭く突く。
第三者委員会の意義、「公正・公平」とは何ぞやについて考えさせられる。
クライシスマネジメントの本質~組織、教育、社会の不条理に対抗するために
大川小学校の事故およびその事後対応を見て、反省するとは?=反省の本質とは何か考えさせられる。著者は、以下の通り、定義する。
また著者は、「意味の原理」として、過去の出来事の「意味」は未来が決定する。今から反省を活かしてどうしていくかによって、過去の出来事の意味が変わるとする。
そして、大川小学校事故の反省を活かすためのクライシスマネジメントの本質を以下通りとする。
そのような本質をどう貫けるか?そのためには、なぜ、今回の事後対応のような組織の不条理が起こるのか?にさかのぼって考えることが必要である。
組織で働くものとして、身につまされる話である。
重層的に構造化することで、大川小学校事故の本質に迫った著者に改めて感謝したい。