カット ウ
髪を切ると大概誰かに指摘される。
そのことが嫌ではないし、むしろ一切気付かれないっていうのも、そこはかとなく寂しい。
しかしそれは個人対個人の話である。
例えば部活で髪を切ったことを個人的に指摘されることは問題ないが、そのことを全体の場で話題としてあげられるとたまったもんじゃない。
一つ目に、僕が髪を切ったことは事実だけど、わざわざみんなの前でいわなくてもいいのではないかという、恥ずかしさ。
二つ目に、人の個人的な変化をみんなの前でいわないでくれという、もどかしさ。
話題にあげようとした本人はもちろん悪気がないことは分かる。でもなぜか心にもやっとコケのようなものがこびりつく感覚。
個人的には気付いてほしいと思っても、集団内ではそっとしておいてほしいという、言ってしまえば非常に自己中心的な考えをしてしまう。
誰も悪いわけではない。にも拘わらずこういうちょっとした気持ちの問題というのは意外と多いのではないか。
僕はそんな時とにかく相手の事を考えるようにしている。なぜこういった発言をしたのか、その真意は?と一呼吸おいて考えることで、このもどかしい気持ちの落としどころを見つけるようにしている。
「相手の立場になって考えましょう」と、学校ではよく言われる。
結構このことは簡単そうで簡単ではない。不満がたまった時、多くの場合、感情的な思考が入ってくる。この感情は非常に自己中心的なもので、名の通り自己を中心においてるから見える視界が非常に狭い。
感情を自己だけではなく、相手の心でも散発させる感覚。この感覚こそ大切であると思う。
こう書くと少し難しそうだが、簡単に言えば「相手の立場になって考えましょう」である。
と、いろんな啓発書とか論文だとか読んでると難しそうな言葉を並べたり、あたかもすごいワザのような書き方で惑わしてくることが多いが、結局大概小学校でいわれるような事であると思う。当たり前の事を当たり前のようにやること。それに尽きる。当たり前だと思っていることすら、小学生ですら知ってることでさえ出来てないのに、何を背伸びして悩んでいるんだ。もっと、当たり前ができるようになってから悩みたいものである。いちいち悩むな。自分にとっての当たり前をやれ。