堺雅人のめがね

僕は俳優の堺雅人さんにハマっている。

昨日も半沢直樹で視聴率22%の中に属したところだ。

知り合いに俳優をやっている人がいるわけではないので、どんな仕事なのか、断片的にしか分からない。でも「草彅剛のがんばった大賞」を見てると面白そうだなと簡単にあこがれを抱く。

そんな堺さんのエッセイ「文」を先日拝読した。非常に読みやすい文章の中にも堺さんの知的な雰囲気も感じられ、面白かった。文中では僕が何となく思っていたことと同じことを述べていた。(最後の方に書いてる台本がボロボロなる話)

その時「あれ、堺雅人と同じこと感じてるじゃん、自分もかけるんじゃね」

…とまあこんな何ともしょうもない理由でエッセイを書くことに至ったわけだ。

堺さんの作品を全部見たわけではないし、知り合いでもなんでもないけれど、僕はあの俳優が好きだ。あの落ち着いた雰囲気の中でも感じられる、ユニークな思考回路が魅力的である。

最近憧れが増してきたのか、普段かけてる黒縁眼鏡から細ぶち眼鏡に買い替えた。ちょっとでもあの知的な雰囲気を手に入れたかった。

ところがどっこい、手に入れたのは堺雅人の知的な雰囲気というよりは急に眼鏡が変わったことに対する違和感だけであった。

「これじゃあ買い替えた意味ないじゃん」と思いつつ、新たな雰囲気は確かにそこにあったわけで。

もし人に「眼鏡変えたね」と言われたときに、「眼鏡選びミスったわー」ととりあえず言うだろうけど、内心は「まあ、ちょっと違う雰囲気で似合うでしょ」と思うだろう。優しい人なら「似あうよ」と言ってくれるかもしれない。

そんなことを考えながら、今でも鏡をのぞいては違和感をなくそうと髪をいじったり、表情を作ったり、まるで俳優のようなことをしている。

これがいろんな役を演じる俳優の仕事なのだろうか。






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