見出し画像

noteを書くのに責任を問う時代が来た

なぜ、noteを書くのか。

目の前にPCがあるからだ^^

その背後に、noter仲間がいて、待ってくれているからだ^^

2024年、10月22日現在、政治も物価もおかしいです。

ぼくら、noterは、精神的にいろんな人の救いになる立場です。

新聞も参考にはなりますが、洗脳があるし、高校の時、社会の先生が、新聞について教えてくれ、

1面の小さな欄が、新聞の本音だからなと言っていました。

大半は、企業の提灯記事ですから、半分は嘘です。

noterは、読者にとって身近で真実な存在にならないといけません。

noterは、作家予備軍であり、自由に表現できますが、責任があるとぼくは感じます。

最近、他のnoterさんの記事が読めなくなりました。タイトルからして???

です。仕事してから書いている人もいますが、疲れた状態で書くのは、あまりいいことではありません。

感情の制御ということが、うまくできなくなると思うからです。

noteに書く前に、大学ノートに、感情の浄化をしたほうがいいです。感情を書きまくり、正気に戻すのです。

ぼくは、さぼった時期もありますが、足掛け25年、毎日、日記を書いてきました。

2006年には、あるアダルトチルドレンの掲示板に書き込みをしていました。まともな人もいましたが、過激な人もいて、

安定して運営された時期は長かったのですが、攻撃に遭い、破壊されてしまいました。ぼくはその前に、

投稿が、今のnoteのような文章になっていたので、”記事”と言われ、

出てけ。ブロガーでもやれと追い出されました。2007年に、新聞配達を辞めると、11月からブロガーになりました。

5年のブログ中毒を体験して、足掛け17年、ブロガー出身であり、noterです^^

同じような方もいると思いますが、自己主張の場ではありますが、行き過ぎの方もみえます。

自由に書いてはいいが、不快な思いを与えないのは、物書きの常識です。

ぼくは、作業所にファンがいて、スマフォnoteで、モードを切り替えて、PC版の記事を出して、障がいが重くて働けないが、

本が好きな方に、目を通してもらっています。依存ってわからないよと言われました。もっと簡単に、誰かによりかかりすぎるとしようと、

家に帰ってから思いました。誰でもそんな友人を持てないかもしれませんが、(看護師さんやカウンセラーさんにも見てもらっている。医療関係者は見てくれるかも)

物書きは、書いたら、誰かに読んで、批評される必要があると感じます。何のチェックの無い文章は、

人を傷つける可能性があります。

noteを書くのは何故か?

PCがあるからだではありません。

あなたの文章を読みたいし、まともな文章に飢えている読者様がいるからです。感謝すべきです。読んでいただけるのだから。

世の中、狂って来ています。基本を知る人が減っています。感情の制御が出来ない人が増えています。

私たちは、大丈夫でしょうか?自問して欲しいと願います。

#作家
#masa

いいなと思ったら応援しよう!