障がい者と言われたくない
障がいを持って24年。疑問だ。元気だと双極性障害と言われる。
話好きなのは昔からで、ぼくにとって当たり前のことだ。読書家なの
でけっこうものしりだ。パソコンのことが本業でやっていた過去があり、
最近、復帰したから勉強している。簡単な質問なら数秒で回答できる。
精神の障がい?
30年前はおかしな言動をしていたし、行動もおかしかった。妹が気づいて、Oクリニックと言う精神科を紹介してもらった。少しの間、通院したが、半分は宗教の悪影響なので、治らなかった。この辺りは障がいと言われてもいい。
24年前になって、本当におかしくなって、精神科デイケアがあるAクリニックに通った時は、K先生は「匙を投げる」言って、治療を諦めてしまった。
17年前に大きな精 神科病院であるK木メンタルホスピタルに入院し、自分がおかしかったのは薬のせいだと知る。薬が異常行動をひきおこしていた
んだ。ぼくは精神的におかしくない。双極性障害になる薬を飲まされていたんだ。つまり、うつから双極性障害になるよう誘導されていたんだ。
薬を飲むと病気になると・・・そこまでして金が欲しいのか。本当に酷い
時は薬はいるかもしれない。でも、変な薬で薬漬けにして病気まで作るのは
まちがいだ。そういう意味で2023年現在、双極性障害にされているだけで、もう治っており、精神障がいではなく、健常者だ。仕事も8時間こなせる。家事もきちんとやる。
障がい者のための制度は利用しているが、あくまでも流れであって、訪問看護は便利だから利用している。
自己訓練で障がいを乗り越える
数十年前は掃除もトイレ掃除もしないだらしない男性だった。食事は多少作れたが、コンビニの弁当に依存していた。母が来て掃除を一緒にやっていた。
一番最初に借りたアパートを引き払うときに、大家に怒られた。トイレ掃除を数年していなくて、汚かったからだ。病気でもトイレ掃除はしなきゃい
けないことを自分に刻み込んだ。トイレ掃除は心の健康と関係ある。やるとすっきりするし、元気になる。
食事を作ることも大事だ。ご飯くらい炊けた方がいい。後はスーパーでお惣菜を買ってくればいいのだから。
家事ができるようになると、自信が戻って来る。汚い部屋がきれいになる
喜び。いつでもお客を呼べると言うこと。
自己訓練で(ぼくは訪問看護の看護師さんに訓練してもらった。念のため)
だらしない人生からきっちりした人生へシフトして、奇麗な環境でnoteして
る。仕事がはかどる。うれしくて泣いている。シェアできる喜び。訓練は人生を変える。そうじは住む環境を変える行為だ。掃除機掛けすると気分がい
い。ほこりを取ると気分がいい。
人生を変えるために勉強する
障がい者として生きてきた。しかし、それから脱出することができる。回復者が書いた本を数冊読むことだ。ぼくはたびたび本田健さんの本を読むことを勧めている。
なぜかというと彼自身、うつ病の回復者であり、経理の仕事から作家に転身し、大成功した人だから。今は世界を飛び回り、公演をたくさんおこなっている。
わかることがある。うつ病の回復は可能であること。好きな道を歩めば、成功できること。お金はついてくるということ。本を出すことで多くの人が
人生を変えることができると言うこと。より大きな舞台に立てると言うこと。多くの人との交流が出来、たくさんの友人が出来、幸せの量がはんぱ
じゃないということ。
何をもって精神障がい?
確かに気違いみたいな人をデイケア時代に見てきた。ずっとしゃべれなかったり、急にさけんだり、暴れたり。ぼくはいずれにも該当しない。早起き
のおかげで体調がいい。さわやかだ。朝からnoteできる力がある。くすりいらないだろうけど、飲む。言って前より軽いのにしてもらったが。だから精神障がいじゃないんだ。カウンセリングを受けているけど、悩みをキチンと話せるし、
医師も連携して薬を軽くしてくてた。感謝。今までの中で一番状態がいいだろう。精神錯乱とか、犯罪じみたことするとか、自分のしていることがわからないとか、
そういう自己認識ができず、暴走している人が精神障がい者で、ぼくには該当しない。これだけの文章が書けるんだもん。健常者だよ。ただ医師たちの考えで精神障がいにひとくくりにされているだけなんだ。そろそろ通院も
作業所もやめて、本業に打ち込みたい。だが、友人がいなくなってしまうが。
日記を書いて自己観察しているが、体調はいい。悪い時もあるけど。
まとめ
人生の長い時間をかけて精神障がいになり、自己訓練や援助者の助けを借りて、回復してきました。建前上、精神障がい2級だけど、家で仕事が出来たり、作業所でもうまくやれたり、会話も問題ないので、自分的には障がいに該当しないと思ってます。
自己訓練と看護師さんの援助でかなりのところまで回復できます。生活保護をうまく使い、その中で起業テストランをし、データーを集めています。
もう、立派な自営業者です。脱精神障がい者。やればできる。
長文、読んで下さりありがとうございました。
よい1日を。
ぼくが障がい者?
いつだかわすれたが、病院のPSWに呼ばれた。一つの部屋に通された。
それから緑色の手帳を渡された。障害者手帳だった。意味不明だった。
病院サイドはぼくを障がい者と認定したのだ。3級で軽い等級だった。
ショックだった。PSWによると上からの決定で混乱があるとのことだった。
何を根拠に障がい者
何を根拠に障がい者と言わねばならないのだろう。ぼくはぱっと見、健常者と変わらず、おしゃべりなのだ。元気がいいと「重症」と言われる。近所のおじさんたちは「あなたはもう普通の人と変わらないよ。病院辞めたら」なんていわれてしまう。
生活保護を受けているが、その中で貯金して、PC一式買った。ネットも引いた。もう2007年からネットワーカーだ。HSPというBASIC言語でゲーム
を作れる(数年かかるが)。起業の練習をネットでしているし、かかりつけの医師とカウンセラーに相談しながら練習をしている。収益はまだ0だが、100円寄付してくれる人が現れた。感謝。
生活保護起業
もうだいぶ前だが、航空会社JALが国の援助を受けながら営業をしていた。それをある人が生活保護企業だと揶揄した。悪口ではあったが、そ
れにピンと来た。外で働いても収入の一部は役場に取られしまう。ロスも
多い。家で仕事した方がロスが少ない。好きなように働ける。起業の本もある。
ならやるべきだ。起業は2回目だが、1回目の時、数百円の収益があった。
反省点はあまりに知名度が低かったことだ。今回はネットで宣伝して、しつこくしようと思っている。今行っている精神科もそこら中に看板を置いている。宣伝の効果か客は多い。
生活保護起業して生活保護企業になっている。屋号は再成屋☆===;ふたたびなりあがるという意味だ。2回目だから。何もしないで寝てるより、
意義ある仕事をしている方が元気になる。準備はかなりかかった。たばこを止め、月1万円を貯 金し、20か月後、PC一式を購入、ネットにも入った。以前にもらっていたPCでネットワーカーだったから、仕事内容が変化したということだ。