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社長って、大変です
どうして、社長になる人がいるのだろう?そう考えたことがありませんか?ぼくの場合は、皆さんが知っているように、
起業家の息子で、長男坊です^^父のお客から、「お父さんの仕事を継ぐんだね^^」と、小さな時に言われました。
社長と言う言葉自体知らなかったので、父が自動車の修理をしていることは、遠くから見て何となくわかりましたが、
小2の頃ですし、勉強よりガキ大将としての立場で、近所の子供たちを束ね、秘密基地を作ることが第一でした^^
とにかく、動きっぱなしの父に、「遊んで欲しいのになあ」と思い、言いましたが、
「ごめんなあ。たくさん仕事があって、終わったらなあ」で、
仕事がある程度はけた時、家族でボーリングへ行ったとおぼろげながら思い出します。
父はボーリングがめちゃうまくて、東京中のボーリングセンターで優勝して、総なめにしたそうです。
ボーリング場に行くと、そこの偉い人が、父と話していて、その時のことを話していました。
とにかく、鉱山で鍛えた体力と体は半端ないので、スーパーマンでした^^
風邪を引いても、工場に行き、部下に指示をし、車をプラモみたいに分解し、部品を交換して、組み直す。
同じ車種の2台の車を、いいとこどりする形で組む。にこいちと言うらしいけど、(パソコンでもそれをやる知り合いがいた。凄すぎた)
仕事ができても、家族のことが・・・
ごく稀な家族のレクリエーション。1年に2回くらいかな。会社勤めの親を持つ子供なら、きっと、親子で遊べるだろうな。
近所の友達も、お父さんがタクシーの運転手で、「遊んでもらえないよ」と言ってました。喧嘩の相手でしたが^^
この自動車修理で、有頂天になり、儲ける父に対して、偏見を持つ人がいました。書きづらいけど、ヤクザ(そんな怖くなかった)
が、高級車を修理に何台も持ってきました。金払いも良かったと父は母に言っていました。ですが、闇の住人であり、悪いこともしています。
父は、騙され、1億2千万円の借金を押し付けられ、2年、頑張りますが、
不可能だと知り、ある夜に、家族で脱走しました。仙台の父の実家ではなく、反対方向の名古屋でした。
父に、「行く方向が逆だね?」と聞きました。父は泣きながら、借金を抱えたこと、名古屋でやり直し、借金をきちんと払うと言いました。
父と母は両方ともダブルワーク。父はある自動車修理の会社で下請けで仕事し、それが終わると、個人の自動車修理工の友人のところでアルバイトし、帰って来るのは、夜中の12時で、すぐ寝ました。
この時期は、ぼくは急な転校で、クラスでいろいろ聞かれ、答えられないので、だまっていて、クラスメイトはそれが気にくわないので、いじめてきました。夜逃げなんて誰が言えるかよ😢
リライトしてしまいましたが、社長がだらしないと、家族は大変です。
父に父を求められない。子供への気遣いはありましたが、
(母が高校のお弁当を作れない時があり、父が代わりに作る)
うーん、こんな社長様で父親は多いかもしれませんが、
その刺激で、たくましさを選ぶようになりました。
確かに模範的な父ではある意味言えません。でも、父も母も、借金を返すことに集中することで、家庭崩壊をギリギリ防いでいたと思います。
驚いたことに、父の兄も、おんなじことをして、夜逃げしてから、借金を完全に返済しました。
父と父の兄貴であるおじさんは、「兄弟そろって馬鹿だな^^」
この傾向は、ぼくにもあって、1回目の起業の時に借金で開業します。お客が2名。収益、1万円だけ。レイクに、毎月、10万借りる。
仕事が無い。営業の仕方もわからない。借りることができないまで借り、
「上限で、これ以上、お貸しすることはできません」とコンソールに表示が。死にたくなりました。
父の影響は強く、今になり振り返って、泣きながら(今は借金はあるが、銀行での借金であり、まだ安全なところだ)
「お前たちを十分に遊んであげれなくてごめんな。お父さんは勉強不足で、会社を興したんだよ。真似るなよ😢」
ぼくも1回目の起業で失敗した後だったので、タイミング悪いなと感じました。
父親が社長って影響が大きい。もし、結婚していて、子供がまだいないなら、ぼくの話を読み返してください。影響は妻、子供に及びますから。
自己破産し、生活保護を受け、真実を学ぶ
父の影響を強く受けた、1回目の起業は、7か月で崩壊し、いろんな人に救われ、師匠の梶原さんが、「自己破産し、生活保護に入るんだ」
ぼくは動けない。体が消耗していて、梶原さんが、役場に顔が利くので、滞納していた3か月分の家賃を生活保護で払い、
弁護士事務所と裁判所に行き、いろいろ言われたが、働く能力が0なので、(かなりやせた)「17万円が手数料です。毎月、1万円、振り込んでください」と、怖い弁護士から言われ、
怖かったが、楽になるなあと感じ、やっと、話せる状態になった^^
精神科で、デイケアにいたワーカーに正直に話し、「大変だったねえ。お疲れ様です。ここで休養していって。」
担当だったが優しかった。
このすべてを受け入れ直し、時間をかけて、起業の本を読み、盛り返した父に、「会社をしたい」と言って、笑いながら、「借金はするなよ^^俺みたいになるからさ」と、それだけ。
今は、父はパソコンの生徒で、お金が無いのにWIN11を買って、遊んでいるが、もう一人の先生に相談して、不調を直してもらった。
生活保護をもらえるなんて、なんてツイているんだろう^^今はそう感じます。好きなだけ文章を書いて、発信している。負の体験は参考になる。
ゲームも創る勉強をゆっくりやっている。3年で、目標、スマフォのアプリを。(ゲームです)
嫌なことがたくさんあったけど、皆整理したら、起業の道が見えた^^
自分語りでした。読んでくださりありがとう^^