ぼくがうつ病に勝った理由-2
K医師の診察を受けた。
ぼくは、馬鹿野郎日記をやったことを告げた。
K医師に目がにこりとする。
「父に対して怒りがありました。不満も3つくらい出ました。しかし、父のいい点も書けました」
K医師は、
「よくやったね。すごいよ。真面目なんだね」
「はい。葛藤しながらやりました」
「それはそうだろうと思いますよ。誰だって、父の悪口を書きたくない」
K医師は言う、
「父親は人格形成で、大きな影響を子供に与えるのだよ。良い影響と悪い影響の両方だよ」
「父親も不完全だ。父は神に見える。何も問題がないとのファンタジーを子供は作る。感情日記を書くまでは、真実は分からない」
「ぼくは宗教ばかりで、父のことなんか考えていないと思い込んでいました。でも、ちゃんと思っていたこと知って、ほっとしています。」
「人生の本質は、宗教に左右されないよ。その下に本質があるのだから」
こうして、K医師は、7年にわたって、ぼくの人生のメンターになった。その時はメンターと言う言葉は知らなかった。
精神科医。宗教であるエホバの証人は、世の知恵はエホバの知恵に負けると言っていた。しかし、宗教漬けで、歪んだ親子関係を持っている、エホバの証人の家庭は、父を権威者として見て、家族は、その指導に従うように言われていた。その一家の主の上に、
長老と言う一団の男性信者がいるのだ。絶対王政を崩すまいと必要以上に、信者を監視し、聖書を片手に、いや、持たないで、
神のように権威を振っていた。
馬鹿野郎日記を、エホバ神に対してやり、宗教信者に対してもやった。
心の奥底の中にだぎる怒りと憤り、理不尽な命令を書きだせた。
何が清い崇拝だ。ただのエホバと言う神をだしにした、絶対王政だったのだ。
自分の父の方が健全で、親らしく、愛に富んでいることに気づいた。父を見つめなおして、愛を感じた。宗教からの生還が始まった。
K医師の言う考えとは、自分がエホバの奴隷であると言う考えであり、崇拝とはかけ離れていた。
エホバの証人の組織は、精神科に行く信者を怒っていた。精神科の知恵を知ることで、悪の固まりであることがばれ、すでに一部の信者が辞めていたが、
ただでさえ、人気の無い、宗教の絶対王政は、少しの力で崩れそうだ。
この宗教は神より長老と言う人間が偉いと振る舞い、信者をものみの塔の裏教理で、裁いていた。(長老には一般信者を裁く、悪の教科書があった)
この様な、宗教の洗脳が解け、自分の考えが明確になり(時間は掛かった)、根本に、自分には価値が無いと言う、
アダルトチルドレンの基本的なパターンが見いだせたのだ。
(3に続く)