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自分を愛するということ
自分を皆さんは愛しているだろうか。ぼくは25年間、この課題に取り組んできた。宗教にまみれ、自己を愛することが悪だと教わっていたので、
自分を愛することは大変困難だった。仕事も宗教も人のためであり、自分のためにやることに罪悪感を抱いていた。
弟がアダルトチルドレンだった影響で、ぼく自身もそうであることを知り、苦しみから逃れたくて、心療内科に行く運命を選択した。
そこのデイケアでは明るく元気な人がたくさんいた。自分の話をよくしていて、自分は何がスキかしっかりあって、すごくうらやましかった。
自分で自分の世話をするんだよ、精神科医の主治医に優しく言われた。びっくりするようなことだった。ぼくは大抵、母や妹に世話を焼かれていたので、
大きな挑戦だと思った。しかし、一人暮らしをしていたので、買い食いではあったが、ご飯を自分に準備していることに気づいた。洗濯も外回りの関係で、ワイシャツを洗って、アイロンがけしていた。けっこうやっていたんだな。
それでいいとワーカーが言った。うつが酷くなってからの通院に父は協力的で、月10万の援助をしてくれ、自分のことに集中しやすくなった。
お金を使うことに罪悪感があったが、そう感じてもいいから楽しんでねとワーカーに言われ、かなりの混乱を感じながら自分の欲しいものを買ったりした。
怒りとか深い泣きたい気持ちとかたくさんでてきた。自分を失っていた。宗教以前の問題で、アダルトチルドレンがあって、その上に宗教的なコントロールがあった。そのため、宗教を辞める必要があった。
宗教を辞めて20年経つ。自分を愛することが容易になり、生活は生活保護で、好きな物書き(note)、うた、ゲーム制作、ネットサーフィンをしている。
カウンセリングの基礎を訓練してもらったので、作業所で聴いてと言う人のカウンセリングみたいなものを趣味でやっている。
怒りとかまだある。憎しみも自分に対してある。それでも自分自身のための人生を送る選択をこまめにしている。苦しい時もあるが、苦しみもいいものとして受け入れて、自己受容し、生きている。
自分を愛することは人によっては困難だ。だが、あきらめないで欲しい。まず、自分に食べたいものを買ってあげよう。すべてはそこから始まるのだから。
note作家
masa