「人の一生」からみるデザイン/イノベーションラボの生と死
これまで世界の各行政でデザイン組織やラボを設立する行政の流れをふまえて、前回はそのパイオニア的存在となるヘルシンキ・デザイン・ラボを紹介しました。近年の日本の行政においては、イノベーションラボやデザイン機関と銘打ってはいないものの、特許庁がデザイン経営を推進していたり、神戸市のクリエイティブ・ディレクターの採用は話題にもなりました。
今後、日本でも行政内にてラボが立ちあがることもあるでしょう。今回はラボの発展に対して、どのような困難が存在するのかを「人の一生に見立てた生と死」からみていきたいと思います。
イノベーションラボを人の一生に見立てたら?
海外の行政内のイノベーションラボやデザイン機関は事例やノウハウの共有は進んできています。一方で、立ち上げたはいいがクローズしてしまうケースも多々、確認されています。
この問題意識に対して、サンパウロの行政から生まれた(011).Labとブラジル政府のGNovaという2つのイノベーションラボの有志が主体となり、「どのようにより良く生き、死んでいくか?という学びを得るために、イノベーションラボを人の一生に見立てたら?」とメタファーを活用し、大きく2つのリサーチの問いをたてました。
1. ラボの誕生、幼少期、ティーンエイジャー、成人、死とは何なのか?
2. それぞれの人生ステージでどんな困難に直面するのか?
注意点として、これは主なリサーチの文脈としてラテン・アメリカの行政府×デザイン/イノベーションと設定されています。どこまでこの文脈固有性が影響するかわからないですが、一定の汎用性は見受けられるのではないかと感じます。
この問いをもとに、異なるステージにいるであろう40以上のラボからなる実践者とともにワークショップ等を行いデータを収集しました。リサーチから明らかになった誕生〜死に至るまでのそれぞれ特徴や注意するべき点をまとめたプレゼンテーションをベースに、個人的な考察も交えて簡潔に見ていきたいと思います。
誕生👶
誕生については多くは述べられていませんが、各ラボの設立背景は当然にまちまちでしょう。たとえば、The journey of MindLabによればデンマークMindLabは総務省のとある役人がビジネススクールの研究者に、産業におけるイノベーションの促進はしているのに、行政におけるイノベーションはどうなっているのか?と問われたことから、必要性に目覚め、行政組織の実践に統合するためにラボを立ち上げたとあります。
親の立場としては、子供を産む前からどう育って欲しいかという祈りのようなものがあるのだと思います。そのような祈りをしっかりと共有しておくこと。つまり、自分たち(行政として・担当者個人として等)はこのラボに何を望むのか?なぜラボが必要なのか?それは自分たちの幸せや未来にどうつながるのか?その祈りと育て上げる覚悟なしでは、ラボをむやみに創ることは子供を無責任に出産することに等しいのかもしれません。
幼少期🧒🏻
まだ幼いラボは、特別なケアやお世話が必要です。一方で、どちらかといえばこの幼少期のラボは、"成長に時間のかかる人間の子供というより、数時間で立ち上がる小鹿のようなものと考えるべきかもしれない"という意見もデータの一部として紹介されています。
なぜなら、最初のプロジェクトで早々にラボの正当性を、母親的な上役や予算を握る意思決定者に証明することが「生き延びる」上で重要だからです。
とはいえ、枠にハマった結果の追求を単に行えばよいわけでもありません。幼い子供が遊びと探索を通して世界を見出し、成長していくように、ラボにおいても遊び心と探索は欠かせず、それこそがラボを実験機関たらしめる中核的な価値観になるのだと思います。
思春期👱🏻♀️
この時期のラボは、外に友達=外部機関とのネットワークなども出来る一方で、アイデンティティ・クライシスや大きな葛藤に直面しうると述べられています。
例えるなら、良い大学に入ってほしいがために管理しようとする押し付け教育型の親のように、ラボの成長とともに行政組織の干渉が強くなる可能性があるということです。そこではテストの点数を求めるように、短期的で頻繁な結果を求める制度化された機関との対立・抵抗・不和や、不安定な感情などを経験します。思春期ってのは往々にして世界が広がるとともに自分を見つめ、大志をいだきたいものでしょう。ゆえに、コンフリクトに悩まされます。
ここでの問いは、どのように思春期の若者のように敏感な感覚や新鮮な眼差しを保ちながら、親と良い距離感で接していくか、です。
成人👯♀️
ラボに安定感が出てきて、長期的な目線から人生の長い旅路を走り出します。おとなになると健康を保つためにあらゆる努力も要します。同じように、安定感に依存せずに新しい機会に自らを晒し続けたり「遺産や遺言」を残すことも考えなければいけません。つまり、自分たちのプロセスや実践、ノウハウを記録・アーカイブすることです。それが今後の子々孫々への遺産になるのです。要はナレッジマネジメントのお話です。ヘルシンキ・デザイン・ラボは2013年にクローズした後も、webサイトをアーカイブとして残し続けており"このアーカイブがシードバンクになるように"という言葉からも意志を読み取れます。
これは、特に行政におけるラボという文脈において重要。なぜなら政治の定期的な選挙や、トップのすげ替え、または公務員の任期などによる避けられない影響を被りかねないからです。ラボがなくなっても培ってきた知と意志を引き継いでいくことは、常に頭においておかなければいけません。
ラボの死👻
死についてのリサーチはまだ進んでいないようでしたが、個人的所見を。
人の死はいつでもやってきます。死は、100歳になったらという今の延長にあるのではなく、この瞬間となりに居座っているということです。おなじように、上述のような原因で行政の変化に伴いラボの死も突然やってきます。不条理な死に方もあるでしょう。たとえば、前回とりあげたヘルシンキ・デザイン・ラボは、大本の組織がデザインを戦略のレベルではなくサービスのレベルにて推進したいという焦点変更に伴いクローズに至る、とFounderのひとりであるMarco Steinbergにより告げられています。
またデンマークのMindLabは政府が実験的イノベーションからデジタル化により大きな舵を切ることになり、Disruption Taskforceという組織の立ち上げと入れ替わるようにクローズしました。
ラテンアメリカで最初の行政デザイン機関であるメキシコのLab for the Cityも同様のデジタリゼーションに特化した組織にするために閉鎖となっています。Apoliticalの記事では"イノベーションは単にトレンドとして見られ、**長期的・戦略的なコミットメントの必要性を政府は理解していない"という言葉も添えられます。
一方で、良い死に方もあるのかもしれません。どんな祈りが込められていようとも、ラボ=実験機関は文字通り、一定の実験と探索を担い続けるべきです。では、組織に実験的な精神がやどり、新しいことや別様のあり方を追求していく風土が根付いたら、ラボは死んでも本望なのかもしれません。それは、各ラボの位置づけやメンバーの思想にもよるでしょう。
これについて、「コミュニティの終わりを再考する」という対談にて興味深いお話に触れているので紹介します。対談では、クックパッドは定款に、ミッションを達成したら組織を解散するという一文を記述したという話がありました。終わり=死を明確に描けているからこそ、いきいきとした生を彩り、魂を燃やし尽くせるのだと感じました。無論、唐突的な死は免れないかもしれませんが、こうした"プログラムされた死"を組み込むことも1つの考え方でしょう。
とはいえ、システムとして組織が変われば、また新たな役割として変容したラボのあり方が出てくるでしょう。なぜなら役割は常に固定的でなく関係の中に位置づけられるからです。幼少期ー思春期ー成熟期という区分は、つまりラボのあり方や意義、役割が時間と共に動的に変化していくということを示唆します。政府のアジェンダや、組織構造、公務員のローテーション、ラボへの理解度の向上、職員の能力の向上など総体とした、ラボを取り巻くシステムが変わるのであれば、当然役割を変えながら長生きすることも可能でしょう。
こうした生誕から死に向かうまでの間に、様々な問題に直面します。
ラボの直面する問題
■ラボのアイデンティティが曖昧問題
ラボの中核となる存在意義がきちんと哲学されないという問題です。ラボとはなにか?何のために存在してい、そのために何をして、なにをしないのか?どんな物語において、どんな役割を担うのか?というラボの意味を構築しないといけないのです。その文脈におけるラボにしかできないこと、という独自性はなんなのか?
最も基本ですが、最も曖昧になりがちな部分です。ここが明確でないと、説得材料としての評価指標もうまく設定できません。それができなければ、そもそも性質的に大本の組織とは相反する風土や価値観を有するラボは疎まれる可能性もあります。
例えば、下記は簡潔なまとめですが、MindLabは立ち上げから何度も役割の再定義を行ってきました。ラボが長生きするためにも、こうしたアイデンティティや役割の見直しと明確化は継続的に求められます。
参照: The journey of Mind Lab
■家族とのやりとり大変問題
属する大元の組織や機関、その意思決定者や政治家、予算を握っている人々。またはいとこ的な、組織内の他のチームの人々、彼らにどう見られるのか。こうした従属と抵抗との緊張関係が常に存在します。
思春期のくだりで述べられた素早い結果を求められるは非常にやっかいです。実験を繰り返し成果を証明しつづけるしかない一方で、本来ラボの担うプロジェクトの性質上アウトプットは最後の最後まで分からないはずです。なのに素早い大きな成果や、事前に定義されたアウトプットを求められる。毒親みたいなものでしょうか。とはいえ、予算を出してくれる親から離れて生きることはそうそうには難しいため、価値証明が必要なのは、上記のアイデンティティ問題とも繋がります。
■生涯学習が根付いてない問題
実験精神や新しい学びを失わずに、成熟することが重要です。つまり成功体験を重ねていきつつ、そこに固執してしまうことを避けることができなければ、イノベーション機関としての意味は失われるでしょう。その意味で生涯学習が当然、ラボにも必要です。ノウハウを蓄積しながらも、新しいこと知らないことへの挑戦のバランスをとる。知の探索と深化に通ずるお話です。
■変化させすぎちゃう問題
見てきたように、人間と同じようにラボは成長していきます。が、各ステージの移行において、何を変えて何を変えないのか?という問いに向き合わねばなりません。組織論に限らず、一般的なデザイン介入でも同様ですが、変えてはいけないもの・未来に引き継いでいかなければいけないものを見極めず、全てを変えようとすれば、歪んだかたちになってしまう可能性を避けられないからです。「コミュニティの終わりを再考する」では、はじめる前に何を終わらせるべきか?を問うという話をしていますが、裏を返せば何を終わらせるべきではないのか?も問うべきなのです。
こうした問題以外に、イノベーションを阻害する障壁としてHugo(2010)や Tõnurist et al. (2017)を参照にすると、例えば現職の公務員の抵抗や、サイロに分断された組織構造、予算サポート、リスク嫌いと説明責任の風土など、または高いレベルでのラボの自律性・裁量とそれを可能にする重役の支持も重要だと挙げられています。
おわりに
デザイン・イノベーションラボの生誕から死まで、いくつかの検討すべき問題を概観してきました。現在、実験機関にて実践されている方、今後ラボを立ち上げるような方の参考になれば幸いです。また、「人の一生」という見立ては、組織一般に適応できるものでもあるかと思います。ご自身の組織を照らし合わせて見て、内省するための補助線としても本記事は活用できるのではないでしょうか。
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参照
HDL closing in 2013 - Helsinki Design Lab
http://helsinkidesignlab.org/blog/hdl-closing-in-2013.html
Hugo, T. (2010). Mini Study 10 Innovation in the public sector.
The Life Cycles of Innovation Labs
https://youtu.be/tYcfZsBmT8Q
The journey of MindLab
http://www.designforeurope.eu/sites/default/files/asset/document/mindlab_thejourney_final.pdf
Tõnurist, P., Kattel, R. and Lember, V. (2017). Innovation labs in the public sector: what they are and what they do?
Public innovation labs around the world are closing - here's why
https://apolitical.co/en/solution_article/public-innovation-labs-around-the-world-are-closing-heres-why
コミュニティの終わりを再考する#01【小林泰紘x高嶋大介
https://www.youtube.com/watch?v=eg3HftRJKgo&list=WL&index=24&t=0s
イノベーションが止まらない「両利きの経営」とは? 企業のトップこそ業界の外に学ぶ「知の旅」をしよう
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00059/070200077/