即身仏と、後世への遺せるもの
金曜日からの3日間、友人たちと鶴岡ツアーにいってきた。
出羽三山の羽黒山にのぼったりといろいろと濃かったのですが、とりわけ心に刻まれたのは即身仏だった。南岳寺と海向寺で、3体の即身仏をみてきた。紫や赤の衣に、小柄で黒ずんだ、骨に皮が張り付いた様な、それでいて目を逸らすことのできない存在感をはなつ、ちからとしか言えないなにかがとりまいてた。
即身仏とは、ふたつの行から成るという。木食修行という、米や野菜などは断ち、野草や木の実、根など、木に近いものを食べる修行をすることで体内の余分なものを全て排出して、極限まで皮と骨になっていく。それを食べながら、湯殿山の神仏を駆けながら参る修行もおこなう。最低でも1000日のあいだ、これをやり続ける。
そうしたのちに、土の中に入定して念仏をとなえつづける。土の中から地上へは、竹筒が伸びており、そこから最低限の空気や音が伝わる。生きている限りは、念仏が聞こえて、鈴を鳴らす。その音がやんだときが、亡くなったサインとなる。そこから、介添するまわりの信者たちは、いちど様子を見る。もし腐敗がはじまっていたら、無縁仏として葬送される。腐敗していなかったら、そのまま3年ほど経過したのちに、即身仏として成立する。
すごい生き様だった。多くの人々が即身仏になるための行を積み、苦しくて途中でやめたそうだ。海向寺のお坊さんは「なぜこうした修行をおこなったのか。即身仏は、わたしの考えでは仏として成ったというよりは、永遠の修行僧としてその肉体を現世にとどめようとしたのではないか」と話していた。それは、仏となって見守ったり救いを与えるのではなく、苦しさを抱えるひとがいる中で、よほどに苦しい行を積み続けた証としての肉体を目前した人が、自身の苦しさがすこしでも和らぐような。そんな救いへの道をひらくこと。
どうしたら、ここまでやろうと思えるのか、想像ができなかった。でも確かに、自分のなかで確実に救われるなにかがあったように思う。
死後もからだが土に還ることがない。その行を重ねた生き様が刻み込まれた身体があることで、初めて動かされる感情があるのだなと思った。生き様で体現する、ってこういうことなんだなと思った。最近は自己表現やなんや、アーティストたれやなんや、いろいろ言われる。でも、内村鑑三が『後世への最大遺物』で述べたように、ぼくたちが遺しうる最大の遺物はかくのごとし生きたんだ、という生のあり方そのものなのかもしれない。