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[自己紹介]Note 始めました!

どうも、初めまして。まさです!

数年前からNoteを始めてみたいな~と思いつつも、なかなか始める機会がありませんでした。ですが、イギリスで経験した大学院留学や新卒就活で経験した事をシェアして、皆さんの役に立てればと思い始める事にしました!

初投稿で何を書けばいいのかわかりませんが、サクッと自己紹介とこれまでの経歴をつらつらと書いていきます。


プロフィール

年齢:24才(1999年生まれ)
出身:名古屋
職業:フリーター(今年の10月からイギリスで就職します)
専攻(学士):機械工学(in Japan)
専攻(修士):経営学(University of Warwick in the UK)
資格:IELTS 6.5 / HSK 5級/ HSKK 中級

特に目立った経歴はなく、イギリスに行くまでは本当にごくごく普通の学生でした。

イギリス大学院に進学する経緯

高校の時に吹奏楽部に所属し、サックスを吹いていました。大学でもサックスを吹き続け、サークルで最終学年(大学3年生)になった時にコロナがやってきて絶望しました。同期とやりたい事や挑戦したい事が山ほどあったのに。自粛要請でみんなで集まる事自体も容易にできませんでした。結局、最後の最後に小規模の演奏会を開催し引退。当時は本当に悔しかったです。

ですが、今振り返ると、このコロナでの自粛期間が転機となりました。

自粛中のある日、父に声をかけられた一言。

”高校生の時に大学で留学したいって言ってたけど、このまましなくていいの?”

僕はこの時、”大丈夫。このまま社会人になる”と瞬発的に言ってしまいましたが、その後自分の部屋でじっくりと考え込みました。

”海外でいつか働いてみたい。だから、大学は留学ができる大学にしよう。”
僕は大学に進学したい一番大きな理由と初心を忘れていた。

そしてこれまでを振り返り、大学受験は第一志望に受からず、大学生の時はサークルとバイト三昧だったが、特に目立った結果は残せず。何かと言い訳をして英語を真面目に勉強せず、長期のインターンシップもしていない。これまでの大学3年間で何も達成していない。何もかも中途半端。次第にこんな自分に嫌気がさしました。この時は大学3年生だったので就職活動をしていました。就活では欠かせない「自己分析」をしていく中で、ほんとにこのまま社会人になっていいのか?自分がしてみたかった留学はしなくていいのか?と自問自答して、やっぱ留学したい。という結論に至りました。

そこから、留学エージェントが主催するフェアなどに参加し、なぜかイギリスいいじゃーん、かっこいいじゃーんとなぜかなっていきました。

そして、父に心を動かされてから約2週間後に両親に留学に行きたいと伝え、大学卒業後に1年間の語学留学に行く事に決まりました。この時、両親に大学院留学を勧められましたが、当時の僕の英語力はTOEIC 400点ぐらい。テスト対策とか書類作成するのがめんどくさい、僕なんかが受かるはずがないと、ここでも言い訳と先入観で全く大学院留学は眼中にありませんでした。

ですが、ある日僕のケチケチ魂がアクティベイトされて大学院留学を検討し始めることになります。
ロンドンの語学学校で1年間留学ってビビるぐらい出費が多かったです。そこでケチな僕は、語学留学の1年でこんな大金払っても学位も取れないじゃん。だったら、あと50万追加して、大学院留学にした方が学位も取れてめちゃお得じゃん!!!という発想になりました。
そこから大学院留学を調べ始め、イギリスって1年間で修士とれちゃうの?!めちゃお得じゃん!!となり、最終的にはイギリス大学院留学に行くことになりました。

ですが、この時僕は大学4年生で2021年11月。もうすでに2022年9月入学の応募は始まっていて、しかもこの時初めて受けたIELTS の成績は5.0。第一志望校のWarwickの入学要件は6.5。大学受験を失敗したから、今回は絶対第一志望のWarwickに合格してみせる!と思い、そこから出願書類準備、IELTS対策、卒論研究を同時にこなし、4月にWarwickから条件付き合格(英語力の証明のみ)を頂き、出国2か月前の7月にIELTS 6.5をギリギリ取得する事ができました。

イギリス大学院留学開始

2022年の9月に出国し、10月からコースがスタートしました。ですが、お得だと思っていた1年の修士コースが想像以上にしんどかったです。経営学のバックグラウンドなし、英語力なし、日本語でもエッセイを書いた経験なし、プレゼンの経験なしの”4なし”が大打撃でした。

Warwickで好きだった場所
グースがたくさんいてめっちゃ可愛いんです!

僕の専攻していたコースは座学が少なく、毎日ディベートとプレゼンテーションが必須でした。周りのコースメイトは自信満々で積極的に自分の意見を発言するし、英語はめちゃペラペラ。ここまで頑張って奇跡的に入学できて少し自信がついたけど、コース開始時点で「ちゃんとサバイブして卒業できるのか。ドロップアウトして学費が無駄にならないか。」という不安が一気に襲ってきました。

ディベートとプレゼンを永遠とした教室

ここでコースメイトと比較して4なしの僕は人1倍努力しないといけないと思い、必死に勉学に向き合う日々が始まりました。大きなテストはあまりなく、ほぼプレゼンとエッセイで評価されるコースだったため、自分の部屋で必死にプレゼンの練習をし、図書館で友達と泣きながらエッセイを書き続けていました。誰もいない真っ暗な図書館でジブリのサウンドトラックを流して、絶望しながらも自分が納得するまで書き続けたのは今となってはいい思い出です(笑)。どれだけ図書館で朝日を見たのかもう覚えていません(笑)。

23時まで準備したプレゼン
図書館からの朝日

結果的に、1年間で図書館に600回以上通い、Distinction を取得できましたが、今考えると、どうしてこんなに勉強できたのか自分でも不思議です。コースメイトには"Masa, you are really typical Japanese. You will definitely work so hard and love to work overtime a lot. Don't scarifies yourself at workplace."と言われ、「日本人=ハードワーカーで残業大好き」 というイメージをがっつり植え付けてしまいました(笑)。

コースメイトと参考文献探しすぎて一周回ってどれ使えばいいのかわからなくなった絵
12時提出の修論を最後の最後まで図書館で戦い続けた(笑)

日本とイギリスでの新卒就職活動

修士コースが修了した2023年10月に帰国しました。空港に着いた時の安心感は格別でしたし、もう食べたものなんでもおいしくて天国でした(笑)

ですが、帰国した最初の1,2か月ぐらいは燃え尽き症候群で全く就活に専念する事ができませんでした。最初はイギリス現地での就職を目指していたのですが、やはり現実はそう甘くはなくRejectionのメールばかりを送信され(お祈りメールすら送信しない企業もかなりありました)、日に日にメンタルがやられていきました。12月にもなり、日本の新卒就活市場(24卒)が活発になっていき、イギリス就活が失敗した時のためにも日本での新卒就活を開始していきました。12月に東京で開催されたキャリアフォーラムにも参加したり、企業説明会などにも参加してきました。

2024年になり、日本の新卒就活が本格化していく中で、イギリスと日本の就活を両立していくのは大変でした。イギリス就活を終了するデッドラインを学生ビザが失効する2月上旬に定めてそこまでにオファーをもらえる事ができなければ、イギリスでの就職を諦め、日本の就活に専念する事を決断しました。1月上旬に卒業式に参加するために、渡英しデッドラインまでアプライし続けました。ですが、そう簡単にうまくいきませんでした。

ビザ失効日の前日に帰国し、将来海外で勤務できるように日本就活に専念しました。ですが、あきらめが悪く日本でもアプライしていました(笑)
幸いにも、日本就活で自分がやりたい事ができ、魅力的な企業にで会うことができ、最終的に外資系メーカーから内定を頂きました。

悔しすぎた帰国便

ところが3月中旬に1本の電話がかかってきました。
国際番号+44で国際電話がかかってきました。+44はイギリスなので何だろうと思いつつも出てみると、学生ビザ失効期限前の一番最後に応募したポジションの企業からの電話でした。なんと4月に開催される最終面接(Assessment Centre/Day)に参加してほしいとのこと。80ポジション以上アプライして、やっと1つだけ最終面接にたどり着いて、最後まで自分の実力を試す事ができるいい機会だし、将来海外で勤務したい時のためにもなるはずだと思い、僕はwebではなく、現地で参加する事を伝えました。社会人になる前に最後のヨーロッパ旅行したかったのがメインの目的だったというのは内緒で…
約1か月間準備する猶予があったため、必死に面接対策をしました。

いざ対戦!最終面接@イギリス

そして渡英してついに最終面接当日の朝、めちゃくちゃ緊張しました。しかも、朝渋滞していて集合時間に間に合わないかもしれなかったんです。到着時には緊張が最高潮に。とりあえず、緊張せずに自分の魅力を最大限に伝えて悔いがないように楽しもうと思い、いざ対戦。面接部屋には約10人程度の審査員がいて更に緊張してしまいました(笑)すべての時間を評価されているため、アイスブレイク、グループディスカッション、ランチ、個人面接、オフィス見学などオフィスを出るまで気を抜くことができませんでした。

最終面接が終了し、オフィスを出るときにここで働けたらいいなと思いつつも、ベストを尽くせたので悔いは全くありませんでした。ロンドン行きの電車に乗っている時に、今から中欧旅行楽しむぞ~という気持ちとグループディスカッションと面接でああすればよかったかもと不安な気持ちが混在していました。
実は個人面接中に言いたい事が飛んでしまい、”Oh, I am so sorry, I forget what I wanna say… just a moment please”と言って、10秒ぐらい止まっていしまったんです(笑)

次の日になり、友達に会うためにブライトンに行きました。夕方に会う予定だったので、それまで白い崖で有名なSeven Sisters をぶらぶらと散歩していました。ほんとにきれいで、南イングランドの自然を堪能していましたが、想像以上にアップダウンが激しくしんどかったです。多分3時間ぐらい歩き続けていました。そして最後の丘に到達し、やっと下り坂とバス停らしきものが見えて、安心しました。が、風がすごく雨雲も近づいているのが見えたため、休憩もせずに速足でバス停に向かいました。

Seven Sisters
想像以上にアップダウンが激しいんです。ご覧の通り天気が悪くなってきました(笑)

息が切れつつも小走りで長い丘を下ると一本の電話が。こんな時に誰?と思いつつ、電話に出ると、昨日受けた企業の採用担当の方からでした。え、まさかと思いつつ、急に緊張が走り、落ち着いて聞くと

”Hello, Masa? How was assessment center?…… ”
からはじまり、いろいろ話し、

”Congratulations, Masa! We Would like to give you a offer of this position! You were so excellent! We would like to work with you! ”
とHRの方に言われ、

”OMG!!!! Are you sure? Is it real? Can I work at your company? I cannot believe”
とめちゃ大きい声で発狂しながらHRの方にいってしまいました(笑)
そして

"Of course!! Will you accept this job offer?"
と聞かれ

”Yes, please! Please! I'd love to work at your company!”
と即答しました(笑)

電話が掛かってきた場所付近

バス待ちをしているときに両親にビデオ通話したら、めちゃ悲しい顔をしていました。僕の家族全員が、最終面接をに受かるはずがない、日本で働くと思っていました(僕もそのつもりでいました)。
自分の考えを整理して家族に伝えるため、HRの方と内定面談をするために中欧旅行を短縮し、早めに帰国しました。(3日で3か国制覇しました…)

プラハ市内
ウィーン市内
ブダペストとドナウ川

夢の海外就職

自分の気持ちを整理し、内定を頂いた外資系メーカーの企業さんには申し訳ないですがのですが、イギリスでファーストキャリアをスタートさせる事にしました。奇跡的にも2024年からYMS ビザが抽選ではなく先着順になり、ビザの手続きなどを行っていきました。

という事で、いろいろ長く書いてしまいましたが、今年の10月からバーミンガム付近で勤務する事になりました。渡英日も近づき、日本を出国したくない気持ちが強まってきていますが、渡英に向けていろいろ準備をしていきたいと思います!

英語学習、イギリス大学院留学、イギリス新卒就活、そしてこれから始まるイギリスサバイバル生活などを皆さんにこれからシェアできればと思います!

最後まで読んでいただきありがとうございました!!!

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