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先生とは<125/1000>

【ラジオ体操430日目】
『ニコチンレス生活151日目』

こんにちは。
誰かに何かを教えることが昔から好きだけど、本当に価値が高いのは教えることではないと気づいてショックを隠せないコマリストです。


今日は『教えるよりも大切なこと』というテーマで書いていきたいと思います。


あなたにとって良い先生とはどんな人のことですか?


現役の学生さんや、遥か昔に学生でなくなった人、今から学生になる人など、色んな立場の人が読んでくれている前提で、皆さんの答えを聞いてみたい!


教科書に書かれていることをそのまま伝える先生。
教科書に書いてあることを分かりやすく伝える先生。
教科書に書いてないことまで詳しく教える先生。


教科書という媒体の扱い方一つでもいろんなタイプの先生がいるし、もちろん教科書なんか関係なく”人として”どんな先生が良いとかもあると思う。


そもそも先生って必要か?
#怒られそう


今日は、良かれと思って”教える”ということをしてきたけれど、最適解は教えることではないような気がするというお話です。


人に何かを教える仕事をしている皆さんと、議論がしてみたいのです!

教えるよりも大切なこと

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さて、先ほど皆さんに投げかけた質問、あれを見た時に先生の教え方やその内容について思い浮かべたという方はどのくらいいるでしょう。


個人的な感覚なのかもしれませんが、『あなたにとって良い先生とは?』と聞かれて、教え方や指導の中身を答える人って少ないと思います。


「親身になってくれる」とか「友達みたい」とか「差別をしない」とか。


こういう”姿勢”を想像した方の方が多くないですか?


実際、先生に求められるものって、情報やコンテンツではなくて、人柄や向き合い方みたいなものなんじゃないかな。


もちろん、だからといって「先生」と呼ばれる人が教え子と比較して情報量が劣っていたり、何のコンテンツも持っていないくて良いというわけではありません。


ただ、何を教わったかよりも、誰から教わったかの方が、時間が経つほど重要なんだろうなというだけ。


少し話が逸れました。


先生の仕事は何かと言えば、「伝えること」であり、その価値を図る客観的な指標は「伝わること」なんだと思います。


そういう意味で考えた時、先生の仕事は”教えること”ではないよなと思うわけです。


これ、私だけなのかもしれませんが、教えるのが上手な人から教えてもらったことって、あまり覚えてなくないですか?


これ、教えてもらっている時には気づかなかったけど、かなり本質的なことだと思っています。


生徒側の立場になれば、「教えるのがうまい先生」と「教えるのが下手な先生」のどちらを選ぶかと聞かれたら当然「教えるのがうまい先生」を選びたい。


けれど、教えるのがうまいということは、教わる側の頭の中に『?』が生まれる回数が少ないということで、学びの根源となる『疑問』や『探求心』みたいなものを生みづらいということでもあるんじゃなかな。


語弊があるとまずいので、念のため整理しますが、ここで言っている「教えるのがうまい」というのは教科書に書いてある内容を理解させるのがうまいという意味です。


色々書きましたが、教えることよりも大事なのものは、
「気づきを与えること」と「探求心を刺激すること」。


これが出来る先生は、仮に教えるのが下手であっても、生徒の学ぶ力を育てているので、良い先生だと言えるのかなと思います。

先生だけに必要なのか

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ここまでは、「良い先生とは」ということを軸にして、教えることよりも大切なことについて書いてきました。


では、「気づきを与えること」と「探求心を刺激すること」の2つは先生だけに必要な要素なのか。


個人的には、人から何かしらの相談を受ける人や、人に何かを伝える機会がある人であれば全員に必要なものだと思います。


実は、私は教えるのが好きだし得意だと思っています。
#勘違いかも
#自画自賛


けれど、教えた相手に行動を起こさせる力はそこまで強くありません。


これは、相手の問題だと考える人もいらっしゃいますが、少なくとも私は自分自身の問題だと思っています。


”人から伝えられた答えにはあまり価値が無い”


これは言い過ぎなのかもしれませんが、特に「1+1」みたいに唯一無二の答えがあるわけではない問題に関して言えば、真理だと思います。


人が何かしらの答えを求めている時に、誰かに相談するのは答えを教えてほしいからではない。


人に話すことで、自分の頭を整理したいか、自分の考えが間違っていないと背中を押してほしいだけ。


これは個人に限らず、相談の主体が企業である場合も同じです。


”先生”と呼ばれるような専門家に状況を説明して、意見を求めた時に欲しいのは、専門家なりの答えなんかではなく、新たな思考の切り口や自分で気づくためのヒントです。


なのに、良かれと思って一つの答えみたいなものを提示してしまうから、相談している本人は行動に移さずに終わってしまう。


提示した答えが悪いわけではなく、答えに至るまでの経緯が悪いだけ。


いやぁ、記事として書きながら本当に反省することばかり思い出しています。。


日頃から、相手に気づきを与えるような言葉を選び、答えを言わず、相手が答えを見つけるまでじっくり待つという姿勢で私に関わってくれるメンターのコマさんの存在。
#神様みたいな人


こんな人が身近にいるのに、教え癖が抜けなくて成長しない私の反省文みたいになってしまいました。


常に相手に気づきを与え、探求心を刺激できる存在になれるようにがんばろっと。

じゃ、またね!

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