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技術の進歩と人間関係<139/1000>

【ラジオ体操444日目】
『ニコチンレス生活165日目』

こんにちは。
コロにゃんの影響で友人と会えなくなっていることを悲しむ投稿を見ると、友人が少ないから悲しくないという優越感に浸っているコマリストです。


今日は『友人の定義が変わってきている?』というテーマで書いていきたいと思います。


皆さんにとって、友人(友達)とはどんな存在ですか?


気兼ねなく話が出来る関係だったり、切磋琢磨して高めあえる関係だったり、痛みを分け合える関係だったり・・。


色んな関係の形があると思います。


では、友人の定義とは何なんでしょう?


インターネットの発展によって、物理的な距離に関係なく声や映像によるコミュニケーションが可能となった現代。


色んなものの価値観が変化してきている中で、『友人』というものの捉え方にも変化が生まれているように感じます。


今日は、一度も会ったことが無い相手のことを友人だと呼ぶのが当たり前の世界についてのお話です。


コロにゃんを言い訳にして、数年間会っていない”あの人”のことを友人と呼んでいいものなのか、正直迷いそうな内容だと思います。

これって友人なの?

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今日の午前中に人間関係に関して面白い議論をしました。


とある団体への勧誘を受けたA君。
この団体への勧誘を行っているM氏は、『団体に加入することで経営者層の友人が出来る』ということをA君に訴えました。


この勧誘に対して、A君の回答は
「オンラインサロンに所属しているから、そういった友人はたくさんいるんです」
という感じ。


この回答に、若干の疑問を抱いたものの、オンラインサロンのことをあまり把握していないM氏は話題を変えたそうです。


その後、何となくモヤモヤして私にこの件について話を持ち掛けてきた。


さて、オンラインサロンに所属し、オンラインでコミュニケーションをとっている相手は、A君の友人と呼べるのか?


皆さんはどう思いますか?


私はこの話を聞いた時、インターネットの普及が人間関係の捉え方にも影響を与え始めたんだと感じました。


昔は、学校のような閉じられた空間で、人と人が物理的に接触して顔を見合せ、言葉を交わし、共に何かしらの活動をすることで友人関係は構築されていました。


「一年生になったら」
こんな歌があったことを覚えている人もいるかもしれません。


この歌には『一年生になったら、友達100人出来るかな』という歌詞がありました。


この歌を作った人が、未来のことや友達の概念が変化するなんていう小難しいことを考えていたとは思えませんが、何となく『友達=直接会って作るもの』みたいなイメージがあったんじゃないかと思います。


さて、では少し考えてみて下さい。


高校生の頃、たくさん遊んだ友人の”あの人”。
卒業以来、連絡を取っていないので、もう10年以上になります。


この”あの人”は今でも友人と言えるでしょうか?


逆に、一度も会ったことはないけれど、毎晩のようにオンラインサロンの中でコミュニケーションをとっている”あの人”。


お互いに顔も知らないし住んでいるところも、本名すらも知らない。


けれど、毎日毎日連絡を取り合って、互いの意見を交換し、何かしらの製作物を一緒に製作している。


さて、この場合の”あの人”は友人と呼べないのでしょうか?


インターネットの普及と、SNSを含む様々な連絡手段の台頭で、『友人』の捉え方にも世代間ギャップみたいなものが生まれてきているような気がする。


皆さんは、どう考えるでしょうか?

人間関係の変化

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私がこの話について議論したのは、いつも出てくるメンターのコマさんです。


コマさん的には、
『会ったこともない相手のことを”友人”と呼ぶのは気持ち悪いと感じてしまう』とのことでした。


私は、この考え方が合っているとか間違っているとかいうつもりはありません。
#価値観の多様化
#むしろ私もこっち寄り


というか、私もどちらかと言えば、会ったことも無いし名前も知らないような相手のことを友人だと言っている人を見たら、少なからず違和感を感じる側の人間です。
#古いって言わないで


ですが、実際に世の中で起きていることに目を向けてみると、受け入れざるを得ない状況かもしれないとも思っています。


例えば、先日テレビで紹介されていたeスポーツと言われるゲームの世界大会で、優勝したチーム。


毎晩同じ時間にゲームを通じて顔を合わせ、会話をし、練習をして、大会に出ているけれど、チームメイト同士は一度も顔を合わせたことはない。


優勝した後に、”ゲームの中で”集まって打ち上げをしたり、遊んだり、オフラインの友人と同じような付き合いをしている。


本人たちは間違いなくお互いを同志だと呼び、友人だと言っています。


他の事例に目を向けると、
最近少し話題になっているメタバースの世界の中に、自分の理想の姿を模したアバターとして毎日ログインしている50歳代の男性。


このアバターは18歳の女の子の姿をしていて、オンラインの世界の中に”彼氏”がいる。


この彼氏ももちろんアバターで、見た目は20代前半の男の子だけど中身は40歳代後半の男性。


この二人は互いに”付き合っている”という認識であり、恋人同士として互いのプライベートを含む相談を毎日しあう関係となっている。


メタバースの世界の中で、毎日顔を合わせて、毎日声を聴いて、毎日相談をして、互いに甘えたり可愛がったりする。デートに行くことももちろんある。


この関係性は、”恋人”だと言えるか。


私にはまだ理解できる領域ではないけれど、現実として起きている事であって、この関係を何と呼ぶのかは本当に難しいと思います。


将来的には、人間の魂や思考は情報としてデータ化され、電脳に格納される。この時、人間の『身体』はデータを格納する単なる入れ物になる。


こんな現実が訪れることを想定したアニメや漫画がありますが、技術的にはほとんど完成しているらしい。
#攻殻機動隊
#おすすめのアニメ


こうなってくると、物理的な距離や身体は人間関係を構成する要素ではなくなるのかもしれません。


生きている間にこんな世界になるとも思えませんが、すごいスピードでこんな世界が近づいていると考えると、何とか付いていきたいと思います。


技術の高度化による人間関係の定義の多様化。


皆さんの身近でもすでに起きていると思いますよ。

じゃ、またね!

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