もっと信じてほしい<290/1000>
【ラジオ体操593日目】
『ニコチンレス生活314日目』
こんにちは。
通りすがりのトラック運転手に手を振って、ドライブに連れて行ってもらっていた幼少期を持っているので、親が過干渉することに違和感しか感じないコマリストです。
今日は『子供は育てるものでは無く、育つもの』というテーマで書いていきたいと思います。
自分に何のアレルギーがあるか、把握している人はいるでしょうか?
私を含めて、おじさん世代は幼少期にアレルギーテストなるものを受けた記憶がないと思います。
食べたら舌がピリピリするとか、身体に蕁麻疹が出るとか、自分の身をもって経験して、知っているものだけを自ら避けている状態。
それでも、アレルギーが原因で死にかけたことは無いし、病院に運ばれたこともありません。
#みんなあるのかな
#私は無い
最近は、検査の精度が上がり、何のアレルギーを持っているのか、幼少期に親が知るというのが普通のことだと聞きました。
良いことなのかもしれないけれど、何だか、気持ち悪いなと感じてしまうのは私だけなんでしょうか・・。
今日は、親が過度な干渉をすることで、子供自身の成長の機会を奪ってしまうのはもったいないというお話です。
賛否両論の考え方だとは思いますが、少なくとも私は子どもの成長を心から信じられる大人でありたいと思います。
希薄な関係を作る親
付き合う友達は選びなさい。
あそこの子供とは遊んじゃダメ。
こんなことを言う保護者は、未だにいるんでしょうか。。
私が小さい頃は、これを言われている同級生がいて、これが原因でいじめっ子といじめられっ子が生まれていたように感じています。
つい最近、こんな話を聞きました。
『最近の子供たちは、互いの家に遊びに行くことを親に禁止されていることが多いし、仮に遊びに来てもお菓子を振舞ってはいけない。もちろん、出されたお菓子をもらってはいけない。』
これ、本当なんですかね・・。
恐らく、互いの家に遊びに行くような関係ということは、かなり仲が良いし、徒歩or自転車で行ける近距離に住んでいると思います。
つまり、ご近所さんで、仲良しなのに、互いの家に遊びに行けないし、自分の子供と仲良く遊んでくれている子にお菓子も出せないということです。
これが普通なんだとしたら、すごく寂しいことだなと思ってしまいます。
私が子供の頃は、いつも近所のおじいさん・おばあさんの家に勝手に上がり込んで、遊んでもらっていたし、お菓子どころかご飯まで振舞ってくれたりしました。
#ご迷惑おかけしました
#大好きです
一度たりとも恐怖を感じたことは無いし、おかげで、近所の皆さんと顔を合わせれば大きな声で挨拶をして、話しかけるような関係を築いていました。
これが、子供にとっての当たり前だと思っていた私にとって、友達なのに家に遊びに行けないし、お菓子ももらっちゃいけないというのはかなり衝撃的でした。
大人が奪う成長の機会
あまりにもショックだったので、この話をしてくれた人に、私の昔の話をしつつ、こんな質問をしてみました。
コマ
『そんな状態だと、挨拶もお礼もできない子供になってしまいませんか?』
これに対して、返ってきた答えは、
「知らない人に挨拶するのは危険だからダメなんですよ!」でした。。
開いた口が塞がらない・・。
#マジか
#子供は地域で育てるんじゃないのか
きっと、これを読んでいる人の中にも、当たり前だと思っている人がいるんだと思います。
けどさ、こうやって育てられた子供が、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人と成長していくわけじゃん。
この成長過程のどこで、コミュニケーションを覚えればいいの?
どこで、挨拶することを覚えればいいの?
知らない人に挨拶しちゃダメって言われて育ったのに、学校に入ったら、急に自分から挨拶できる子になるの?
#なるわけない
#付いていくのはダメだけど
お菓子をもらわないのは、アレルギー反応で苦しまないようにするためだとか言ってるけど、実際に反応が出なきゃ、本人の意志で判断できないじゃん。
昔の人は、少しずつ混ぜることで、アレルギーすら克服できるようにしてきたじゃん。
#アレルギー反応だと知らなかった
大人が大人の都合で考えて、判断して、それを子供に強いるのは違うと思う。
そんなことでは、言われたことしかできない子になっちゃうじゃん。
自分で考えて、自分で判断する子供の方が良いと、大人だって思っているはずです。
少なくとも大人になればこれを求められますよね。
ある年齢を境に、勝手に自分で考えられるようになるの?そんなわけないよね。。
もっと子供を信じてほしいし、失敗しなきゃ分からないことは、ちゃんと失敗させてあげてほしい。
大人の責任
大人の責任は、子供が他人に迷惑をかけた時に頭を下げることと、出来るだけ多くの選択肢を子供に与えてあげることだと思っています。
#誰にでもできること
他人に迷惑をかけるからダメだと言って、失敗することを避けるように仕向けるのも、選択肢を1つしか提示しないのも違うと思う。
子供の成長なめんじゃねぇよ!
って、思うんですが、間違っているんでしょうか。
大人がしてあげるのはこれだけでいいんじゃないかな。
大人だって、100点の人はいないんだから、子供にだけ「理想」を強要するのはおかしい。
失敗する可能性が高い道を最初から奪ってしまっては、大人になってから大きな失敗をした時に挫折から立ち直れなくなる。
そんなの嫌だなと心から思うわけです。
長くなってしまいましたが、今回の話を聞きながら、私が感じたことと考えを整理してみました。
私は子どもには不要な我慢を覚えてほしくないと考えています。
なので、子供の意思を尊重して、嫌だということは避けてあげればいい。
その結果、本人が怒られたり、失敗するとしても、そこから本人が学ぶんだからそれでいいんです。
#たくさん叱られればいい
#失敗なんて多い方が良い
逆に、本人の意思がないのに、大人が勝手に判断して成長の機会を奪うことは最悪だと思っています。
子供の人生にとって、重要なのは、子供自身の意志であって、大人の経験からくる正論ではない。
#黙れ
#子供の人生だ
もっと子供を自由に成長させてあげてほしいし、出来ることなら、自分の選んだ友人と、何も気にせず思いっきり遊べる子供であってほしい。
現代の人たちが過干渉すぎる状況になっているということに心を痛めつつ、少なくとも私は子どもたちの可能性を100%信じてあげられる大人でありたいと感じました。
皆さんは、どう考えていますか?
じゃ、またねー!