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カッコいい大人に<153/1000>

【ラジオ体操458日目】
『ニコチンレス生活179日目』

こんばんは。
まだまだ若いと言われることに嫌な感じを覚えていたけれど、誉め言葉なんだと素直に受け取ると決めたコマリストです。


今日は『若さとは理不尽への反発ではない』というテーマで書いていきたいと思います。


皆さんは、少し年齢が上の人や目上の人から”まだまだ若くていいね!”みたいなことを言われたことはありますか?


個人的には、年上の方と話をしたり、お付き合いをさせて頂くことが多いので、いつまで経ってもこの言葉を掛けられる機会が多いです。


そして、私はこの言葉を掛けられることがあまり好きではありません。


というのも、この言葉には、羨望的な意味合いと、嘲笑的な意味合いの両方が含まれているから。


若さが武器になる年齢は20代までだと思っているので、30歳を超えている人に対してこの言葉をかけるのは若干失礼だと思うのは私だけでしょうか。。


今日は、大人になるということが社会の理不尽を迎合していくことであるというのであれば、私は大人になりたくないというお話です。


挑戦し続けるバイタリティが無くなった時に、年齢を言い訳にしたくない自分への戒めでもあったりなかったり。

若さとは

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さて、他人に対して”若いね!”という言葉をかける人達の真意はどこにあるのか。


もちろん一人ひとり、微妙にニュアンスが違っていたりすることはあると思います。


そんな誤差があることは承知の上で、私が思う彼らの真意は、
『妥協を覚えた自分への慰め』だと思っています。


年齢を重ねるごとに、本当に様々な経験をして良くも悪くも成長や衰退を繰り返すのが私たち人間です。


”若気の至り”なんていう言葉があるように、特に若い頃は衝動的な想いに駆られて、損得を考えることなく突き進んでしまうことがあります。


その結果、何かしらの失敗をした時に、周りの人(特に本人より年齢が上の人)が若いことを失敗の理由にして、諦めを覚えさせようとする。


その時に諦めることを受け入れて、自分の中にある衝動を抑え込むようになった時、そんな状態のことを”大人になった”と人は言います。


おいおい。本当にそれでいいのか?
それが大人だというのなら、大人なんてクソつまんねぇじゃん!!


衝動に駆られて行動して、失敗しても諦めずに挑戦し続けて、周りから無理だと言われながらも努力を続け、何かしらの成功を掴み取った時、周りの反応はどうなるんだろう。


”あいつは若いから成功することができた”


そんなことを言う人はいるんだろうか。


大人になることとは、世の中の理不尽を迎合して、衝動を無くし、丸くなることなのか?


そんなものが大人だというのであれば、私は90歳まで子供でいい。暑苦しいくらいの想いを持って、挑戦者であり続けたいと思う。


若さとは単なる年齢的なものでしかないと私は思う。
持っている思想や行動力、挑戦を続けるしつこさや、妥協を許さない厳しさは、経験とトレードオフで捨てるものじゃない。


それを捨てた姿が大人だというのなら、子ども達は大人に何も期待しないし、大人のことをカッコイイと思わないと思う。

経験は財産

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大人になんてなりたくない!


いい歳して、こんなピーターパンシンドロームの末期症状みたいなことを本気で書いている私は、傍から見たらイタイ人かもしれません。


とはいえ、カッコいい大人にだったらなりたいと思うし、年齢を重ねることはステキなことだと思っていたりします。


20歳を超えたあたりから、私は意識して1年間の濃度を少しでも濃くする努力をしてきました。


30歳になるまでの10年間で27種の仕事を経験し、30歳を超えてからも社会人大学校で学んだり、年間200人以上の経営者とお会いして話を聞いたり。


ありがたいことに、意識しないと経験できないような濃密な時間を過ごすことができています。


もちろんインプットは欠かすことなく、書籍や芸術、セミナーや実践の中からたくさんの新しいことを学び、一昨年からはnoteの執筆も始めたことで、アウトプットにも磨きがかかっています。


こんな濃厚な1年を過ごしていると、当然ですが1年前の自分とは明らかに違う次元にいる自分に気づくことができるし、それでもなお挑戦を続けることができています。


年齢を重ねるということは、こんな濃密な1年を何年も過ごすことと同義であり、より多くの知識と経験を積み、新しい視点から世界を見て、さらなる好奇心で突き進むことです。


1年という時間が自分をどれだけ成長させてくれるか自覚しているからこそ、自分よりも年齢が上の人に対しては尊敬の念をもって接することができる。


そんな人たちが、妥協したり諦めてきた自分を慰めるように”コマリストさんはまだまだ若いね”という言葉をかけてくるのを聞くと残念な気持ちになる。


noteを書き始めた時にも書いたことですが、私は自分以外の何かを言い訳の対象にするのがものすごく嫌いです。


”子供が出来たらそんなことも言ってられないよ”


いつの頃だったか、こんなことを私に言ってきた人に、
『大きくなった子供に、「お前がいたから、俺はやりたいことができなかった」なんて言いたくないんです。「俺は、お前が生まれてきてもやりたいことをやってきた。寂しい思いをさせたこともあるかもしれないけど、お前にも自分のやりたいことを全力でやってほしい」と言いたいんです』と答えました。


この気持ちは、今でも何一つ変わっていません。


年長者に対して、敬う気持ちは誰よりも持っていますが、それ以上に、挑戦を続けている人の歩みを止めようとする”老害”にだけはなりたくないと思っています。


若者に、”君は若いな”というんじゃなくて、”負けてられねぇ!”と本気で競い合いながら、80歳まで生きていきたいと思ってまーす。

じゃ、またね!

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