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抽象度という”罠”

0自社の事業戦略議論に参加させていただく機会が多かったのだけど、正直なところ、客観的にみて最近の自分のパフォーマンスは高いとは言えない状態だった。

振り返ってみると、議論や事業を前進させるためにもっとできることがあった。ただ、何故かどこかで思考停止していた感覚もあった。思考が巡らず、通常よりもアウトプットも少なかった。その要因について考えていて、自覚なく”他責思考”に陥っていて能動的な行動が取れていない自分にも気づいた。この感覚は新卒からベンチャーで戦ってきた10年のうち、今までにない感覚だったので、思考を整理してみたい。

ここ半年近い議論内容や自分の思考プロセスを遡っていて、議論の抽象度において組織全体で大きな齟齬を抱えていたこと、組織全体は同じ目的・ビジョンに向かっているのにも関わらず対立構造が一部で発生していたこと、その両方の立場を理解する自分の立場として結論がでなかったこと、に気づいた。その中でも共通して言えることととして「議論の抽象度」について整理してみたい。

■抽象度による「議論のパッケージング」は危険。

当然のことながら「抽象度が高い事柄」と「抽象度の低い事柄」は繋がっていて、一つである。単純に、事業として向かい合わなければいけない課題に対して、大局でみるか局地でみるかだけの話である一方で「抽象度の高低」によって議論は切り分けられやすい。経営(マネージャー) - 現場(メンバー)という形で区切られるケースも多いかと思う。

ただ、もちろん中長期的な事業戦略・ストーリー構築も重要だし、事業に求められる売上・市場規模からの目標設定も重要ではあるけど、事業や組織の存在理由・存在意義に立ち返った時に、最も重要になってくるのは「ユーザー(需要)」であり、そのユーザーに間近で価値提供している「より現場に近いメンバー」が答えを持っているケースもある。

例えば、ユーザーが求めるニーズに対して、適切な価値を提供していくことで収益を還元いただくことが事業活動だとすると、好きな人に想いを伝えるためにプレゼントを選ぶ計画を立てたとしても、相手のことを理解していなければ喜ぶプレゼントは選び出せず、的外れで目的は達成されないことと本質は似ている。より相手が欲しているプレゼントを選び出したい場合、トレンドがわかる雑誌を購入して一般的に何が喜ばれるのかリサーチをしたりするだろうし、何より相手を理解するために相手に近い距離にいる知人や友人に話を聞いたりするはず。

事業活動の場合このユーザーにより近い「メンバー」と積極的に対話することで、ユーザーや市場を適切に理解して事業戦略に反映していくような事業戦略立案プロセスも重要であると思う。それが、きっとリアル。そんな中、冒頭で挙げたように抽象度の高低で議論を区切った議論をそれぞれ展開していくと、目的は共通しているにも関わらず、それぞれから見える「ユーザー像」が異なることで、その議論に「隙間」が生まれることがある。この「隙間」が組織の軋轢になり、経営メンバーと現場の認識の齟齬を生み、最悪な場合に組織的な分断が生まれることで事業進捗が悪くなり、感覚的な停滞感を生むリスクがあるのではないかと思っている。

ただ、重要なポイントは、目的は一致・共通しているという点。「事業を成長させたい」「ユーザーが求める価値を提供したい」「会社として成長していきたい」という想いは共通している。それぞれが会社・組織に真剣だからこそ、双方の立場からすると「何故あいつらはわからないんだ」「説明が足りない、納得がいかない」「なぜ、、、」という不一致に繋がってしまう。

■「意志決定背景の透明化」と「役割の明確化」

もちろん、私自身まだ諦めていない。これらを解決するために必要な手段は「意思決定背景の透明化」と「役割の明確化」だと考えている。これは、単なる意思決定事項の共有をするといった意味ではなく、意思決定背景やそれぞれの立場としての想いまでもが共有される仕組み・文化作りのことを意味している。

CEOや事業戦略という役割を担う者としてこの境遇をどう捉えているか、どういう想いで意思決定者を任命したのか、彼らへの期待値はなんなのか。また一方で、現場としては戦略上のこの施策がキツいし納得いかないが、この戦略には共感できる。むしろこういったアプローチはできないのかなど、当人の意志や想い・ユーザーの反応を踏まえたアイディアなどが建設的に飛び交うような仕組みのイメージ。

結局、組織は「人」であって、会社や組織は「同じ目的のために集まった人の集合した状態」を示す概念でしかなく、その「人」にフォーカスした、「人」が活きる仕組み作りが組織作りの本質だと思っている。だからこそ、共通する目的やビジョンがあるのであれば、そこに向かって建設的な情報共有と議論が繰り広げられるような仕組みが必要であって、抽象度という曖昧な区切りにより、不必要な軋轢に苦しむのはおかしい。

仕組み・構造上の一定の区切りは必要だと思うが、そのパッケージに囚われるのではなく、本質的な目的を再認識して、その上で必要な議論が生まれるような仕組み作り、コミュニケーションのハブになれるような動きは、引き続き挑戦してみたいと思う。


また、役割の明確化も重要だと感じている。仮に矛盾する役割を1人で担う場合、意思決定における軸が定まらない(都度その役割ごとのポジショントークとなってしまう)ことで、現行不一致を生み、信頼欠如〜マネジメント不全につながるリスクもある。また、そんな状態で事業戦略など重要な意思決定を担う立場となる場合、メンバーからの”信”が得られず、そうした役割の曖昧さが引き起こす組織機能不全も容易に想定できる。

自分の半年を振り返っても、この役割葛藤な状態に筋が通せないことで限界がきた部分も正直なところあったため、今後においては役割を具体的に定義して、責任領域を分離することで、自他共に適切な認識が構築できるように進めていきたい。

■抽象度の高い議論の常態化


抽象度の高いとされる議論に参加することへの危機感として、知らず知らずのうちに、その抽象度の議論をしていくこと自体に慣れてしまうことで、目下手をつけるべき組織的な大きな課題にPDCAが回せない状況に陥っていたことも挙げられる。実際にプレイングマネージャーとしてその議論に関わる場合に、自チームの運営やチームマネジメント、組織的な役割への理解が疎かにならないように、意識的に修正していきたい。

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つらつら今回の反省を書き殴ってみたが、まだまだまとまり切っていないので、爆速でPDCAを回して、会社として組織として前進していけるように日々精進していきたい。

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