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思い出の電車の話。

まず最初に、これを読んでいる鉄道ファンの皆様方に一つ尋ねてみたいと思う。

「あなたの人生の思い出になる電車はありますか?」

答えは人によって様々であろう。

今回は、自分の思い出に残るであろう電車の話をしてみたいと思う。

「名古屋市交通局3000形」        

これがおそらく自分の思い出に残るであろう電車である。

まあ単純にスタイルが好みに命中した。ってのも理由だが、なにせ「良い意味でも悪い意味でも自分を鉄道趣味の世界へと導いてくれた車両だからだ。」という理由も大きい。

初めて電車に乗せてもらって以降、自分は完全にこの世界へと誘われた訳だが、その時に乗せてもらった車両が「たぶん」3000形だったからである。

「あれだけ3000形だとか言っときながら確証がないのかよ!騙された!」とかいう声が聞こえてきそうだが、自分はあの時に乗せてもらった車両が3000形だったと信じている。 

このなんとも古めかしい内装、目に余るほどの暖色系なこのインテリア。この雰囲気だけがほんの僅かに幼い頃の記憶に残っている。こんなに独特な内装は3000形にしかない特徴だからだ。

それが自分があの時に乗せてもらった車両が3000形だと思う理由である。

3159Hの中間部分に乗ったんじゃないのか?と言われたらそこまでだが...

その乗車がきっかけで鉄道の世界へと誘われたのだが、完全に人生は負け組コースまっしぐらになったのは言うまでもない。 

その後は鶴舞線系統への興味は長いこと薄れ気味で撮る気さえ沸かないような状態だったのだが、2019年の7月にとあるツイートを見たのが自分を原点に戻すきっかけになった。

それは、ふとTLに流れてきた「3123Hの運用離脱」のツイートだった。3000形の置き換えが進んでいるのは流石に知っていたが、少し気になって某サイトで残存状況一覧を調べると、自分は一気に愕然とした。

残りは5編成。

3114H、3116H、3118H、3120H、3122H。

昔は普通に、本当に当たり前のように走っていた3000形は知らぬ間に一気に数を減らしていた。15編成が我が物顔で覇権を握っていたかつての姿はもう過去のものとなっていたのだった。

ようやく「撮らなければ。」という思いを初めて鶴舞線系統に沸かした瞬間だった。

そこからは唐突すぎた3118Hの離脱や3159Hの除籍などと結構衝撃的な出来事に見舞われたが、なんとか今走っている3000形も記録することができて「撮らなければ。」という思いも一応達成して今に至る具合である。

「日々の記録」の大切さを本格的に思い知らされた(特に3118H)上、なにかと3000形に学ばされた事もあったのかもしれない。

結局、自分は長い空白期間を経て原点に戻ってきたのだった。

温故知新という有名な言葉があるが、温→(自分を鉄道趣味に導いた存在)から新しいこと→(記録の大切さ)を学ばされた点では、何か言葉に表せない偶然に近いものを感じる。

そして3000形もいよいよ本格的に終焉が近づきつつある。N3113Hが甲種されN3000形はこれで13本体制となった。

これにより現在残る3000形は
3114H、3120H、3122Hの3本となっている。

これがどういうことかと言うと、理論上は平日でも3000形無しで1日の運用が回せてしまう事になる。

「ギリギリの記録ではなく普段の記録を大事に。」

やはりこれに尽きるだろう。

と長々しく書いたところで、3000形の最後までの無事の活躍を祈って。

※2020年11月 本文修正
※2021年5月    最新の状況を反映














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