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パキスタン

インドの首都デリーのネットカフェで隣に座っていた日本人に「隣の国、パキスタンはいいらしいですよ。特にフンザ」と聞きました。なるほど。そのまま、ネットでフンザの情報を調べてみるとパキスタン北部にある山奥らしく「風の谷のナウシカ」の舞台モデルになったらしいです。今ならデリーで、パキスタンのビザも無料でとれらしい。この気候も人も暑苦しいインドを離れて涼しいフンザに行くのはなかなか悪くない。というか、インドを離れるならどこでもいいです(それぐらいインドにやられていました)。

5日後にはビザも取得して、インドとパキスタンの国境へ。インドとパキスタンはあまり仲がよくないので、国境の警備は多少ぴりぴりした空気が流れています。ただ、インドのイミグレーションでは、黒人女性のスーツケースから一枚一枚下着を調べてスタッフがニヤニヤしていました。その下着を他のスタッフに見せて、またニヤニヤしています。マジでどうしようもないインド人。黒人女性は相当キレています。僕も普段ニヤけ顔だから誤解されないように、ここだけ神妙な顔をしてました。ちなみに、僕のバックパックの検査は2秒で済みました。

パキスタン側のイミグレーションも終わって、そこからバスで市街へ。更にそこからフンザを目指してバスに揺られて約30時間。道も山道でバスの中はボッコンボッコン揺れます。ハードなヴィジュアル系バンドのタテノリみたいに揺れます。巨乳の方は注意が必要です。その揺れの中、隣の席のおじさんは居眠りしていて、靴下の臭いがするハゲた頭を近づけてくるので、不快指数300を超えていました。

ただ、パキスタン人はいい人が多いです。イスラム教は客人をもてなすらしく、バスの中で観光客は僕だけだったので、休憩ごとにご飯やお茶をおごってくれます。

僕はインドで「タダより高いものはない」というのが染み付いているので、かたくなに断っていたけど、断るとすごい寂しい顔をしてくるので「じゃ、一杯ぐらい」とお茶をもらうと喜んでくれます。おごってもらった後も「金をくれ」とか「モノをくれ」とも言わないで、ただニッコリと笑っていました。こっちは「さあ、何を見返りで欲しがるんだ?」と警戒しているから、そんな笑顔を見せられると、自分が恥ずかしい人間に感じます。まあ、割と恥ずかしい人間だからいいですけど。

イスラム教と聞くと、テロなんかで怖いイメージが多かったりするけど、僕が出会った人に関して言えばいい人が多かったです。帰国して、パキスタンで大地震が発生した時は、僕が出会った人たちが悲しい体験をしていると思うと非常に残念でした。行っていなかったら「遠い国でなんか大変だったらしいな」で終わるけど、自分がその人たちに会って話をしたり、ご飯を食べたりとその場の空気に自分が少しでも混ざったりすると、なかなか人ごとの様には思えなかったりするものです。

パキスタンの中でもフンザは少し異質な感じがあります。フンザ以外の場所ではインド人みたいに色が黒くて、いかにもアジア人という人が多いけど、フンザの子ども達は目が青かったり、混血が多いです。この土地柄や宗教的な事もあると思うけど、フンザは日本人旅行者が多かったです。初めて欧米人より多い日本人旅行者を見ました。当時はアメリカ国籍を持っているとイスラム圏はなかなか旅行しづらいようでしたが、周囲に敵をつくろうとしない日本のパスポートは世界一旅行しやすいです。

フンザに行くまでのバスの車内で、ジャック・ニコルソン似のパキスタン人カメラマンに会いました。機材を積み込んだジュラルミンケースと三脚を持って乗り込み、座席も二人分取って他のパキスタン人と少々空気感が違います。フンザ村の近くになると、バスの中の人もまばらになってきて、そのおじさんと話すと「宿が決まっていないなら、俺のいきつけの宿に行かないか?なかなか、いい所だぞ」と言ってくれました。

僕は安宿に泊まろうと思っていたけど、このおじさんがなかなか悪そうな人ではないので、一緒に行ってみることにしました。名刺をもらって名前がラファエルと分かりました。おじさんのくせにラファエルなんて生意気だなと少し思いました。

バスを降りてタクシーに二人で乗り込み、走って5分ぐらいでホテルに着きます。やはり安宿じゃなく、普通のホテルでした。そのホテルは他の宿より3倍ぐらい高いんだけど、やっぱいい感じだったので即効で決めました。キレイだし、ベランダの眺めもいいし、なにしろ他を探すのが面倒です。そして高いと言っても一泊500円もしないぐらいですから。

ラファエルも違う部屋に宿泊して、一緒にそこのホテルの夕飯を食べます。食べてみるとなかなかおいしいです。現地の人のおすすめは間違いなかったです。

「昔、カメラを買いに日本の秋葉原に行ったんだ。道がわからなくて、日本人に聞くとその日本人も道がわからなかったんだけど、一生懸命に考えてくれたんだ。うれしかったよ、あの時は」「お店のスタッフもカメラの事を一つ一つ丁寧に教えてくれたしね。日本人は大好きだよ」とラファエルが昔のことを話し始め、当たり前のように夕食をごちそうしてくれました。

ラファエルに親切にしてくれた日本の人の気持ちはここまで伝わっていて、たまたま僕が受け取りました。

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