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インド

インド人。一言で言うと、うざいです。観光客を相手に商売しているインド人の90%は嘘をつき、日本語を話せるものなら200%。同じ輩が2回騙してきます。こっちの学習能力なめるな。

たぶん、お金を持っている者からは少しでもいただかないと、悪い気がしているのだと思います。物乞いなんかは「おまえからお金をもらってやる代わりに、おまえも救われるんだぞ!」ぐらいの感覚できます。こちらもおまえから救われるつもりはない。

ジャイサルメールという街で砂漠のツアーに行ったことがありました。周りが砂漠で何もない所にもちょこちょこ村があり、そこにもインド人が住んでいます。写真を撮ったら「マネー!マネー!」と言ってくる子ども達。「金なんてないぞ」と言うと「じゃ、ペンをくれ」と言ってきます。「なんで、ペンをあげなきゃいけないんだ?」と訳を聞くと、前に観光客がペンをいっぱい子ども達に配ったらしく、それからは観光客を見つけたらお金かペンをもらう事にしているらしいです。

子ども達にしたら、もらえるものはもらうという感じ。「なるほど。子ども達がそういう考え方をするのも僕たち観光客のせいでもあるんだな」とは一切思わず「なんで、おまえ達にお金やペンをあげなきゃいけないんだ。納得できる説明をしてみろ」と言うと誰も説明してくれないので何もあげませんでした。

その後、会った日本人は「ペンをあげただけで、あんなに喜んでくれるなんて!もっと持ってくればよかったな」と言っていました。そういう考え方もあるんだと、びっくりしたのを覚えています。

「同情」とか「かわいそうだ」などという言葉が苦手なので「なに、勝手にあわれんでるんだよ。あんたが人の幸せ、不幸せを決めるな。おまえの定規でなんでもはかるなよ」と思ってしまうのです。

インドにいると「人は平等ではない」とつくづく感じます。確実に。というより差別しか感じません。ただ、インド人同士は対等に付き合っている気がします。身分など全然違うのに、対等な口を聞いている状態です。

日本では平等という意識は強いと思うけど、そもそも完全な平等は難しいと思います。差別とまでは言わないけど、区別はしている。そして、役割によって全然、対等でもない気がします。

ただ、そこまで平等でもないし、対等でもない状態で生まれだす劣等感にこそ、個性が出るのだと感じます。配られたカードでどう人生をあがっていこうかと考える時にこそ、その人の人生が見える気がします。

「インドは好き?」と聞かれたら、大好きとは絶対に言いたくはないけど、まあ嫌いじゃないです。2、3ヶ月もいたし割と好きだったのかなとも思います。

長い時間いると現地の価値観に慣れ、1回目より2回目の方が多少ぼられなくなり、3回目だと現地人と同じ料金で買い物が出来たりする。そんなシステム自体がどうかしているのだけど、それが面白くなったりもします。

RPGのゲームみたいにちょこちょこお金に群がる輩と戦い、たまに瀕死のぼられ方にもあうけど、チャイなど飲んでひと休みしていたら経験値が付いていく感じ。悟空だったら「オラ、ワクワクしてきたぞ!」と言ってくれると思います。そんな唯一無二の国、インド。

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