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ボリビア

ボリビアのウユニ塩湖。「ウユニ塩湖って、何?」と言われても、膨大な塩があるとしか言えません。とにかく見渡す限りの塩が、均一に固まった感じです。世界でもあまりお目にかかれない光景だと思います。

ウユニ塩湖には、塩のホテルがあります。建物もテーブルもベットも塩。そんなホテルに一泊してみます。塩のホテルを見学に来た欧米人には「クレイジーだな」と、言わました。僕も宿泊まではしなくてもよかったかなと、現物を見てすぐに思いました。なぜなら、塩以外は全くたいしたことないのです。

僕が泊まった日は僕ともう1人の日本人とイタリア人の3人。10人以上宿泊すれば、電気がつくらしいです。この日は残念ながら、夜になると完全に闇の世界になり、そこではろうそくと暖炉が救いでした。ただ、夜空の星はきれいです。何も見所がないときは、夜空に限ります。

次の日は、欧米人だらけのジープに僕一人で乗り込み、2泊3日かけて、ウユニからチリの国境まで抜けます。ポーランド人の男2組とロシア人の若いカップルとイギリスの中年夫婦と僕の7人です。はっきりいって、何もかみ合う話がありません。さらにみんなペラペラな英語を操ってくるので、もう試合終了でした。

かなり、ジープの中で浮きまくった僕でしたが、ウユニ塩湖とそのあとのアンデス山脈の景色は完璧にすごかったです。生物が全く存在できない光景が目の前で広がり「こんな、光景が許されるのか」と、大げさかもしれないけれど思いました。生命の息吹が感じられない景色は、かっこよくみえて仕方ありません。

ほぼ、欧米人とノー・コミニュケーションで2泊3日を過ごしました。欧米の方々はすぐに誰とでも仲良くなれるらしく、改めて「すごいな」と思いました。最後の夜は、彼らがわざわざ気を使って、宿の中で僕も混ぜてお酒を飲みだします。みんな、少々酔いだしてきて、ベロンベロンでペラペラな英語で盛り上がります。まったく、会話に入れません。

「なになに、コレは新手のいじめ?もう、部屋に戻って、新潮文庫を読みたいんですけど。もう、謝るから勘弁してください」と、言う顔もできないので、30分ほど居座ってみるけど、それ以上は無理なので「お酒、ありがとう。部屋に戻ります」と、最高の笑顔で飛び出します。あぶない、あぶない、死ぬかと思った。なんで、ボリビアの果てまで来て、つくり笑いなんてしなきゃいけないんだ。

ようやく、3日目にボリビアとチリの国境に辿り着きます。ココまでの道中はホントに寒く、持っているもの、ほぼ着込んでなんとか耐えてきた感じです。

ウユニで、あらかじめボリビア出国スタンプを押してもらってましたが、イミグレのおじさんが出国の日付を1日早く押してたので、チリに入国する時には「大丈夫かな」とドキドキしたけど、全く問題ありませんでした。というか、僕のパスポートの顔写真さえ見ずに「バツン」と、流れ作業のようにチリの入国スタンプを押していました。いつも思うけど、イミグレショーンは国によって適当さが全然違う。その度にドキドキさせられるんだよ、こっちは。

昼過ぎ、チリの国境近く、サン・ペドロ・デ・アタカマに到着。ここで、今まで一緒にいた欧米人とも別れます。「やっと解放してくれた」という気持ちで、胸が張り裂けそうになります。お別れの時が、一番いい顔してたと思います。そして、自由というものが、少しわかった気がしました。

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