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スピリチュアルは深い深いファンタジー。それは…

スピリチュアルはファンタジーなんて言ったら…

スピリチュアルが好きな人には嫌われますかね?笑

スピリチュアルで大切なのは、あえてのファンタジーだと私は思っていて。

あえてのファンタジー。

あえて。

根拠のないスピリチュアルはふわふわスピリチュアルだとか、
結果が出ないスピリチュアルは幻想だとか、
よく耳にします。

スピリチュアルはファンタジーじゃないと言いたいスピリチュアルな人、
多いです。

まぁ、確かに。
そもそもスピリチュアルは、
地球科学が辿りつかない、超科学領域を担っている節はあるわけで。
要は科学ですね。

ただの科学の一端です。

だから、スピリチュアルで結果が出るのは、当たり前なんです。

結果が出ないのは、
そもそもスピリチュアルではないんです。

こんなことを言えば、
おいおいファンタジーはどうした?って、
今度はなる。

でもスピリチュアル以前に、そうでしょう?
結果が出ないのは、不良品か、オーダー間違いか、
はたまた、科学的に証明できるだけのスペックが、
受け取り側にないだけか、、、、、

江戸時代の人が、宇宙にオーダーしたものが、以下だったとしましょう。
・早く文(手紙)を届ける術
・安全に本人にのみに届く仕組み
・ほぼ一瞬で、綴った思いが伝えられる喜び…

で、宇宙が叶えたものが、スマホだったとしたら(現代では叶いましたね。)。
江戸時代の人はスマホを受け取れたでしょうか?

確かに現代社会で実現化した、スマホ。携帯電話。

でも、放った願いを受け取れるまで、私たちは地球時間で200年ぐらいの時間が必要だったのかもしれません。
さて、私たちと江戸時代人は、科学的な価値観を共有できるでしょうか。

きっと、お互いの存在や常識や認識が全部幻想、
イリュージョンってことになるんじゃないかなと。

同じ地球上なのに、時間軸が違うだけで、常識や当たり前が幻想になる。

そんなものなんだって言うことを、
昔の人は物語やお経や哲学で説明する。
諸行無常の響きがあって。般若心経が唱えられて。
デカルトが哲学を展開して、、、、。

ノンデュアリティ。
非二元論。

私が考える、
「スピリチュアルはファンタジー」の原点は、
ここ。

ノンデュアリティ。
非二元論。

だから、ファンタジー発言を否定しているスピリチュアリストを否定しない。
ふわふわも否定しない。
現実逃避もついでに否定しない。

だって、詰まるところノンデュアリティだから。
全ては自分次第だから。


はぁ。同じことを考えてる人がいたら、
いいなーーーー。

頭の中のシェアでした。

おやすみなさい。
良い夜を。

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