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「インプットしたものをアウトプットしているだけ」

 最近のマッチングアプリ事情⑤:会話編(後編)を書いた頃、「こんな会話をわざわざ意識しなくても会話が続く人がいる」「私の好きな会話をする人がいる」と思ったので、それは何なんだろうと思い書いてみることにする。

 結論から言うと、タイトルの通りだ。最近バーで飲んでいる時にふと思い出したが、R時代に(この人はいつ寝ているのか?)という人がいた。仕事をバリバリこなし、子育てにも積極的で、移動中にひたすら本を読む超人。その人が、「自分は何もすごくない。ただインプットしたものをアウトプットしているだけ」と言っていた。

 その時は(そういうもんか)としか思っていなかった。が、それを別の友人にたまたま話したところ、「そう言える人ってすごいよ。仲良くしておいた方が良いよ」と言われたのを覚えている。その本人もめちゃくちゃ色んな事をインプットして、アウトプットして色んな人に「あの人すごいよね」と言われるような人だった。それが6年前の話。

 そして今、その意味を何となくだけど分かったような気がしている。どれだけ色んな会話ができるかどうかは、それまでどれだけ色んな事をインプットしてきたか、それからそれをどれだけ考えてきたかの量次第。現に二人とも話すのはとても楽しい人だった。

 ま、これは、私がとてもオタク的な、例えば変態的に「ジーンズの歴史」「数字の1の美しさ」について語る人が好きだから私に刺さっているだけで、誰にでも当てはまるような話ではないのだろうけど。

 だけど、私が『最近のマッチングアプリ事情⑤:会話編』で書いたような表面的な会話は、結局その人の本質には触れられないのだ。もちろん、導入として良いけどね。初めから「中絶についてどう思う」なんて話す必要はないし、いきなりそんな話をされてもこわい。だけど後々そういった、自分が大事だと思うテーマを話すときが来た時に、自分も相手も同じくらい考えてきたことがあった方がきっと会話はスムーズだろうと思ったのだ。

 ちなみに私は最近中絶について話す機会があったにも関わらずあまり意見できなくて、「重いテーマだもんね、いいよ、いいよ」と言われたが、「違う。言いたいことはたくさんあるが英語で喋ったことがないから単語を知らないだけ」ともどかしかった。ここでも英語でのインプットを必要と感じた。

 全てはまずインプット、それからアウトプット。考えてみたら当たり前のこと。だけど、そういうことを大量にしている人が自分は好きなんだと改めて気付いた。ということは、自分もそれをやらないといけないということだ。ゆる~く、私は自分が好きな会話ができる人をこれからも探していくことにする。

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