ピュアな望みを思い出す
条件付きの幸せにはいつだって限界がある。
年収〇〇万円、結婚、パートナー、子どもの有無、マイホーム、、、
幸せに条件をつけることは無限にできるけれど、条件は生きている時間が長いほど増えていくし、いつかその条件を維持することがしんどくなる。条件を達成するための人生にすり替わり、いつしか本来の目的であった幸せを見失う。そして自分にとっての幸せがなんだったのかがわからなくなるという人が多いのではないかと思う。
私もそうでした。
そろそろ結婚しておいた方が
そろそろキャバ嬢は引退した方が
30歳までには子供は産んでおかないと、、、
と誰かが定めた『幸せの型』にハマろうとしていたんです。
『〇〇でなければ』という生き方は自分で自分に鞭を打ち続けている状態である。ハードモードの人生にしているのは自分だということにはなかなか気づけないものです。
そんな法律なんてないのに、なぜだか自分で幸せのルールを作り、そのルールに沿わない自分にダメ出しをする人生でした。
これは本当の自分の望みはないということ。
世間体を気にする両親のもとで育って、自分はそうはならないぞと型にハマらない生き方をすると意気込んでいたはずなのに、いつの間にか誰が決めたかもわからない一般論に飲みこまれていました。
一見、幸せそうな人生は離婚を機に一瞬で崩壊。
他人の決めた幸せに近づこうとすればするほど、もろく、弱いものが出来上がる。
今、自分基準の幸せの土台を新しくつくりなおしています。
私が望んでいることはなんだったのかを思い出して、望みを書きがしています。
こんなピュアな望みを少し前の自分は持っていたんだということを最近思い出して、私は今まで何をやっていたんだろうと反省しました。
自分の望みを無かったことにして、毎日を生きることにいっぱいいっぱいだった。その望みを叶えてあげることが何よりのセルフラブだと。
子どもの頃の夢や、過去に望んでいたことを思い出すと自分の心に触れられる気がする。自分の過去の気持ちを消化していくこと。自分を満たしていくこと。過去に我慢したこと、その時は叶えられなかったこと、今の私なら叶えてあげられるかもしれない。だから、挑戦してみてもいいよね。
その時にはできなかったことが、今の自分ならできるかもしれない。何もできなかったダメダメな自分を、目標を叶えられる自分にアップデートしていける。それは間違いなくセルフイメージの書き換えにもなる。
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