主体性について緩く考える
昨日、会社で定期的に行われるミーティングがあったのですが。
リモートでのミーティングでなので、参加者のうちのだれかがZoomのミーテイングルームを立てなければなりません。
特に当番などは決められておらず、誰かが自主的に手を挙げるスタイルです。
昨日は私がミーティングルームを立てたのですが、同僚の方から「主体性〜!」と褒めていただきました。
素直に嬉しかったのですが、私に主体性なんてあったっけ?と思ったので、ちょっと考えてみました。
そもそも主体性ってなに?
そもそも主体性ってなんだっけ。goo辞書で引いてみる。
しゅたい‐せい【主体性】 の解説
自分の意志・判断で行動しようとする態度。「主体性のない人」「主体性をもって仕事に取り組む」
自分で「やらねば!」と思って、ちゃんと行動する態度のようなことですね。
これを踏まえて考えると、「もう直ぐミーティングだ。お、だれもZoomのミーティングルーム立ててないな。やるか〜」というのは、主体性がありそうですね。
更に「主体性」でググってみると、下記記事を発見しました。
この記事には、「自主性」との違いを踏まえてかかれていました。
「自主性」も、自分が主となって判断や選択するという意味なので、似たような単語です。
内容を要約すると、「行動に責任が伴うかどうか」が違いのようです。
「自主性」は「責任」を伴いません。
「主体性」は「責任」を伴います。
例えば、カレー屋さんがカレーを作る場合、「美味しいカレーを提供する」という責任があります。
更に「どうしたら美味しいカレーを作れるのか」に答えはないんですよね。美味しいカレーを作るために、具材をどうするかとか、スパイスは何を入れるか、など考えなくてはいけません。
失敗したら、お客さんから叱られるかも。
だいたいのカレーは美味しいですけどね。笑
一方、自分で適当にカレーを作る場合、更にレトルトカレーにしてしまえば美味しいカレーが食べられますから、「責任」は伴いません。
今日はカレーにしよう〜と食べ物を選ぶのは、「自主性」なのかもしれません。
(カレー作りに失敗して残念な気持ちになってしまうのは、自分に対する責任だと言えなくもないですが。)
こんな感じで、「目的を達成するための方法がわからない」時に、「目的達成のために調べたり、行動したりする」のは「主体性」にあたる行動だろうと考えられます。
先ほどのZoomの件は、Zoomの使い方がちゃんとわかっていれば失敗しないはずなので、「主体性」ではなく「自主性」なのかもしれませんね。
そもそもZoomをあまり使っていなくて、でもちゃんとミーティングを開催できるようにするために、使い方を聞いたり調べたりするのは「主体性」にあたるのかもしれません。
はたして私は主体性のある人間なのだろうか
「主体性」の責任について考えたところ、真っ先に思ったのは「失敗するの怖いな〜〜〜」でした。
文字の通り。失敗して嫌な思いしたくないし。誰かに怒られるの嫌だし。
更に言うと「失敗したら嫌だから、誰かZoomのミーティングルーム立ててくれないかな〜」とすら思っていました。
でも、多分きっと、みんなそうですもんね。
私が主体的な人間かと言うと、多分そうではないと思う。
でも「失敗を考えたら嫌だけど、ここはちょっとやらないといけないかな」と場合によって腰を上げることができるのなら、まずはそれでも良いように思います。
前述の記事には、主体性を身に付けるために、まずは身の回りの小さな意思決定を、自分でおこなうこと。と書かれていました。
自分に対する責任を負っていくこと。
責任を負うことに慣れること。
なるほど、主体性のある人は、責任を負うことに慣れているのかもしれません。
経験的に「あーして、こーすれば、失敗しないだろう」というのがわかるし、そもそも「責任」とも捉えていないのかも。
ちょっと気持ちに余裕ができて、行動力も上がりそう。
考えが発散してきたから、ここらへんで考察おしまい。
そして同僚さんが褒めてくださったように、主体的な行動を取ってくださる人を見かけたら、感謝と敬意を示そうと思う。
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