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映画「Fukushima 50」を見て
録画していた映画「Fukushima 50」を見ました。
知らなかったこと、知っていたけど忘れていること、考えたことのなかった視点がたくさんあって、見てよかったです。
原子炉の格納容器がなぜあのとき爆発しなかったのか、その理由は今もわかっていないということに驚きました。
現場にいた人、その家族、その地域に暮らす人、暮らす人は現場で奮闘する人の知り合いでもあったこと、本部、本店、政府、ほかの国、たくさんの視点を体験しました。
描かれていたことそのものへの一つ一つの心の動きもありましたが、そうではなく、見終えて浮かんできたことを書きたいと思います。
まとめてしまうと、「自分の生活に自分の手をかけるということは、それほど大きなことができないということで、それが思いのほか大切なことなのかもしれない。」ということです。
1日に
8時間眠って
1時間を朝食の準備から片付けまでにかけ
1時間を掃除と洗濯にかけ
30分を身支度にかけ
1時間を昼食の準備から片付けまでにかけ
2時間を夕食の準備から片付けまでにかけ
1時間を風呂にかける
ぜんぶで14時間半
のこりは9時間半
移動とか休憩とかトイレとかをのぞくと
きっと8時間あるかないか。
生活を自分の手で一つずつやると、遊ぶのも、働くのもあわせてそのくらいの時間しか毎日ない。
(子育てや介護などがあるともっともっと生活の時間が長くなりますね。あとから気づきました。)
でも、もしかすると、そのくらいの配分で暮らそうとしたほうがいいんじゃないだろうか。生活の時間を効率的に削って成した大きなことは、どこかで反動として返ってくるのではないだろうか。
そんな気持ちになりました。
といって、「じゃあみんな、丁寧に自分の手で生活しましょう」なんて簡単にできるようには人間はできていないので、仕方ないんですけどね。
だけど、自分自身には、生活に時間を割くことはぜいたくとか仕事の怠けとか非効率とかではなんだよと、言っておきたいなと思いました。
すごい気合の入った映画で、見る側の私もエネルギーを使いました。
なぐり書きのような感想、お読みいただきありがとうございます。
ご興味と機会があったら、映画のリンクです。
それではまた。
おやすみなさい。
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