【Guniw tools】大事なことは古川さんに教わった
幼い頃、私は「本当のこと」を知りたかった
インターネットのない時代に、地方で過保護な少女期を過ごした私は、「世の中で、何を信じて生きたらいいのか分からない」という焦りに苛まれていた。
何を信じていいか分からない、という気持ちは、「世の中というものを知り、生きるための信じるべき価値観・標が欲しい」という不安感の裏返しだったようにも思う。
それから紆余曲折の時間が経って、私は一人の大人になった。
そして今、振り返って考えてみると、私に「生きていく上で背筋となる大切なこと」を教えてくれたのは「Guniw toolsの歌だったな」と思う。
人生を導き支える言葉は、人それぞれに違うものだということは前提で、私にとってのそれは「Guniw toolsに貰った言葉」だったという話をしたい。
そして同世代のGuniw toolsの歌を知る友人たちと話をする際に
「このワンフレーズが、本当につらい時の勇気をくれたし、支えだった」
という言葉を聞くことが度々あるので、そのような人は少なからず存在すると思う。
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現在、Guniw toolsは活動を止めており、かつてリリースされていたCDや映像作品は流通を止めているものもある。
Youtubeにも公式チャンネルは存在せず、作品を見るためには実家のどこかにあるVHSを引っ張り出すしかなくなっている作品も多い。
彼らの音楽的な功績、ファンの人生の標となった言葉たちの存在を示すものがインターネットに残されていない状況で、彼らの作品と存在について紹介する記事を書こうと思う。
※「公式チャンネルがなく、正当な方法でYoutube引用ができない状況」は
「レコード会社のビクターが権利を持っているため、ご本人が動けない」という状況と
古川さんご本人にお話を聞いた上で、
Youtube上の違法アップロード動画の引用許可をいただいています。
この記事は無料公開であり営利目的ではない点を踏まえ、ご承知おきくださいませ。
ビクターさんはグニュウツールの公式チャンネル作って、既存MV全部上げてください。
偉大な文化の損失なので。そしてこれからグニュウツールを知った人が今から購入する可能性もあるので。何卒よろしくお願いいたします。
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Guniw toolsについて
Guniw tools(グニュウツール)は、1988年に古川とも(vo)を中心に札幌で結成されたロックバンドである。90年代後半のヴィジュアル系ブームの中でメジャーデビューを果たし、個性派のバンドを多く取り上げていた音楽雑誌Visious(シンコーミュージック・2001年廃刊)誌によく取り上げられていたことをきっかけに私は彼らの存在を知った。
1997年にギターのJake(ジェイク・現在はcloudchair名義で活動)さんが脱退する前までは、一見して『寓話』をモチーフにしているとも見える世界観での前期、ジェイクさんが抜けてギターのAsakiさんと古川さんの二人となってからは、打ち込みを中心としたデジタルロックの後期と二分できると思う。
私は主にジェイクさんが居た前期までの作品の影響を強く受けているので、この記事も前期作品を中心に紹介していくこととなる。
音楽性の文脈で彼らの音楽を紐解くと、1980年代のニューウェイブ・ゴシックロック・ポジティブパンクの系譜を継ぎ、海外のバンドとしてはキュアーの影響が見て取れることを付記しておく。
Guniw toolsが他のバンドと一線を画したのは、「全曲に対して、メンバー自作によるMVを作成し、発表する」という活動スタイルだったことだ。
現在ならパソコンで素人も容易にできるムービー編集も、デジタル技術が未発達だった90年代当時は、制作環境的に見ても容易ではなかったことを添え書きしておく。
なので、Guniw toolsは「音楽を作るバンド」の側面に「映像作家」としての活動をしていたとも言える。
そしてその作風は前期の彼らの音楽にそぐう幻想的、前衛的な試みがなされ、今も著名な芸術映画作品と比肩できる質の高さを誇っている。
また、ライブでも変わった試みをしており、日比谷野外音楽堂で催した『赤アリの演奏会』の際は、来場者に赤い服の着用を求めて、周辺が赤い服の集団に占拠され、翌日の朝のニュース番組に取り上げられていたことを記憶している。
そしてこの日のステージ壇上では、古川さんが何故か気球に吊るされながら歌っている。
この映像を見てもらえば伝わると思うが、Guniw toolsは一般的なバンドの枠を超えて、映像・造形などの創作活動をしていた前衛表現芸術集団とでも呼ぶべき存在であった。
映像作家としての古川さんは、BUCK-TICKの『キャンディ』MV監督を手掛けていたりするので、そちらで存在を知った人も多いかもしれない。
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(完全に1ファンの独断による)曲の紹介
Fancy Pink
Guniw toolsの代表曲は何か? というとおそらく『Fancy Pink』が筆頭に挙げられる。
1stシングルであった点に加え、サビ始まりのこの曲は耳馴染みが良く、90年後半のこの時代のバンドを聴いていた人はこの曲だけ知っているという場合もあると思う。
一見して意味の分かりにくい歌詞なのだが、私はこの曲の歌詞が
彼らの「聴衆に対する愛情」を表しているように思われてとても好きだ。
個人的な解釈ではあるが、その点を付しておきたい。
が基本的な解釈でいいと思う。
と例に出し
と無力と思っている聴衆に「形にしろよ」と檄を飛ばす。
なのでこれは、『賢者とそれを慕う弟子たちの構図』になっていて
素直ではない形での愛情表現なのだと思う。
グニュウのことを知っている人たちは「何を今更」な内容ではあるが
グニュウ、というか古川さんは、彼の言葉を信じる聴衆に
厳しく意地悪くも愛情深く、この世の理を説く賢者という存在であったと思う。
なので、古川さんの言葉を受け止めた人(=ファン)を含めた「宣誓の歌」であると思う。
古川さんは、スナフキンみたいな服装で現実離れした美しい人だということもあり
「スナフキン(に重なる賢者)がこの世の真理を手厳しく諭す」というイメージがあった。
モラリストの事
大人になった私が、今だ日常の中で頻繁に口ずさむのが『モラリストの事』。
不条理な目に遭った時など「モラルは社会で、人は土、水には溶けれない~」と
よく口を突いて出る。
それにしても、手厳しいけど愛情深い歌だと思う。
真心求める自己愛者
『Niwlun』期のパワーワードが強い曲シリーズ。
自己欺瞞を言葉で殴りつけていくのが痛快ですらある。
傘さすことの喜び
故意でなくても踏みつけられたグラジオラスは元に戻らないことを示唆。
怖いですね。
「この曲の意味は?」と問われた時に古川さんが
「傘がない時の気持ちを考えてみろ」と答えていたことが印象に残っています。
腐肉にとっての愛
食いしばり耳をふさげば腐肉にも明日は巡り来る んですよ。
人生がしんどく自己嫌悪で身動きができなかった時期に毎日聴いていました。
未練は思い上がり
※『』内はMV内表示
曲のタイトルが全てを語る。
「今ならできると思うことが思い上がりだよ」という言葉に人生で何度釘を刺されたか。
Fade Story
この曲を初めて聞いた少女の頃は「賢者として生きたいなあ」と思った記憶があるが
現在は、賢者として生きられるほど自分が優れていないということが分かった上で
「できる限りの楽しいことをやりたいな」と思っているので、愚者の道を選んだんだなあと。
でも、生きている限りで考え続けることだから、まだ結論は出せないのかなとも。
Either Wise or Fool
こういうこと、自分でもやってそうで、背筋を正されます。
冬のうぐいす
大人になってから知り合った友人が
「グニュウの『冬のうぐいす』の『誰もあなたなど見ていない、自由に行け』という言葉がなかったら、今の人生を頑張れてなかった」
と語っていたのが印象に深い曲。
彼女は自分の才能に賭けて美術大学を経てデザイナーの道に進んだ。
自分の才能を信じ、自信ありげにいつも堂々と振舞う彼女に、引け目を感じていた私は、そのことを意外に思ったし、この言葉を背筋にちゃんと行動に移して生きている彼女をまぶしく思った。
NO MAN
かっっこいい、鼻血出そう。曲として一番好きかもしれない。
グニュウの最初に買ったのがSPARKYで、曲として最初に惚れたのがこれでした。
不断の窓
SPARKY最後を飾る、三拍子の普遍的で神々しい曲。
感謝を忘れて、あって当たり前のことと感じることを
「家具に見えてた」
というのは、発明だと思う。
曲にも、それを反映する歌詞にもカタルシスがあると思う。
この曲は一生好き、というか特別で大切です。
FAT DECEMBER
ジェイクさんが脱退後、ロック期へ移行する中期を象徴するアンチクリスマスソング。
クリスマスお嫌いなんですね、って笑ってしまう。
それはそうとして、曲とビデオの格好良さが特筆。
それはそうとして、Asakiさん眉毛全剃りさせられるわ、シャワー浴びながらギター弾かされるわ、見ていて大変。
ロケ地は札幌のモントレエーデルホフとのことで一度泊まりに行きました(聖地巡礼)
DADA
打ち込みを中心としたテクノ寄りのデジタルロックに移行した象徴的な曲。
数ヶ月後に避けられない不安な未来(大学受験など)がある時、心の支えにしました。
他力本願は良くない。ですね。(教訓)
真鍮卵
これも個人的に大学受験のテーマでした。
ほんとにこんな気持ちで、実家から逃げるための蜘蛛の糸みたいな。
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Nookickyのこと
Guniw toolsの活動を止め、古川さんがDinahさん(ダンサー・笛)、Zullさん(ギター)と組んでインディーズで活動を始めたのがNookickyでした。
デジタルロックとは一線を画すアプローチで民族音楽を多分に取り入れ、エキゾチックな風味付けで自由度の高い音楽を試みているバンドでした。
この時期、ライブに通っていたのですが、目をつぶり、音を手探りして聴くテクノで覚えた聴き方をしていたことを憶えています。
FROG KING
諸行無常がテーマになっていると思うんですけど、ポップで一番好きでした。すごい歌詞。
RESUME
Puny Pure
この時期、行く先々の街で夜はライブを見ながら、案内されるままに北海道を観光して回る旅が、古川さん主導で企画されていた。
一回目が、旭川、北見、阿寒湖、摩周湖、帯広みたいな。ワカサギ釣りをしました。三月で寒かったです。-16度の記憶。
二回目が、函館だったような。サクランボ狩りをした記憶。夏。七月?
三回目が、稚内? 私はインフルに罹って行けませんでした。一月?
これらの旅やNookickyのライブや、古川さんのやっていたチャットで知り合った友人たちは、今も一緒に旅行するような親友が何人も残っている。
そして、古川さんの主導していた旅の一団は、今思えば修学旅行のようだった。
数十人の女の子たちを先導する古川さんは先生で、素直でない子も含めてみんな古川さんが大好きだった。
この旅でのことは今になって私の知らなかった出来事についての話を聞いたが
話が逸れるので、そのことについては後日また別の記事にまとめようと思う。
Nookicky曲、ここで視聴とDL購入できます
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Shilfee and Tulipcorobocklesのこと
Nookickyを一区切りして、一人になった古川さんが立ち上げたソロプロジェクト。
メンバーを加えたdeath shilfeeも。
Dead Leaves
STILL LIFE VOICE(death shilfee)
イチャダリ(death shilfee)
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TAFUCAのこと
TAFUCAは透明感のある女声ボーカル・ニュニュさんを迎えたユニット。
Scarborough Fair
パラノイアのささやき
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現在の古川さんのこと
札幌で、土日限定の喫茶・独創料理店をやっていて、会いに行けます。
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余談になるんですが、
私が現在、諦めていた「文章に関するクリエイティブな仕事」に就くことができたのは、そもそも高校生の頃にグニュウを好きになり、ヌーキキのライブと旅に通い、東京に出てから高円寺で催されたグニュウの再結成ライブに足を運んだからだったりします。
その場で再会したお姉さんが、転職活動中だった私に「うちに来なよ」と紹介をしてくれ、転職が決まり、その社内で異動をすることで、広告制作・コピーライターとして「文章を使った仕事に就く」ことが叶ったという経緯で。
新卒の就職を完全に失敗し、出版や広告などのクリエイティブ業界での業務経験を積めないまま三十を過ぎた私は、「文章は書けるけど、業務経験がないから、仕事に活かすことはもう無理だ」と諦めていました。
でも、上記の経緯で、「高校生の頃にグニュウツールを好きだったから、今の仕事に就けた」ということになります。
その点でも、直接的に古川さんは私の人生を救ってくれた恩師でもあります。敬愛!!
でも、高校生の頃に好きだったバンドのご縁で、諦めてた仕事に就けるって話、世の中にあるんですねって。
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