【日本料理店紹介】ふぐ舗・にしぶち/人と食べ物がくれる生命力を思う場所
にしぶちは、東京・阿佐ヶ谷にある「ふぐ・日本料理店」だ。
「ふぐ舗・にしぶち」は法事やお食い初め、食事会などのきちんとした場として愛されているお店ではある。
私自身、「にしぶち」と出会うまで、ふぐは法要など「きちんとした」親戚の集いなどで数度食べた経験しかない高級食材であり、縁遠いものだった。
「自分のお金で、ふぐを食べに行ったことはありますか」
と聞くと、YESと答える人は多くはないと思う。
薄給の会社員である自分にとって、丁寧な美しい日本料理を提供する料理店は格式が高く思えて、「きちんとした日本料理店」は「あまり自分とは関係のないお店だな」という引け目があった。
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正直な話をすると、私はにしぶちにラーメンを食べに通うファンだった。
コロナ禍で人の集まりが制限された時期、にしぶちでは、ラーメンを愛する料理長が、仕入れた魚からお出汁を取って丁寧に仕上げたラーメンをランチで提供していた。
ラーメンは仕入れた魚の出汁によって都度メニューが変わった。
そのたびに足を運び、濃厚だったり、端麗だったりするスープを毎度夢中でいただいている間、
(疲労していた体の中の水分が、きれいで生命力にあふれたものに入れ替わっていく)
という実感を覚えていたことを思い出す。
本来ならにしぶちでいただくべきふぐ料理のコースではなく、単価の安いランチばかり食べにくる来客なのに、料理長をはじめとしたお店の方たちはいつも朗らかに喜んで迎えてくださった。
コロナ禍の在宅勤務で、ほとんど人と会う機会のないまま暮らしていた私は、にしぶちに行くたびに「人と会ううれしくて幸せな気持ち」を思い出して、救われていたと思う。
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コロナ禍が終わり、人の会合の制限がなくなって、にしぶちは法要やお祝いなどの予約で忙しくなったようだった。
ラーメンの提供はいったん終わり、ということで寂しくはあるけれど、コロナ前の本来の姿に戻る形だという。
ラーメンがあるうちはなかなか頼めずにいた天丼や、時折限定で提供される立派な真鯛などの兜煮やあら煮定食、端麗な仕込みの漬け丼などのランチを目当てに、私は変わらずにしぶちに通っている。
黄金色に揚げられた天婦羅のひとつひとつの具材を噛みしめるごとに、ホックリした野菜の甘さとタレの香ばしさ、サクサクとした衣の食感、生命力にあふれた白米に、美しい食事を満喫できる喜びに、胸がいっぱいになるのを感じる。
足を運ぶたびに、「食事を通して、直接、生命力をいただいている」と毎回感じるのが、私がにしぶちのファンである理由と言える。
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いつもランチで伺いながら羨ましく思っていたふぐ入り会席コースを、誕生日の折に思い切っていただいたことがある。
先付、前菜、茶わん蒸し、ふぐ刺身、焼き魚、ふぐちり、お雑炊、お新香、デザートに至るまで、本当に息を呑むほど全部が美しくて美味しかった。
ふぐのヒレを焼いて、日本酒に漬けたヒレ酒は体が温まる絶品で、同席してくれた妹と、しみじみと「お料理もお酒も、全部美味しいね…」とこぼしあったことを憶えている。
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「美味しいものを食べに行こう」という時、どのようにお店を探すだろうか。
食べたい料理の名前や国の名前、SNSで見かけた料理の写真などを基に探すかもしれない。
または、「渋谷 イタリアン」などと地域を絞って検索するかもしれない。
お店に足を運んで、料理が運ばれ、美味しく楽しい時間が過ごせれば満足と思っていたけれど、私はにしぶちに通ううちに、
「食事はそのもののほかに、人と会う安心感と喜びが大きい」
と思うようになった。
信頼できるお店、信頼できる人たちの供するものだから、足を運んで味わいたいと思うこと。
新鮮な素材を丁寧に調理することで、
「素材そのものの生命力を、料理を通して受け取ることができる」
ということ。
そんなことを、にしぶちに通ううちに知って驚いたと言える気がする。
「ふぐ」が高級で特別な食材であるからこそ
何かの機会に「ちゃんとしたお店でふぐを食べよう」と思ったとき、
にしぶちのことを思い出してもらえると、お店の一ファンとしてうれしく思う。
丁寧に手を掛けられた美しい料理と、幸せな気持ちになれる食事を、
にしぶちに足を運んだ人はきっと確かめられるという確信とともに。
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レジ横で売っている、天婦羅を作る際にでた天かすが絶品です。
100円とかで売っていて、うどんや混ぜご飯、お好み焼きなど、
自宅ごはんが最高になるので、めちゃくちゃお薦め。冷凍も可能。
地方在住の人へのお土産にもいいと思う。貰ったら絶対うれしい。
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