【Eins:Vier】30th+1 NOVEMBER LUST 11/27(土)渋谷ストリームホール
9/4.5の東京公演、10/2.3の大阪公演で予定されたアインスフィアの30周年+1ライブは、ファイナルとなる渋谷ストリームホール公演11/27が追加され、締めくくられました。
この日、前回同様ライブレポートを書こうと、ライブ会場にノートを持ち込んでいたんですが、見ることで精いっぱいになってしまいメモがおろそかで、「どうしよう」と思っていたところ、この日の公演を含んだ映像が後日Blue-rayで発売されると発表があったため、ライブレポートではなく、個人的な記憶・感想として記事にしようと思います。
前回までの記事はこちら
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前回までのライブを見るたびに
「ライブ・音楽を見る目のある信頼できる友人に、これだけ素晴らしいライブをしているバンドがあるって見せたかった」
と毎回忸怩たる思いをしていたため、
「チケット代おごるから、11/27(土)空けておいて」
と頼み、ライブに同行してもらうという目標を叶えた。
「いいの? 私、曲もメンバーも全然知らないよ」
と言うライブに行き慣れた年若い20代半ばの友人に
「いいの、見たらわかるから」
と答えながら、思春期に私が信じてきたもの、先日目撃して驚いたものを、友人が理解してくれることへ期待を感じていると自覚する。
彼女は十年ほど前にライブハウスで知り合った友人である。
年齢は一回り以上離れているが、愛を持って私を叱り飛ばしてくれる尊敬する友人だ。
高校生の頃から都内のライブハウスに通い、多くのバンドやライブを目にしている彼女とライブを見ると、私には気付けなかった多くの点や素晴らしさを教えてくれる。
「同じ時に同じ空間で、同じライブを見ていたはずなのに」
ライブ後に彼女と話すと、いかに自分の目が節穴なのかと思い知り、へこんでしまうほどに。
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「本日は満席です。空席を作らずにご着席ください」
入場中に繰り返されるアナウンス。入場待機の入り口に溢れていた人の数。
近くに立つ女の人が「雪で飛行機飛ばないかと思ったけど、来られて良かった」と話していたのが印象に残った。そうやって、全国からこの日のライブのために足を運んだファンの数が満員という結果として現れたんだと思う。
先日のライブで、コロナの事情にもよりライブに足を運べないファンの多さに悔しさをにじませていたルナさんのことを思い出す。
客入れの時に流れていたのはクーラシェイカーのタットヴァだった。(Shazamというものは本当にありがたい。)
クーラシェイカー、友人が好きだったりしてよく耳にしたバンド名だが、そういえばちゃんと曲を聴いたことがなかったと気が付く。
少し気になればYoutubeで曲をピンポイントで聴くことができる現在に対し、90年代当時は3,000円払ってアルバムを買わなければ、聴くことができなかったことを思い出す。好きか嫌いか判断するのは、3,000円払ってアルバムを買って聴いた後の話だ。だから、何でも試すということは高校生にとっては無理だったし、少しでも好きになる理由や切掛けのある音楽に賭ける気持ちで昼食を抜いてアルバム代の3,000円を払っていた。縁がある音楽を耳にし、好きになっていくという点において、今より系統だった趣味が確立されやすかった時代なんだろうと思う。
もっとハードなロックバンドのイメージを勝手に持っていたけれど、クーラシェイカー、こんなに繊細で雰囲気のある音楽なんだな、と20年以上経ってから知ることになった。
知らなかったものを教えてもらえるということは、うれしくありがたいことだ。メンバーが好きなんだろうけど、これを選んだのは誰なんだろう。
客電が落ち、メンバーの入場が始まると耳慣れたコクトーツインズのスパングルメーカーに切り替わる。
青紫のライトにスモークが焚かれ、2019年オープンの会場である空間の新しさ、天井の高さを改めて浮かび上がらせる。ステージ上には数えきれないほどのライト。相応しく美しい会場を選んだな思う。
1曲目は「touch or don't touch you know」
叩きつける滝みたいに降り注ぐ音量。
開演前のスタッフによる音出しで、ギターの音が想像以上に鋭利で大きかったため、「これは耳が痛いかも」と、数年前に急性難聴を患って以来念のため持っていた耳栓を耳に挿したが、その必要はなかったことに気付く。
耳は全く痛くない。音量は十分に大きく、滝のように降り注いではいるが、無駄な鋭利さのない柔らかな音。これは耳栓で情報量をカットしてしまうのは勿体ない音だ。
押し込んでいた耳栓を外し、服のポケットに放り込む。
音の立体性、絶対にハウリングさせないという強い矜持に対する信頼を覚える。
確実な流れのあるベース。水の流れを思わせる曲だと改めて思う。
アウトロの中に存在する儚い祈りのような声。
2曲目は「100年の幻想」
光が差し込む静けさのある導入に続き、サビの頭で怒涛の雪崩が起きたような錯覚を覚える。
会場全体が体全体で頷くような、上下の衝動。
縦乗りするつもりはなかったけれど、会場の一体となる気配に飲まれるのを感じる。
涙腺に来る。降り注ぐ白い光。
3曲目は「メロディー」
前奏の第一音で、客席のテンションがぶちあがる。
ギターとベースの二人が前に出る。手を差し伸べる客席。
オレンジ色の多幸感に会場が包まれる。
音を確かめるように聴く。ここにいるということを実感する。
4曲目は「Words for Mary」
風景画と祈りみたいな景色だと思って見た。
「Will be forever」という祈り。微笑み。優しさ。
視界を目に焼き付けようとしても、耳から入る情報量に意識を全部持っていかれる。
5曲目は「Notice」
ベースがむちゃくちゃ効いてるとハッとする。
ヨシツグさんの使うクリーントーンの音に最初にハッとしたのもこの曲だった。
先ほどまでの夢見るような穏やかさと、全く違う清らかで残酷な空間。
ぞくっとしたのを憶えている。
サビに入る時、無意識に手を差し伸べてしまう衝動。
6曲目は「街の灯」
この曲をライブで見るのは初めてのことだ。
背景に投影される暗闇に降り注ぐ雪の景色。オレンジ色の灯かり。
クリスマスだ~~~~! 暖かな歌。聞けてうれしい。
ベースの音が暖かい。ギターソロ!!
それにしてもこの歌
ってところでツッコミのように「そりゃあ素敵ですね!」って笑ってしまう。
それを差し引いてみても、これ以上ないくらいロマンチックで美しい冬の恋の歌だと思います。一人称なのか三人称なのか曖昧なところも魅力なんだと思う。
7曲目は「花の声」
よく知ってる曲ながら、これも私はライブで聴くのは初めて。
背景に映し出される外国の石畳の路地の景色。
歌に重なり表情をにじませていくギターの音が美しい。
8曲目は「Not saved yet」
いつも息を飲んでしまうイントロの立体感の素晴らしさだけど、この日については躍動感、勢いというものに突き動かされたような導入だった。
息を飲むのも忘れて耳に意識を集中させる。
刻まれるギターが木漏れ日で、ベースの音が鼓動のように思える。
9曲目は「three stories」
ギターの音の表情の変わり方に毎回驚く。
時間が止まっているような、再び流れ始めるような曲だと思う。
10曲目は「I mean what I say」
薄暗く滲む音。シビアな厳しさを感じさせるタイトなドラム。
怒りみたいな曲だと思う。
暴れる龍みたいなギターソロ。
からのメンバー紹介。
11曲目は「L.e.s.s.o.n」
I meanからのL.e.s.s.o.nは黄金パターンだなあと思う。
これを確かめるためにライブに足を運びたくなる気持ちが分かる。
没入して記憶を失う瞬間と、音にハッとして我に返る瞬間を繰り返す。
楽器の音が立体的に絡む。幻が見える。空間が完結しているのを感じる。
頭を振っていたため、ステージは正直あまり見ていませんでした。
12曲目は最後の曲の定番である「In a void space」
シャツを脱ぐヒロフミさん。先ほどまでの狂騒が嘘みたいな静けさ。
四次元とか、無重力とか、そういう「どこでもない場所」みたいな場所になる。
降り注ぐ音と光を全身に浴びる。
その中で繰り返される言葉を意味として掴み取るように、手を突き出して握るヒロフミさん。
この曲の演奏の中でしか見られない景色。多分一生忘れない特別な瞬間だ。
暗転を挟み、アンコールへ。
アンコール1曲目は「Comeon loser」
メモに「水の映像」って書いてあるんですが、背景に水の映像が投影されたのか、音像がそう見えたというだけだったのか、わからなくなっています。
アンコール2曲目は「I feel that she will come」
定番となっている「愛の歌」であるこの曲。
象徴的な「love, you」というフレーズに合わせて、客席が手を伸ばすところが90年代の手扇子のフリのルーツになった説があるという話を思い出す。
ライブの空間を共有するひとときへの感謝と祈りは、アインスフィアというバンドにとって核の一つだと改めて思う。
アンコール3曲目は「Dear song」
笑顔だった。客席もステージ上のメンバーも。
区切りとなるライブがこれ以上ないほどの形で終わりつつある達成感もあるだろう。終わりゆくことへの名残惜しさや、それよりも今この現在に溺れていたいという気持ちも。
耳慣れたイントロに始まる耳慣れた曲を、確かめるように見届ける。
MC
Blue-rayになることの発表
「やらないかん曲、まだ1曲やってないやろ」の言葉に続き
アンコール2部の1曲目は「In your dream」
イントロが始まると床が揺れた。声を出せない客席の感情が、会場を揺らすことで発露する。
ギターの音の甘さが際立つ。まろやかで優しい甘い音。布を翻すみたいな軽やかさ。
2018年に発表された現在の彼らによるリテイクアルバム「search red light」のリード曲である「In your dream」は初期から存在する曲ながら、現在の彼らの実力と存在を象徴する曲にもなっている。
「死にたい」という言葉の強さに引っ張られてしまいがちだが、この歌の主題も「ライブの空間を共有する夢の間」にたいする愛情と感謝だと思う。
アンコール2部の2曲目は「In your next life」
「おとぎ話は続いていきます」という歌い出しがとても印象深く聞こえた。
この曲はこの一連のライブの中で演奏されてこなかった曲だ。
歌詞の言葉と、調和的に重なるギターソロが両面で「人生」というものを示唆し、浮かび上がらせてゆく。
「夢を掲げて」「愛を注いで」生きていくことへの祈り。
一緒に過ごせる時間であるライブが終わり、それぞれ各自の人生へ帰っていく人々への祈りに聴こえる。
「もう一曲、どうしてもやりたい曲あるからやらせて」の声に導かれて演奏された最後の曲は「Liquid blue sky」
曲自体を見ると恋人たちの別離の歌に見えていたけれど、この場で歌われると意味が違って聴こえる。
愛と信頼にあふれた花束みたいだ、と思う。
お守りみたいな曲。
途方に暮れた時に、この歌が口をついて出れば、どんなに心強いだろう。
遠くへ行く大切な人へ宛てた手紙みたいだとも思う。
この2曲を最後に持ってきたのは、彼らからの愛情と信頼と祈りだ。
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前に言っていた通り、この後の活動の予告はされなかった。
しかし、ステージに立つ彼らの姿を見て、このライブでの祈りを受け取った観客は、そのことに不満を感じないと思う。
自分の人生を支えたバンドが30年経っても、格好良く存在してくれて、大切な歌を愛をこめて演奏し、観客と会う機会を大切に大切に思ってくれているということが伝わることが、どんなに奇跡的で素晴らしい形かと思う。
バンドをやっていて楽しい、と彼らが思っていてくれること。
愛したバンドが時間を経て、その形に留まらず霧散してしまう、もしくは形だけ留めて仕事になっているようなことは、観客から見ていてもわかるものだし、珍しくないことだ。
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「どうだった?」
ライブの後に、私が友人にかけた言葉に、彼女は
「知らないバンドのライブ見るのって、集中力持たないかなと思ったんだけど、曲を知らなくても引っ張り込まれた。あのギターの人、すごいね」
と答えた。
「だよね、よかった」
「次の予定がないってことは、あの人見るためには、サポートやってる別バンド見に行かなきゃいけないってこと? 個人でインストライブやってくれないかな」
「インストライブやってほしいね、そんなん私も行くわ」
帰り道に感想を話すために入った喫茶店で、珈琲を2杯飲みながら私たちは色々な話をした。
「棒立ちで見るライブが久々すぎて、最初見方が分からなかったの。5曲目くらいから急にわかって。あと1曲も知らないと思ってたけど、「死にたい」って歌と、「罪深く~」って歌は知ってた。これ、家でYoutubeで流してたよね」
「うん、憶えててくれてうれしい」
「格好良かった」
「よかった」
「次の予定がなくても、あんなに愛に溢れたライブを時々でもやってくれるなら、すごくいいよね」
「今見てるバンドの、20年後の、一つの理想の形だなって」
「信じたバンド、もうバカみたいに売れなくていいから、曲を愛するファンが20年経っても集まって、格好いいままのメンバーたちと、あれだけ愛に溢れたライブを見せてもらえたら、お客としても一番幸せな形だと思う」
「だよね」
「お客が、ステージに向かって手を伸ばしてるの見て、泣きそうになったよ」
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この日のことが、公式ブログで写真掲載されていたので、引用しておきます。
次の機会がいつになるのかはわからないですが、彼らが格好いいままアインスフィアというバンドとして存在を続けていてくれることを、気長に信じて見守ろうと思います。
私の人生に彼らの音楽があって良かった。
格好いい大人になりたいなと思いました。
この30周年の一連のライブを見ることができたこと、本当に良かったと思います。
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