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縄文スローライフを旅するー北東北篇(前)―

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北から来たのか南からきたのか?
北海道に引き続き11月1日から6日にかけて北東北の縄文遺跡群を周ってきました。東京から自家用車で出発し行きと帰りは丸一日移動だけに費やしたので実質中四日間の旅程になりました。
中四日ではすべてを周り切れず「二ッ森貝塚」と「是川石器時代遺跡」は残してしまいましたが、青森県、秋田県、岩手県にまたがる他の10か所の遺跡群を旅することができました。

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10か所の遺跡のうち年代が最も古い遺跡は大平山元遺跡です。「たいへいざんもといせき」ではなく「おおだいやまもといせき」と読みます。年代は今から15000年ほど前(13000BCE)の遺跡で、氷河期からやっと回復してきた頃、今よりはまだ寒冷だった時代です。

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さて、その頃なぜここら辺に人が定住するようになったのか?一番の疑問は南から来たのだろうか北から来たのだろうかという所です。今より寒いとはいえそれ以前よりは暖かくなったので定住域が北に広がったのか?それともマンモスなどが獲れなくなり新生活様式を求めて北の大陸の方から南下してきたのか?

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いずれにしてもここは通りすがりの場所ではなく、ここら辺では取れない黒曜石の破片なども見つかっており、定住して交易まで行われていた(活発な生産と経済活動があった)ことは事実のようです。

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ここの現地の展示が残念だったのは上の写真のようにまだ解説版ができていないところでした。

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屋外展示の整備も道の整備もこれから
一部を除いて遺跡の調査がまだこれからだったり野外展示が人を呼ぶにはまだ未整備なのは今回世界遺産に登録された縄文遺跡群全般に言えることなのですが、亀ヶ岡石器時代遺跡、田小屋野貝塚も大平山元遺跡と同様で、また数年後に訪れたいと思える場所でした。

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上の写真は看板だけできていて展示物はまだです。

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また、大森勝山遺跡もわかりづらい場所にあります。

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遺跡の場所がカーナビに出てこないのは北海道でも経験したのでまずは関連施設に立ち寄ることにしたのですが大森勝山遺跡の場合は「裾野地区体育文化交流センター」で場所を確認します。
案内に従って入っていきましたが、そもそも現地にたどり着くまでの道、その道自体カーナビに載っていなくて地図上では森林原野の中を走っていました。

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辿りつくまでの道が心細いという点では三内丸山遺跡にほど近い小牧野遺跡もそれにあたります。小牧野遺跡は環状列石が展示されているのですが、1989年当時の高校生たちによって「川にあるような丸い石が山の上でたくさん見つかるのはおかしい」という疑問から出発し、調査発掘されたものです。

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今では50歳手前位になる方たちでしょうか?手作業、もちろん無償で発掘作業を進めていったのでしょうが、これでTVの番組作るのだったらぜひ当時のお話聞きに行きたいと思うところでした。

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病的なほどに予算が下りていない
世界遺産に登録されたところでさえこの有様なのですから、他の遺跡がどういう現状なのかは調べなくてもおおよその推測はできます。
私は少しませた子どもだったのか考古学がお金にならないということは小学生のころから知っていました(そういえば小学4年生の頃は来る日も来る日も"モノポリー"ばかりやって遊んでるんで親からゲーム取り上げられたんだったなぁ)。
ただ個人や民間企業がお金にならないと思うのと国が予算を出し渋るのとは別の話だと思います。
昔から予算のおりにくい分野だったとは思いますが、予算という点では新自由主義的な考え方が世の中跋扈するようになってから、ますますその傾向が強くなっているのではないでしょうか?
わざわざ北東北まで行ってまだ開演前の雑然とした舞台裏を見せられて残念な思いも強かったのですが、それは関係者のせいでもなんでもありません。発掘に携わった方々、またボランティアガイドのみなさん、他いろいろな方が少ない予算の中懸命に苦労、努力してなんとか曲がりなりにも私のような旅人を受け入れられる体制までもっていったことはよくわかります。
憤りを覚えるのはここまで社会を歪めていった政治のほうです。今回の旅行では政治から"モノポリー"を取り上げて「もっと勉強しろ」と言いたい気持ちになりました。

続きは後編でー


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