Please Place Me③そして、出会う
レノン君の帰り道を追跡して、またMendipsに戻ってきました。
帰り道レポはこちらからどうぞ。
ここまで来たら行くっきゃないところが2つあります。第3スポットはそのうちのひとつに行ってまいりました。スポットの募集後、一番乗りでリクエストをいただいたあの場所、それは、、、
St Peter’s Church
ここがどういった場所なのか、もう説明不要ですね。とか言って説明しちゃいますけど、ジョンとポールが初めて会った場所です。
では、早速行きましょう。
町の教会
MendipsからSt Peter’s Churchまで徒歩移動。閑静な住宅街を約15分ほど歩きます。
Woolton地区は少し高台に位置しているので、若干の坂あり。
着きました!St Peter’s Churchです。
この日はエリザベス女王が逝去された翌日だったので、ユニオンジャックが半旗掲揚になっていました。
ここで少し教会の歴史を。公式ウェブサイトからの受け売りですけど。
1826年以前、Woolton地区から一番近い教会が3マイル(約5キロ)先で礼拝に行くのに非常に不便だったため、地元に教会をということで、現在の位置から少し下ったところに地元信者念願のWooltonの教会が建てられました。ところがWooltonの人口増加とともに信者が年々増加し、教会が手狭になっていきます。しかもこの教会、現存する記録によれば、建築デザイン的にかなり不評だったらしく、"目ざわり"とまで一蹴される始末。そのため1885年に、より大きな別の教会を建築することが異論なく決定されたようです。
また、この時期、裕福な商人たちがWooltonに移り住むようになります。彼らの経済的支援も相まって新しい教会の建築は順調に進み、1886年に現在の位置に礎石が据えられ、翌1887年にSt Peter’s Churchがついにオープンとなります。
これ、なぜMendipsがあるWoolton地区がポッシュなエリアなのかという理由・ルーツですよね。そしてこの裕福な商人たちの中にはあのイチゴの孤児院に関係する人物が含まれるのですが、それはまた別の話。
教会は約500人収容、美しいステンドグラスも設置されているようですが、まだ中に入って実際に拝見したことがありません。私が訪問する時はいつも信者さんオンリーの礼拝中か、結婚式などプライベートイベントをやっていて中に入れず。この日はエリザベス女王の追悼のため、夕方からオープンというイレギュラー体制だったようでまたも中に入れませんでした。
なので、墓地をささっと散策することに。
そして、ここから極端に画像が少なくなることをお許しください。そんなに悪質な行為ではないと思うのですが、墓地で写真撮るってなんか気が引けるんですよね。だって地面にヒトが埋まっているんですよ。霊感があるからとか怖いとか全くそういうのではなく、なんか、ねぇ…てことで、単に気が乗らないので墓地での写真はいつも控えています。
と言いながら、今回はその自ら課した禁忌を破りました。なぜなら…
エリナー・リグビーのお墓が綺麗になっていたから!
言わずと知れた「Eleanor Rigby」が発表される前からここに眠っていたエリナー・リグビーのお墓ですね。St Peter’s Churchに来ても墓地まではなかなか入らず、エリナー・リグビーのお墓を拝見したのも超久しぶりだったのですが、前に見た時こんなに綺麗じゃなかった気がする。もっと黒かったような、苔むしていたような…。他のお墓が古めかしいので余計に光って見えます。
で、綺麗になった寝床からリグビー家が「見て見て―綺麗になったよー」と言っているようだったので数枚写真を撮らせてもらいました。もちろん手も合わせて。
これまた有名な話ですが、近くにはマッケンジー家のお墓も2~3ほどあります。この辺りはリグビー姓、マッケンジー姓が多いため、たまたま近くにお墓があっただけで、曲との関連は無く単なる偶然だ、と話したのはポールだったでしょうか。
にしても、ここに眠るリグビー家もマッケンジー家も世界中から墓参りされるとは夢にも思ってなかったでしょうね。
1957年7月6日
この日、ロックの歴史が動きました。始まったと言っても過言ではありませんね。映画「Get Back」で冒頭いきなり ”1956年” と出てきて、デューク東郷のような顔になったのは私だけではないと思います。でも1957年7月6日の出来事でした。
ここから再度、映画「ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ」をイメージ参照しながら見ていきたいと思います。
午後4~6時、バックガーデン
この日、Woolton地区の住人が毎年待ち望んでいる地域のイベントがSt Peter’s Churchで行われました。イベント会場は教会のバックガーデンで、輪投げゲーム、警察犬のドッグショー、ホームメイドケーキの販売などもあったそうで、映画はSt Peter’s Churchでの撮影ではなかったようですが、イベントの様子をかなり細かく再現しています。
こちらのウェブサイトでは、当日の教会の外の様子を撮影した写真を閲覧できますが、催し物やイベントの参加者がトラックの荷台に乗ってWooltonをマーチングしながら教会に向かうプラグラムだったようです。中には手術?みたいなパフォーマンスをしているトラックも。神輿の町内引き回しみたいですよね。この賑やかさに誘われて家から出てくる人も大勢いたのではないかと思います。いかにも町内の祭りっぽい。
その列の中にテディボーイたちを乗せたスキッフルバンドのトラックが確認できます。トラックはそのまま教会のバックガーデンに入り、バンドは荷台で演奏を開始。プログラムによるとバックガーデンでは16時15分/17時45分、その後講堂でのダンスパーティーでも出演との記載があることから、この日は3回公演だったことが分かります。
演奏場所はバックガーデンの隅のあたり。写真は撮ってきませんでした。なぜなら、ここ、今はガーデンではなく墓地だからです。月日が経っているので当然ですが、1957年当時はまだイベントができるほど広かった土地は、現在ではWooltonで生前を過ごした多くの方々が眠るしとねになっているんですね。ジョージおじさんもここでお休みになっているようですが、前述の理由であまり墓地を1人でうろうろしたくないので、お墓を見つけられず、まだ手を合わせたことがありません。
母ジュリアも娘2人を連れてジョンの晴れ舞台を見に来ていたようです。
映画では数秒、1人の男性が荷台の上のQuarrymenを撮影する様子にフォーカスします。はっきり言及はありませんが、恐らく彼はジェフ・ラインドでしょう。
そしてジェフがカメラに収めたのはこの1枚で間違いないかと。
この写真、すごいと思いませんか?以前にもツイートしたことがあるのですが、これジョン以外ほとんどまともに写ってないんですよ。みんな下向いてたり、横顔だったり、誰かと顔がかぶってたり。こんなに大勢の中ジョンだけが正面を向いてはっきり写っているんですよね。ジョンだけを狙って撮ったにしても、”ジョン・レノンとその他” すぎる。偉人というのは名が売れる前から印象的な写真が残っている人が多いですが、その見事な一例だと思います。しかもこの日の音源まで残っているのですから、やっぱりジョンは ”持ってる” 人なのでしょうね。
John Lennon & The Quarrymen - Live 7/6/1957
オーディエンスの中には、そんなジョンを見つめる1人の少年がいました。
2022年9月、ロンドン
さて、話は2022年9月初めに飛びます。ロンドンに潜む1人の東洋人がツイッター上でビートルズスポットにまつわるリクエスト旅を企画しました。そこで一番最初にいただいたのが、「ジョンとポールが初めて会った「St Peter’s Church」。このリクエストをきちんと完結させるためにはあの場所へ潜入せねばなりません。
それが、ここ。St Peter's Church Hallです。
教会とは道を挟んだ反対側に位置しており、当時から教会の多目的施設として使用されていた講堂です。ジョンとポールが出会うのがここなんですね。
しかし、この東洋人、まだ内部潜入に成功したことがありません。毎回の訪問が週末だったこともあり、当然扉には施錠、教会の関係者どころか人気が全くないのです。
某ビートルズツアーに参加した際、講堂の中に入れたという情報もいただきましたが、今回はまるっきり個人訪問。果たして受け入れてもらえるのでしょうか。Googleに掲載されている教会の事務所の番号に電話をかけてみました。英語での電話が大の苦手な東洋人、この私めでございます。
1日目
心臓どくどくで14時頃に電話、出ず。教会のウェブサイトを確認してみると、事務所のオープン時間は平日の9時~13時でした。ひと足遅かった。
2日目
心臓どくどくで11時と12時に電話、出ず。
3日目
落ち着いてメールで問い合わせ、2022年10月時点でも応答なし。
詰み!
でも行くだけ行ってみるかぁ、と現地に赴いた次第です。
やっぱだめだ、誰もおらん。この時点で14時半過ぎ、講堂も事務所も開いていません。ジョンとポールが出会った場所まで壁1枚なのにぃ!!
次もあるので潔くあきらめてその場を離れようとしたとき、スマホが鳴りました。何のことはない電話でしたが、若干込み入った内容だったので、話に集中するため教会近くのベンチに腰を下ろして電話を続けました。
すると、1台また1台とバンが通り過ぎ、講堂の敷地へと入って行ったのが見えたのです。ワンチャンあるかも!!!電話もそこそこに(というかぶっち切りました)ドスドスと地を踏み鳴らし講堂の方へ戻りました。
そこには机や椅子を講堂に運び込む数人の男性の姿が。そろーりと彼らに近づこうとした刹那、こちらから声をかけることもなく、1人の男性が「中見てみる?」と申し出てくれたのです!!!!!!!!!!
首もがしたしたろかというほど縦に振ったのは言うまでもありません。そんなことで講堂の中にタナボタ潜入を果たせました。嬉しい嬉しい大歓喜!!!
午後7時~8時、講堂
では1957年に話を戻します。前出のプログラムによるとQuarrymen2回目公演が17時45分、ダンスパーティーが20時。ジョンとポールが出会ったのは2回目公演後とダンスパーティーの間、おおよそ19時頃~20時頃と推測して良さそうです。そしてその現場がこちら。リバプールに通い続けて10年目、初めて肉眼で見るSt Peter's Church Hallの内部です!
講堂の中へと案内していただいた男性は教会のボランティアの方。この日は地域のプライベートパーティーの準備のために講堂を開けたそうで、「好きなだけ見てってー、好きなだけ写真撮ってー」とおっしゃっていただいた上に、お忙しい中色々と説明していただきました。
まずはジョンとポールが出会った正確な現場はどこなのか!それがここ、講堂内の隅の方でした。
ダンスパーティーに備えて、一服していたQuarrymenのメンバーのもとにアイバン・ボーン(語呂よすぎ)が1人の少年を連れて来ます。言うまでもなく、それがポール・マッカートニーでした。その時の様子を描いた絵画がこの講堂内に飾られています。
エリック・キャッシュというアメリカ人画家による作品ですが、これすごいのがキャッシュ氏直々にQuarrymenのメンバー1人1人に、どの位置に誰がいて、周りは何をしていて、何が置かれていてなど当時の様子を聞き込んで、ジョンとポールが出会った瞬間を正確に再現して描き上げた1枚なのだそうです。ポールの毎度の証言でもあるように、やはりジョンはでーんと座っていたんですね。
キャッシュ氏はこのほかにもビートルズをモチーフにした作品を数多く制作しています。温かいタッチがすごく良い。
しかしこの作品、めちゃくちゃ良いのですが、私は少し違和感を覚えるんですよねぇ。ぶっちゃけ、ほんとはこの場にビール瓶の1つや2つ転がってたんじゃないのぉ?というのも出会いから40周年となる1997年に、ポールがジョンとの出会いについて追加証言を出したのですが、ポールはこの時のジョンのことを「おっさんみたいに酒臭かった」と言っているんですね。ジョンのことなのでさもありなん、というよりそうでしょうよ。恐らくQuarrymenへの聞き込みによる証言でも、お酒があったことについて言及されたのではないかと思うのですが、そこは当時みんな18歳以下ということで、一応法律に従って省いたのでしょうか。にしてもテディボーイたちが「今夜のダンスパーティーでかまそうぜ!」とか言って意気込んでいそうなところ、ピアノの上のティー(しかもソーサー付)はかなり違和感ですよね。
ところで映画の方なのですが、全体的に諸々の再現率が高いのに、この出会いのシーンではジョンは立ってポールを迎えるんですよ。絵画の方と見比べてもジョンとポールの服装は完璧なので、リサーチを怠っていないことは明らかなのに、なぜ立たせた?これ初見でちょっと残念だなと思いました。
「バンドに入りてぇか?」ジョンがその場でポールに聞き、ポールはその翌日にYESを出します。その瞬間ビートルズのコアが生まれたんですね。ポールが1日返事置いたのって、プロポーズをちょっと悩むそれみたいなものだったのでしょうか?
ボランティアの男性によれば、この講堂は窓ガラス以外は全部当時のものだそうで、言うなれば講堂全体が世紀の出会いの目撃者!
午後8時~、ダンスパーティー
ポールとの出会いを果たした後の20時、Quarrymenは講堂のステージに立ち、ダンスパーティーを盛り上げます。ところが講堂内に備え付けのステージは無く、イベントがある時にだけ可動式のものを設置していたそうで、講堂内の壁にはステージが設置されてあった痕が線になって残っています。
位置で言えばジョンがポールに会った時に背を向けていた方だそうで、先述の絵画と整合性がとれますね。
で、そのジョンが立ったステージ、現存しているのですよこれが。
ではステージを見に行ってみましょう。Wooltonからバスで約1時間をかけて中心部に戻ります。目的地はMersey川に面するMuseum of Liverpool。
Museum of Liverpoolはウォーターフロントに位置する近代的デザインの外観が目を引く博物館です。再開発の一環で建設され2011年にオープン、2018年~2019年にはジョンとヨーコの「ダブルファンタジー展」がここで1年半にわたり開催されました。
そう、ジョンがあの日立ったステージは、その一部が現在このMuseum of Liverpoolに展示されています。教会ボランティアの男性によれば、単に教会がステージを博物館に売った経緯によるものだそうですが、ナンボで売れたのかすげー気になる。さすがに聞けなかったけど。
リバプールがどのようにして生まれ、発展していったのか。石器時代~現代までのリバプールの歴史背景や文化を学べる施設です。けっこう広い。目指すは3階の現代史フロア。リバプールが生んだスターたちがお出迎えです。
映画「My Fair Lady」のヒギンズ教授でおなじみレックス・ハリスンも実はスカウサーだったってご存じでしたか?教授のお隣、変顔おじさんはケン・ドッドというお察しのとおりのコメディアンで、1963年にビートルズともテレビで共演しています。
このフロアーは主にフットボールとミュージックカルチャーのセクションに分れているのですが、ステージがあるのはもちろん後者。
どーーーしてもステージが見つからず、らちが明かんので1階まで降りて受付のお姉さんに聞きました。やはり現代史フロアのミュージックセクションに展示があるとのことで、すぐにまた3階まで上がります。
お姉さんの説明では「ミュージックセクションを窓際まで行って、ビートルズショーが見えてきたらそこに入って。ステージはその中にあるから」とのこと。
では、中に入ってみます。
あった………………!!
…………………………………………………………………
展示の仕方サイアク!!!!!!!
このビートルズショーというのは、ビートルズの8年間を真空圧縮した感じの短い映像を流すシアターなのですが、ステージに立つジョンを見る感じで映像見てね、的なことでここに展示されているのでしょうか。まぁ、それは良いのです。最悪なのは、シアター内には照明らしい照明が無いので真っ暗!すなわちステージ見えねええ!!!
シアター自体には以前も訪れたことがあるので、このステージも目にしているはずなのですが、今回きちんと拝見することができました。言われないと絶対に分らない、というか分らない以前に見えんのですよ!
こんな真っ暗なとこにキャプションを置く無神経さにも腹が立ってきました。読めんよ、暗いんよ、どういうことよ?なぜキュレーターはこれを良しとできたのか。フラッシュたかなかったらただの黒画像、見事な海苔。それくらい暗いのです。
何年かぶりに映像も観て帰りました。360度のサラウンディングスクリーンを売りにしているのですが、そんな説明もシアターまでの動線には特にないので、上映中みんな一方向しか見てなかったのももったいない。このシアターの設備も含めて、敢えて映像を評価するならジョージがかっこいい、とだけしか…。
ということで、暗い中スマホのライトを照らしながらステージを見てみましたが、満足に観察ができず。でも古い木製のステージでだいぶ踏みしめられた跡が確認できました。この上でさらに酔っぱらったテディボーイたちがどんな演奏を披露したのでしょうか。それにしても、こんなおざなりな展示ということは、高額取引ではなかったんですかねぇ。はぁ…。
気を取り直して教会に戻りましょう。
1957年7月6日以前
ジョンと教会とクジラの絵
ジョンがSt Peter’s Churchで歌声を披露するのは、1957年の夏のイベントが初めてではありません。ミミおばさん、ジョージおじさんが教会の信者さんだったこともあり、ジョンは5歳頃からSt Peter’s Churchの聖歌隊に所属し、毎週日曜日にはその歌声をこの教会で既に披露していたのです。ジョンのイツメンであるピート・ショットン、ナイジェル・ウォリーも聖歌隊メンバーだったようですね。
月日は流れ2006年、ジョンの聖歌隊仲間だったデイビッド・アシュトンは母親の遺品整理中に驚くべき絵を発見します。それがこちら、ジョンが描いた絵です!
1953年ジョンが13歳の頃、現在のジョン・レノン空港付近のMersey川にクジラが座礁したというので、アシュトン氏とジョンはその様子を一緒に見に行ったらしいのです。その頃2人はアシュトン氏の家でよく遊んでいたそうで、アシュトン家にあったスケッチブックにそのクジラ座礁の絵を一緒に描いたのだとか。そしてそのスケッチブックはアシュトン家でひっそりと保管、というか放置されることになったんですね。なので正確に言うとジョンの絵というよりはジョンとアシュトン氏共作の絵、になると思います。
この絵は2人が聖歌隊に所属していた縁でアシュトン氏がSt Peter’s Churchに寄贈し、今でも教会が大切に所有・保管しているそうです。なんかちょっとイエサブ感がある、と思うのは私だけではないっしょ。シュールで良い感じ。
見たい!という前にボランティアの男性には「ごめんね、今日は見せられない」と言われました。にしても13歳のジョンと「おい!座礁したクジラ見に行こぜ!」って、何とも可愛い話じゃあないですか。
ポール的に初対面ではなかった
2020年10月、ジョンの生誕80周年を記念して放送されたショーンのラジオ特番「John Lennon at 80」に出演したポールが冒頭、こんな話をしてくれました。
当時のバスルートとは異なるかもしれませんが、マップでルートを見てみると、確かにMendipsからジュリアの家1 Blomfield Roadに行くには、ポールの家20 Forthlin Road近くのバス停からバスに乗らなければいけないようです。
ポールの話の続きです。
というわけで、ポールは7月6日より前からジョンのことを認識していたんですね!少女マンガのような展開ではありますが、1950年代のリバプールを考えると、コミュニティも遊べる場所も大体決まっていた時代。面識はないけど顔は知っているというのは結構誰でもあったのではないかと思います。特にティーンとなると、同性・異性関係なく自分と同年代くらいの子って何となーく意識するお年頃ですし。
その中でもポールはジョンのことを特に気に留めてたんでしょうね。それくらいジョンの身なりがイケてたのか、それとも身なり以上にジョンの魅力を既にポールは感じていたのか。ともかくも、ポールにとっては1957年7月6日は初対面の日ではなく、ようやくジョンとタイマンで繋がれた日なのです。
ジョンの方はどうだったんでしょうね、この日より以前にポールに気が付いてた時ってあったんでしょうか…いや、ないね。だってジョンは眼鏡かけないで遊びに行ってたんですから、断言して良いと思います。それはない。
出会いの場に立つには
教会は毎年7月6日にこの講堂を一般向けに開放し、When John Met Paulというイベントを開催しています。ギグやオープンマイクなど、ジョンとポールが世紀の出会いを果たした日を音楽いっぱいでお祝いするイベントのようでめっちゃ楽しそう。
さらに、リバプール中がビートルズ楽曲であふれかえる8月末の大イベントInternational Beatleweekの開催期間中もギグ会場として講堂を一般開放しています。しかも両イベントともに、ほぼ毎年Quarrymenが登場!オリジナルメンバーに会える大チャンスのイベントでもあるんですね!
ちなみに今年の7月6日の65周年イベントではオリジナルメンバーの(引ツイ内サムネ左から)ロッド・デイビス、コリン・ハントン、レン・ギャリーが揃ったようです。良いですよねぇ、世界を巻き込んだ大同窓会ぽくて。それもこれも全て、ジョンとポールがあの日出会ってしまったから。
で、例のボランティア男性によれば、上記のイベント以外で公式にこの講堂を一般開放することは無いのだそうです。そのほかで講堂の中に入るチャンスがあるとすれば、私のようにたまたま講堂が開いている日に訪問・教会の方に交渉して中に入れてもらうか、もしくは教会の方を直々に知っている方に仲介してもらうか、ですかね。後者は私も全く術が分からないのですが。男性は、私のような突撃訪問者を見かければ必ず毎回中に入れているとおっしゃっていたので、イベント開催期間以外で中に入れるかはとにかく運次第!訪問をお考えの皆様、健闘を祈ります。多分、平日の方が良さそうです。多分ね。
また講堂内には物販がありましたが、この日はやはりショップを開けられないとのことで買い物はできませんでした。例のメモリアルをプリントしたトートバッグ、Tシャツやポスターなどがあるようです。オンラインでも販売中だそうなので下方にリンクを貼っておきますね。
ラブストーリーは突然に
10年越し、念願の内部潜入でしたが、いやでもこのフレーズが頭に浮かびました。
あの日 あの時 あの場所で
君に会えなかったから
僕らは いつまでも
見知らぬ2人の、、、、、、、、、、ままっ
7月6日にここでジョンとポールが出会わなかったら別の時・場所で出会うことになるのか、それとも全く出会わないのか、そうだった場合2022年の今、私は何に心酔しているのか、ロックは音楽はどうなっているのか。様々な分岐からパラレルワールドが広がるようで、何とも不思議な心持ちになりました。あと、2人が出会わなければ、ビートルズが存在しなけば、みんなその後は違う職を選んだのかなーとか、何よりジョンは殺されずに済んだのかなーとか。
でも出会ってしまったんですよ、出会うべくして。このラブストーリーは突然ではなく必然だったんですね。その因果律で現在の世界が成立しているのですから、ここからビートルズの全てが始まったことを考えると、で、しかもまだ終わっていないことを考えると、2人が出会った場所に実際に立つことは、エベレストや月に立つよりも驚愕すべきことです。訪問から1か月近くが経とうとしていますが、今更ながら武者震い。
そろそろパーティー設営に励む方々の「まだ、おるで…」の目をきちんと気にして次のスポットへ向かうことにしました。もちろん例の男性には重々お礼を申し上げて。本当にありがたかった。
ここまで来れば次に向かうはひとつですね。
Please Place Me④に続く。
●St. Peter’s Shop(教会物販サイトeBay UK)
●St Peter’s Churchウェブサイト
●画像クレジットがないものは筆者撮影
●出典・参考