Please Place Me➀最多リクエストスポット【後編】
いきなりトリロジーになってしまった第1スポット、いよいよトリとなる記事、ポールの家レポになります。最新ニュースになり得ることを聞けたので、ぜひご覧ください。皆様のご声援を受けて無事1万6000字に達した記事になります。
Please Place Me➀最多リクエストスポット【前編】ナショナルトラストツアー予約~集合レポはこちら。
Please Place Me➀最多リクエストスポット【中編】ジョンの家・Mendipsレポはこちら。
では、行きましょう。
20 Forthlin Road
到着
ジョンの家・Mendipsからバスで5分ほど、バス通りMarther Av.から1本脇道に入ると、そこがミミおばさんの言う「向こう側」の地域です。
Forthlinに着いたりん!
ほんとにMendipsから近いんですよ。距離感などについてはまた別の記事でレポする予定なので今回の記事ではポールの家レポに集中させてください。
到着すると、Mendipsとは別のナショナルトラストの職員ガイドさんが迎え入れてくれました。60代くらいのロマンスグレーが素敵なベテラン風の男性で「ハローハロー!…ここでグッバイって言いたくなるけどまだ早いよね」と、粋なガイドを効かせてくれます。(イメージとして話しかけやすいトニー・ベネット)
そのままフロントガーデンで家についての説明が始まります。私もほかの参加者も「記念撮影タイム無いの?」という戸惑いの一体感が生まれたと同時に「撮影タイムは帰る時かな」という安堵の一体感も生まれていました。で、結論から言うと、ツアー通してポールの家で記念撮影タイム無かったんですよね。ガイドさんからしたら恐らく自主的にどうぞ、という感じだったのでしょうけど。撮影タイムを設けるか否かはその時のガイドさんによると思うので、Mendipsも含めて記念写真を逃したくない方には、隙を見てにささっと数枚撮っておくことをおすすめします。20 Forthlin Roadの家も室内での撮影は禁止されているので、シャッターチャンスはフロントガーデンのみです。
ここで問題です。
ポールの家はナショナルトラストとしては大きな例外点がひとつあります。それはなーんだ?以下の画像を見てお考え下さい。
おわかりいただけただろうか…?
正解は、、、、、、、
English heritageなのにブループラークが無い! でした。
正確に言うとブループラークの取り付けができないんですね。これにはもちろん理由があります。著名人が関係するブループラークを設置する場合「その人物が亡くなってから20年、または生誕してから100年を経過していること」という条件があるためです。ブループラークのオーソライズ元は様々ですが、大体このルールに乗っ取っています。
ガイドさんは「だからこの家にブループラークが無いことはある意味喜ばしいことなんだよ」とおっしゃってて、ちょっとウルッとしちゃった。ほんと粋なガイドするぅ。
ちなみに映画「Let it Be」「Get Back」でおなじみ、ロンドンにある元アップルビル 3 Savile Rowにも「ビートルズが最後のライブを行った場所」としてルーフトップ50周年にあたる2019年にブループラークが設置されましたが、人物名が「The Beatles」になっているので、バンドが解散した年を没年として条件をクリアしたのではないかと思われます。
マッカ家、安住の地を求めて…
ポールはビートルズとしてデビューするまで、4人の中では最多の引っ越し回数を誇っています。ポールの年齢とともにその変遷をたどってみましょう。
➀0歳 ジム&メアリー結婚、長男ポール誕生 Everton地区に新居を構える
②0~1歳 Mersey川を渡って空爆の少ないWallesey地区 へ引っ越し
③1~2歳 弟マイク誕生、Knowsley地区のプレハブ小屋に引っ越し
④3~5歳 メアリー育休明け、助産師に復帰しEverton地区の巨大カウンシルフラットに引っ越し
⑤5歳~8歳 Speke地区の新興住宅地に引っ越し
⑥8歳~13歳 Speke地区の私の義実家(ジョージの家)近くに引っ越し
⑦13歳 ついにAllerton地区の20 Forthlin Roadに引っ越し、19歳まで住む
マッカ家大移動の軌跡をビジュアル化してみたかったのでマップにマークしてみました。③④はおおよその場所、★はリバプール中心部の目安です。
さすらいますね。
リバプールを股にかけた大移動は父ジム・母メアリーの仕事の都合によるもの。特にメアリーはカウンシルフラット(公営住宅)家賃補助付きの公的な医療機関で助産師として働いていたため、ベビーブームも相まって助産師が足りない地域への転属令が出るたびに、指定されたフラットへ家族で移動していたそうです。
ポール誕生の頃、リバプールは空襲により瓦礫の街となっていました。終戦後、街の再建が追いつかないままベビーブームを迎え、住宅不足に陥ったことで1940年後半~1950年代にかけて急ピッチで住宅地の建設が行われます。⑤⑥のSpeke地区もまさにそうして出来た住宅エリア。道路の舗装そっちのけで、とにかく住宅を!が優先だったためか「当時のSpekeは歩くだけで泥だらけになったよ」と、ポールも回想しています。
そんなせわしない環境にメアリー自身も滅入っていたのか、私も頑張ってお給金上がったし、息子たちもLiverpool Instituteに合格したことだし、もうちょっと落ち着いたところで、もうちょっと中心部に近い所ないかしら…と次なる住居を探していた折に見つけたのがこの20 Forthlin Roadのカウンシルフラットだったのです。
Mendipsのようなポッシュな家が並ぶバス通りと、警察学校の敷地に隣接する地域なのでSpekeより比較的治安が良かった点もメアリーのお眼鏡にかなったのだと思われます。ポール自身はSpekeの友達と離れるのが嫌であまりこの引っ越しに乗り気ではなかったようですが。
ツアー開始!の、前に
前置きが長くてすみませんが、ポールの家に行く前にできれば観ておいた方が良い動画を2つ紹介させてください。
1.Paul McCartney Carpool Karaoke(英語音声/英語字幕のみ)
英国イチの嫌われ者、ジェームズ・コーデンがホストを務めるアメリカのトークバラエティー番組「The Late Late Show」内の1コーナー「Carpool Karaoke」にポールが出演した時の動画です。ゲストがジェームズと一緒にドライブしながらあれこれトークする内容で、この回ではポールがリバプールの思い出の場所をドライブして回るということで大変話題になりました。そう、ポールが20 Forthlin Roadの家に帰ってくるんですよ!
余談。ジェームズ・コーデンはロンドン出身の俳優兼、脚本家など英米を行き来しながらマルチに活躍する人なのですが、彼がどれくらい英国民から嫌われているかというと、今年夏頃、ジェームズが2023年で「The Late Late Show」のホストを卒業して英国に活動拠点を戻すことを発表して間もなく、コーデンに英国の地を踏ませるなというオンライン署名活動が立ち上がったほどなのです。最終的にどのくらいの署名が集まったのかは不明ですが…。
ガイドさんも「まだ『Carpool Karaoke』見てない人は動画おすすめですよ。ジェームズ・コーデンが気にならなければ」とおっしゃってて、ツアー参加者一同プププーー。私もあんまり彼のこと好きじゃないので、この動画でポールと絡んでるの観るの正直しんどい。
2.Discover 20 Forthlin Road in Liverpool, the birthplace of the Beatles(英語音声/英語字幕のみ)
2022年6月18日、ポールが傘寿を迎えたことを記念して公開された動画。弟マイクがマッカ家の思い出をシェアしながら、20 Forthlin Roadの家の中を1階部分を中心に案内してくれます。
ツアー開始!
正真正銘いよいよツアー開始です。では、こちらもまずはざっくりした間取りをご覧ください。
Forthlin Roadに面する1階玄関のドアから通路・キッチンを抜けてまずは全員裏庭に通されます。
マッカ家の裏庭はローワー一般家庭の平均的な広さ。1963年に行われたデゾ・ホフマンのマッカ家フォトセッションでは、この裏庭でポーズをとる初々しい4人の姿が撮影されています。
この裏庭で欠かせないのは雨どいエピソードです。
ポール少年は鍵を持たずに出かけることが多く、(当時、合鍵という習慣がなかったと推測)うっかり夜中に帰って来て閉め出されてしまった時、寝静まった家族を起こさずに家の中に入るのにこの雨どいが活躍したそうです。雨どいは2階のトイレの窓付近に伸びており、そのトイレの窓は換気のために常に少し開いていたそうで…そうです、お察しのとおりポール少年は雨どいをよじ登ってトイレの窓から家に侵入していたんですね。ガイドさんがここで「“If I'd been out till quarter to three. Would you lock the door?”だよね」と、また粋なことを。
ガイドさんの話によると、例の「Carpool Karaoke」ではカットになったらしいのですが、この雨どいエピソードをポール自ら披露した際、大方ジェームズ・コーデンが「えぇ~どーやってぇ~?」的に大げさに煽ったのでしょう、ポールが至って普通に「えっと、まず足はここでね」と雨どいに手足をかけ始めたので、その日アテンドを担当した職員さんが慌てて止めたそうです。かなりガチめな感じだったそうで、あれは止めてなかったら間違いなく中腹まで登っていただろうと。ポールのショーマンシップはステージの上だけではないことが伺えますね。
ちなみにガイドさん、ポールの声真似を挟みつつこのエピソードを話してくれたのですが、めっちゃ似てた。ガイドの場数がすごそう。
ここでMendips同様、ガイドさんから「荷物を置きたい人はどうぞそちらへー、“You're not gonna carry that weight”ですよー」と、また粋なことっ。で、そちらというのがこの納屋。しかもまさしく写真のポールが立っている納屋でした。当時は石炭を置いていたそうです。地べたに直置きだったら嫌やなと思いつつ内部を覗くと、ちゃんと壁にフックが備え付けてあったので、寒いかと思ってショールやら追加のヒートテックやら何やら入れたリュックをここにかけさせてもらいました。
余談ですが、今年6月にもこの家を訪れた際、(この時はツアー参加はせず付近のパトロールのみ)こんなツイートをしていました。
トイレ、今も借りれますよ!!!!!!
お手洗いご自由にどうぞ、とガイドさんから案内があったものの、「トイレ行きたい人どうぞー、じゃ中に入りましょうねー」てな感じで、用を足す人は待たないスタンスだったので結局誰もトイレには行きませんでした。そのためトイレ内部を確認できていないのですが、ポールの家で置き土産を残したい方は念のためティッシュを持参しておいた方が良いと思います。手洗い場もない可能性が高いので、ハンドサニタイザーや除菌シート的なものも。あと、寒い時期の場合、四方に壁があるとはいえ冬のリバプールの屋外で素肌の一部を丸出しにするのは相当厳しいものがあると思うので、ご覚悟を。
いきなりみどころ、キッチン・ダイニング
ではもっかいざっくり間取りを。
トイレチャンスが与えられないまま勝手口からキッチンへと案内されました。Mendipsよりもさらに小さいキッチンで、お互いほぼ密着しなければ12人の大人が収まりきれる広さではありません。先ほど裏庭に出るために一度素通りしたキッチンですが、ここ、かなりのみどころです。Mendips同様、マッカ家がこの家を離れて以降、全体的な内観が変わってしまい、現在の20 Forthlin Road内部はほとんどレプリカではあるものの、このキッチンだけはシンクやレンジ以外はほぼ当時のままなのだそう。
クリーム色の壁、床のタイル、備え付けの戸棚などは正真正銘当時のもの。
先述のとおり、デゾ・ホフマンのフォトセッションにて確実に4人がこの家に揃っていたことは明らかなため、ガイドさんの話では「この前案内した時、バンクーバーから来てた女性のお客さんが『じゃあ、まさにこの床のタイルを4人が歩いたのね!』って、床にキスしてましたよ」と、なかなか強靭なファンの方がいらしたそうです。興奮する気持ちは分かるけど、床にキスって衛生面大丈夫なん?と思う反面、床にキスできない自分はまだまだなのだろうか…。
キッチンのすぐ隣にあるのがダイニングです。このダイニングもかなり小さく、家族4人用のテーブルを置いたらもうパンパンなのではないかと。しかしメアリーの死後、食事は隣のリビングで膝の上に皿を乗せてテレビを観ながらとるようになった(当時の全英の全ママたちが怒るやつ)ので、空室となったダイニングはやがてジョンとの曲作りに励むリハ室になったそうです。そして、ここでShe Loves Youが産声をあげるんですね。
マッカートニー・ポールのすべらない話として度々披露されるこのエピソードはガイドさんもポールの声真似でおさえていました。昨年出版された鈍器本『The Lyrics』のShe loves youのページにももちろん記述があります。
『The Lyrics』といえば、UK版の収納ケースのカバーにはマイクが撮影した、裏庭でギターを弾く若き日のポールの写真が採用されていましたが、これはこのダイニングの窓から撮影されたものだそう。「Chaos and Creation in the Backyard」のジャケにもなっていましたね。ポールお気に入りの1枚だそうですが、私もこの写真大好き。構図の黄金比超えているのでは?と思えるくらい、とても美しい。
母こだわりのリビングルーム
リハ室でも大人12人ぎゅうぎゅうだったところ、リビングに案内されてようやく少しゆとりが持てました。リビングに入ってまず目を引くのが中国画の壁紙。ところがこの壁紙は部屋の四方をカバーしていません。リビングのインテリアはメアリーがアレンジしたそうなのですが、予算が厳しく、1面分しかこの壁紙を購入できなかったそうです。残る壁3面も同じ理由でつぎはぎ状態となっており、この部屋には異なる3つの柄の壁紙が貼られています。さらにカーペットも予算が厳しく、3枚のカーペットをメアリーが縫い合わせて大きな1枚に仕上げたのだとか。
貧しくても納得のいく居心地の良さを追求したい、というメアリーのこだわりが垣間見れます。今日のリビングはレプリカながらその様子が再現されていたのが非常に印象的でした。
メアリー亡き後、その淋しさを埋めるようにリビングには音楽があふれました。まず上の画像にも写っているピアノ。これは当時(ポール、エピーともお互いを知らない頃)エプスタイン家が営む家具店から購入したもので、ポールはもちろん、ミュージシャンだったジムが弾いていたピアノです。展示しているものはレプリカですが、実物のピアノは現在、ポールがEast Sussexの自宅にて所有しているそうです。
ちなみに、ポールも触れたこちらのレプリカピアノは全然弾いてOK!ポールとの時差連弾を楽しみたい方はぜひ演奏曲をご用意ください。ガイドさんの小噺では、先日案内したツアー参加者の方がこのピアノで「Bohemian Rhapsody」を華麗に披露したそうで、「家、間違えてますよ」の空気感がすごかったとか。
そしてこのリビングでもリハ室同様に、ジョージとのセッションやジョンとの楽曲作りが行われました。
Youtubeでは「兄とジョンが曲を作って演奏しているところをここで見てた。この部屋にたった3人、自分はあの時音楽の歴史を目撃していたのだなと思うと、大変光栄なことだと今さらながら気づくよ」(意訳あり)とマイクがリビングでの思い出を語っています。
ちなみに記事の【前編】にてイメージ参照としてご紹介した映画「ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ」でも最後の方にこのリビングでのセッションシーンがちらっと出てくるのですが、Mendips内部の素晴らしい再現率とは対照的に全く20 Forthlin Roadを再現する気がないんですね。インテリアはともかく間取りが全く異なっていることから、「ジョン特化映画ですから、ポールの細部はいいんですキリッ」という強い意志を感じて、私は非常に好感を持てるんですけども。
マッカ兄弟の部屋と長めの余談
では、すんません、2階に移動するのでもっかいだけざっくり間取りを。
リビングから2階に移動し、マイクの部屋に通されました。ダイニングよりも若干狭い上にベッドやデスクがあるため身を置けるスペースがさらに限られており、大人12人、というか今気づいたけどガイドさん入れて13人、お互い助けあってぎゅむむっとしないと全員が入りきれない厳しい状況。
このぎゅむむ状態でガイドさんから2階について一通りの説明があり、自由行動時間となりました。
裏庭向きのこのマイクの自室はSpeke地区から引っ越してきた当初、ポールとの相部屋だったそうです。ほんと仲の良い兄弟ですよね。その後ポールが自室に選んだのはForthlin Road向きの小さな部屋。弟に大きな方を譲った兄の優しさ…ではなく、単にこちらの方が日当たりが良いことが理由だったとか。ただでさえ狭いのに角にものすごい邪魔なでっぱりがあるせいでさらに狭いポールの部屋。自室が小さいというのはジョンとも共通していますね。
この家は警察学校に隣接していると先に述べましたが、学校は今でも家の真裏、裏庭の隣に位置しています。マイクの部屋の窓から外を覗くと、大きな芝生のグラウンドからMerseysideポリスのタマゴちゃんたちがぞろぞろと学校の建物へと移動している様子が見えました。
長めの余談。
数年前にTwitterのTLにて「リバプールの警察学校で1950年代に撮影された資料映像にて、遠くに20 Forthlin Roadの家が映っている」というツイを拝見しました。さらに「家のブロック塀の上に確認できる人影はポール説」があるとのこと。その説が事実だとすれば、現存する最古のポール映像になるそうです。そのツイには映像のYouTubeリンクが貼ってあったので私も確認してみましたが、ノイズが少ない画質ではあったものの、モノクロの上ぼやけていたのではっきり判別できず。変な高さのとこに何か白い塊?数人?おるな、くらいの印象でした。人と言われれば人っぽい、みたいな。今回、再度確認すべくYouTubeを探してみたのですが、残念ながら映像は削除されているようです。
ツイの元記事になったのは恐らくLiverpool Echo発のこちら。
記事によれば、映像は1958年に撮影されたもので、毎年夏に警察学校が開催していた乗馬ショーなどの様子を記録したものだとか。ポールの伝記本『Many Years From Now』内や、ポール自身の証言から”ポールはマイクと騎馬警察隊の訓練の様子をForthlin Roadの裏庭/マイクの部屋から見ていた”との内容の一致が確認できるそうで、説の信用性は極めて高く、しかも1958年といえばジョンがポールの家に入り浸っていた頃なので、「映像にはジョンもいる説」も大いにあると。かのマーク・ルイスン大教授も驚いているようだと記事は伝えています。
そこで動いたLiverpool Echo、ぃよッ、さすがリバプール密着型。マイクに直々にこの映像を確認してもらったそうなのです。そこでマイクの回答…
ということで限りなくYesに近い証言が得られたようです。あとこれ、Yes/No断言しないでファンタジー要素を残してくれるめちゃくちゃ素敵な回答だと思う。
トイレ発!最新ニュース!!
ガイドさんのお話では、例の「Carpool Kareoke」以降、それまで誰も見向きもしなかった2階のトイレが20 Forthlin Roadの大人気スポットになったのだとか。その理由がこちら。
Mendipsのエコーチェンバーがポーチなら、マッカ家のエコーチェンバーはトイレだ!
トイレの外と内では音の響き方が違うことを発見したポール少年は早速トイレにギターを持ち込み、そこで何時間もギターをかき鳴らしていた…「Carpool Kareoke」内でその思い出をポールが語ったことから、トイレの響きを確認しようと参加者が必ず足を止めるスポットになったそうです。今回のツアーでは私以外の参加者の方々はトイレにさほど関心を示していなかったので、ゆっくり内部を見ることができました。もちろん私もポールと同じく柏手を打ってみたり。うーん、微々たる響き。その後、私と入れ替わりにトイレに入ったご婦人が恥ずかしそうにぱふっと柔らかく手を叩いていたのが可愛かった。
それにしても、ジョンもそうなのですが、ポールは少年時代から音にこだわりがあったんですね。これって楽器やってる方には結構わかりみ案件なのですか?
そ・れ・で・ですよ、何が最新ニュースかというとですね。その昔、このトイレにはジョンとポールが施した無数の落書きがあったそうなのですが、次の家主だかマッカ家の親族だか(メモしたのに字が汚くて判別不能)とにかく誰かが落書きされた壁をペンキで塗り直してしまったため、何が書かれてあるのか全く不明のまま塗料の中に葬られてしまったのです。当事者のポールも何を書いたのか記憶にないとのことで、その落書きは幻となり「Beatle Doodle(=ビートルのいたずら書き)」と呼ばれるようになりました…
しかしそれも2022年11月までの話!
ガイドさんのお話では、最近、古文書や古代の美術品などを解析・解読するようなエキスパートの方々がこの家にやって来て、特殊な機材でペンキの下に何が書かれてあるかを解読する試みが実施されたのだそうです!その一連の様子をBBCがドキュメンタリー番組として撮影していたそうで、早くて今年の11月には放送される予定だとのことでした。
ただ、あくまでも全て予定なので、落書きの内容によってはオールお蔵入りになったりするのではないかとも思われます。何が書いてあるのか知りたい反面、ティーンの爆発力に任せて書いてしまったような即お蔵になるくらいの内容であってほしいなとも思ったり。まぁ、さすがに自宅にそこまで過激なこと書かないか。
自由行動も程よく終えた頃に、ガイドさんから再び全員リビングに集まるよう声がかかりました。ガイドさんがおもむろにオーディオのスイッチを入れると I Saw Her Standing Thereのイントロが流れ、それに合わせて小さくツイストするガイドさん「ナショナルトラストと雇用契約した時にね、ダンスも雇用条件に入ってたんですよ」で、ひと笑い。イントロがフェードアウトし、続けて流れてきた誰かさんからの短いサプライズメッセージを聞いて、ツアー終了となります。12:25頃~13:10頃まで、こちらも約45分ほどの滞在でした。
以上が20 Frothlin roadハイライトのレポ、以降はまた私の感想を残しておきたいと思います。
20 Frothlin roadに寄せる感想
こちらも10年前のツアー参加時に感じた印象と同じなのですが、Mendipsとは対照的にとても明るくて温かな雰囲気の家なんですね。前回の訪問時よりも色々と見漁って来たせいか今回特にそう感じたので、ガイドさんに「Mendipsの方が家のグレードは上かもしれないけど、ポールの家の方がずっとが素敵な感じがします」と話しかけてみると、ガイドさんは「はぁ、そんな意見もあるんだねぇ」と、若干返答に困っていたように見えましたが、近くにいたご夫婦が「私たちもそう思う!!!!!」とフルパワーで同意してくれました。
Mendipsと同じくほとんどレプリカなのに、まだマッカ家が住んでいそうな生活感を感じられます。ただ、これはマイクが残した膨大な家内部の写真が資料となって、Mendipsよりも再現の正確性が高いというアドバンテージが理由でもあると思いますが。ちなみに、そうしたマイクが撮影した写真は各部屋にたくさん飾られてありました。
南向きの日当たりの良い20 Frothlin roadの家の窓にはメアリーのアレンジだったというレースのカーテンがもれなくかかっており、レースを通して差し込む柔らかな日差しが、家中を包んでいるように感じました。特にリビングは先述の通り、メアリーのこだわりが詰まった部屋。家の中で一番大きな窓からふんわりと広がる光は一家4人の時間を明るく照らしたのだろうなと。
メアリー自身もとても明るく、一家の稼ぎ頭だったこともあってどしっと構えた人だったようです。 ”Let it Be” とよく口にしていたというのは有名な話ですが、兄と同じくマイクもLiverpool Instituteに合格が決まった時、作っていたケーキの小麦粉を放り出して粉まみれで喜んでマイクに抱きついたのだとか。そんなママがいる明るいリビングがさらにどれだけ明るかったことか、想像に難くないですよね。
このような思い出から、ポールのEast Sussexの自宅はレースのカーテンだらけだとの話もあるそうです。
しかしメアリーはポール14歳、マイク12歳の時にガンで亡くなります。20 Frothlin roadに引っ越してまだ半年ほどの時でした。新しい家でやっと生活が落ち着いてきたところ、母の死は家族にとって到底乗り越えられる兆しがあるものではなかったとポールは回想しています。
父と息子2人、家の中も心の中も荒む生活を送るも、やがて兄弟はその巨大な失意に「創造性」をもって立ち向かいます。ポールは音楽、マイクは写真ですね。ポールはこのことを「母の死後は自分の殻に閉じこもることを覚えたよ」と、外界の哀しみと自分を切り離すことで音楽に向かったような発言をしていますが、その基盤には家の物理的な明るさというポテンシャルが存在していたのではないかと、この家を実際に訪れてみて感じました。ただでさえ深い深い哀しみに沈んでいる折、家に差し込む光が兄弟の「創造性」を助けた部分もあったのではないかと。年間通して日照時間が少ない英国では、日光というのはそれくらいの死活問題なのです。
もちろんその「創造性」を父ジムが支えたことも大きかったと思います。ジム自身がミュージシャンだったこともあり、ものつくりへ没頭していく息子たちへの理解は自然なことだったのでしょう。
ちなみにこの驚き顔のジムの写真は、新しいカメラのフラッシュの試し撮りをしたかったマイクが、ジムの背後に忍び寄り「パパ!」といきなり声をかけたと同時にシャッターを押したもの。メアリー亡き後、ジムが仕事から帰って来てすぐに洗い物を片付けていた瞬間だそうです。だからビシッとスーツなんですね。この直後マイクはジムにめちゃくちゃ怒られたらしいですが。
ポールとマイク、もともと兄弟仲が良かったこともありますが、それぞれが没頭する対象への理解があったのもお互いの「創造性」への支えになったのではないかと思います。マイクは当初ドラマー志望で練習熱心だったこともあり、兄がトイレにこもって延々ジャカジャカやっているのも驚くことではなかったでしょうし、ポールはポールで何かにつけてレンズを向けてくる弟をそんなに邪険にしなかったのではないでしょうか。でないと、あんなに大量のビートルズ前夜の写真は残らないはずです。
マイクのインタビュー記事で上記を象徴するような非常にシンプルな一言があったので、引用しておきます。
これ、さりげなく話しているようですが、もちろんこの間マイクもマイクの世界を創っていたわけで、ポールもその様子を身近でずっと見ていたでしょうし、そう考えると良い距離感でお互いの世界をリスペクトしていたのだろうなと。
ポールもマイクも、音楽と写真という自分の得意分野を母に見せられなかったことがとても残念だと話しているインタビューが散見されますが、母亡き後、”自分の世界” を何とかカタチにしようともがいていた兄弟がいた部屋には母が残したレースのカーテン、そのカーテンからもれる優しい光はそんな兄弟を温かく見守っていたはずです。
で、どうしてもMendipsと比べてしまうのですが…。母が残した光に包まれた家で育ったポール、母が去った影だけが残された家で育ったジョン。母の死という大きな共通点を持ちながら、それぞれ対照的な住環境で育まれた異なる「創造性」がレノマカ楽曲の独自のエッセンスのひとつになっていくわけですね。これは2人の家に実際に行ってみて、かなり実感しました。
ポールもドキュメンタリー「McCartney 3,2,1」などで言及していましたが、ポールが「We can work it out(何とかなるよ)」 とイージーに行けば、続くジョンは「Life is very short(人生は短いから)」とシビアに返す。歌詞をも転調させてしまうこの「We Can Work It Out」の部分は特に如実だなと思います。
この家から才能が開花し、そうしたビートルズ期・ウィングス期などを経てSirになり、今年生誕80を迎えたポール・マッカートニーが在るのだ思うと、この家はポールの根幹の根幹なのだなと。
20 Forthlin Roadはとてつもなく哀しいこともあったけど、それも含めて創作力・活動力(ついでに三転倒立力)にみなぎっている今日のポール・マッカートニーを形成している家族の思い出が満ち満ちた光の家。家族4人が確かに肩を寄せて暮らしていた ”狭いながらも楽しい我が家、愛の火影のさすところ”。そんな古い一節が聞こえてきそうなファミリーホームでした。
ツアーが終わると本来バスで集合場所まで戻ることになるのですが、私は【前編】でも述べた通り、Speke Hallへは戻らない旨を運転手のおじさんに伝えていたので、ここで1人解散。ポールの家の玄関で再々度おじさんから「路線バス乗ってね」の念押しをいただきました。しかも強めに。
バスに乗り込むツアー参加者をガイドさんが「You're such a lovely audience. I'd like to take you home!だけど、またね~」と最後の最後まで粋にお見送り。バスが出発したところで振り返ったら、怪しい東洋人がまだいたのでなんか気まずそうだった。
ここでバスを降りたのはもちろん次のスポットへ向かうためであります。
さて、次はどこへ行くのか。
Please Place Me②へ続く。
●画像クレジットがないものは筆者撮影
●出典・参考