Please Place Me⑤リバプール・イン・ブロンズ~行政の街角~【中編】
前編では長らく個人の思いを垂れ流してしまったので、中・後編ではリバプールに存在しているビートルズ関連の銅像をレポとしてまとめてみました。そしていかに地方行政リバプール・シティ・カウンシル(以降、行政と呼びます)がそれらに関与していないのかも引き続きネチネチ1万9000字にして言うていきます。
一体どんなものを前編で垂れ流したのか、ご興味のある方はこちらからどうぞ。
では、行きましょう。
ビートルズ銅像ハント on Mathew Street
まずはビートルズ像が密集しているMathew Stから出発です。前編と同様に銅像が位置している住所やポストコード(郵便番号)と、近隣の目印になるような店や建物もリストしておきます。地図アプリでそれらを入力すればルート検索にお役立いただけると思うので、ぜひご参考ください。
※ご紹介する銅像は有料施設外のエリア、かつ私が知る範囲のものに限ります※
➀エリナー・リグビー像
ポストコード: Stanley St, L1 6AL
近隣店:Casa Italia(銅像の向かいにあるイタリアンレストラン)
検索ワード:Eleanor Rigby Statue
歌手のトミー・スティールが自ら行政にエリナー・リグビー像の企画を提案したことで制作が実現、1982年に設置された像です。正確にはMathew Stではなく、突き当りの通りにあるStanley St がスポットになります。驚く勿れ、なんとこの像の制作者はトミー・スティール自身!彼は1950年代後半~1960年代に活躍したスキッフル/ロック歌手で、イギリス初のティーンアイドルとして有名なのだそうです。当時あのクリフ・リチャードと並ぶ人気者だったとのことで、全英のティーン女子たちを大いにメロメロにしたのでしょう。
そんなアイドル歌手としてのキャリアが少し落ち着いた頃から彫刻家としての活動も始めたそうです。そんな折、1981年の自身のリバプール公演の際に行政に赴き、銅像の制作を自ら手掛けることを直談判したそうですから、いかに本気だったかが伺えますよね。その功績が讃えられ、2003年、非リバプール出身者にもかかわらずトミーには栄誉スカウサーの称号が贈られました。この称号、英語では“Adopted Scouser/Liverpudlian”と表記されるようですが、直訳すると「養子のリバプール民」ってのが良い。
銅像のモチーフはもちろんビートルズの楽曲「Eleanor Rigby」ですね。トミーがなぜ銅像制作にあたりこの楽曲をモチーフとして選んだのかは分かりませんが、銅像が設置された1980年代の初頭、イギリスは奇しくも現在と同じくインフレによる物価高騰が止まらず、リバプールを含めた地方都市は経済的な打撃を被っていました。像の背後にあるプラークには「DEDICATED TO "ALL THE LONELY PEOPLE" =全ての孤独な人々に捧げる」との刻印があるので、そんな決して明るくない世の中に生きるリバプール市民に寄り添う象徴としての「Eleanor Rigby」というチョイスだったのかもしれません。
しかしこのプラークは2015年に盗まれてしまいました…。
そしてここからエリナー・リグビーのバンダリズムとの闘いが始まります。
2019年には像の右手、ベンチの上に置いてあったエリナーの新聞が置き引きに遭い、、、
新しいプラークが設置されたものの悲劇はさらに続き、2023年1月にはついにベンチが破壊されてしまいました。こうした蛮行をニュースで見るたびに思うのですが、こんな強固で頑丈なものを盗んだり破壊したりするモチベーションは何なの?どこから来るの?
2023年2月現在、エリナー・リグビー像は修復中だそうです。再設置の時期は不明とのことですが早く帰ってきてね。
②The Beatles Shop
住所・ポストコード: 31 Mathew Street, Liverpool L2 6RE
店名・検索ワード:The Beatles Shop Liverpool
エリナー・リグビーに別れを告げ、Mathew Stをマージ―川方面に歩いていくと見えてくるのが1983年にオープンした老舗のビートルズメモラビリア専門店The Beatles Shop。その入口頭上にビートルズ像があるのですが、実はこれがリバプールで初めて制作されたビートルズの銅像なのです。世界中のビートルズファンから寄付金が集まり地元彫刻家、デイビッド・ヒューズにより制作されました。記念すべき第一号にもかかわらず、そのことを示すプラークが控えめすぎるため(入口右手の四角い板がそれ)見逃されがち。
メモラビリア店って玄人がたくさんいて入りにくいんでしょ…?いえいえ、そんなことはありません。メモラビリアはオークションでの販売を主に行っているようで、店頭では価格もお手頃なビートルズグッズが多く並んでいます。なので店内も普通のギフトショップのような雰囲気ですよ。店主のステファンさんもとても気さくで、以前ジョージのビンテージブローチを購入した際、こんなお話を聞かせてただきました。
中心部にはビートルズグッズを扱うギフトショップがほか数店舗ありますが、ビートルズ関連のお土産を買うならここThe Beatles Shopが断然おすすめです。特にこの店オリジナルのトートバッグなんていかがですか?わかる人にはわかる、ツウな代物ですよ。
The Beatles Shop
月~土曜 09:00~17:30営業
日曜 10:30~16:30営業
③ビートルズ群像 at Rubber Soul
住所・ポストコード: 9 Mathew St, Liverpool L2 6RE
店名・検索ワード:Rubber Soul
Rubber Soulというパブの店内に設置されたビートルズ像です。(諸事情で立ち寄れなかったので画像は全て各メディア様より拝借しております)ここね、すごいんですよ。何がすごいって、4人の銅像が3組あるのです。まずは上のベンチ周りの銅像画像が1組目。
こちらは言いたいことはわかるけど結局誰だか分からない2組目。
そしてマージ―川沿いに設置されている銅像の縮小バージョンの3組目です。
12体全て店側が銅像を購入したり、制作を依頼したそうです。彫刻作品、特に銅像って人のサイズに近いものを1体作るだけでもかなり高額なはずなのですが、これだけ揃えているところを見ると、相当店が繁盛してるんだなと思います。というか確実に繁盛してます。
Mathew Stはリバプール民憩いののんべえ横丁で、リバプール市内はもちろん近隣の街からも酔いたい人々が集う場所。通りはライブステージやカラオケを完備したパブとバー、そしてクラブが軒を連ねています。その中でも週末の夜に随一の盛り上がりを見せているのがこのRubber Soul。言葉を選ばずに言うとMathew Stで一番うるせー(笑)。大爆発音でパーティーピーポーたちがウェ-イ↑しています。なので店の儲けで銅像代が賄えるのは不思議ではありません。
ちなみに週末の夜のMathew Stはこんな感じ。通り全体が酒臭いです。
Crazy and Mad Saturday Day & Night Fever - Mathew Street - LIVERPOOL - England I City Walk
ということでRubber Soul店内の銅像たちとにぎやかに写真を撮りたい方はぜひ週末の夜に。ゆっくり写真を撮りたい場合は午前中~昼がおすすめです。
Rubber Soul Bar - Matthew Street - Liverpool
Rubber Soul
月~日(定休日なし) 10:00~翌02:00営業
④Cavern Walks
住所・ポストコード: 8 Mathew St, Liverpool L2 6RE
近隣店:Chantilly Beatles Cafe
検索ワード:Cavern Walks
Mathew Streetにあるショッピングセンター、Cavern Walks内にて1984年に設置されたビートルズ像です。オリジナルのキャバーンクラブがあった場所の真上に鎮座しています。②でご紹介したThe Beatles Shopのビートルズ像はあくまでも店の装飾品なので、公共物かつ記念碑という位置づけのビートルズの銅像という意味ではこの作品が実質リバプール初。レコードデビューの1962年から22年目にしてやっと街の彫刻モチーフになったんですね。
ところが、この像かなり分かりにくい場所にあるので観光客の接触率は非常に低いと思われます。分かりにくい、というか入りにくいんですよね。銅像があるCavern Walksの入口はこんな感じなのですが、、、
一歩中に入ると…えっ、、えっ、入っていいんすか?
どうですか、この入りにくい館内。1人だと入るの躊躇する、というか普通になんか怖いですよね。これでも営業中、全然入ってOKなのですよ。このCavern Walksと、同じ建物続きとなる現在営業中のキャバーンクラブは、地元の大手保険会社をオーナーに据え1984年4月26日に一斉オープンしました。今現在に続くリバプール再開発の先駆けとなった複合施設プロジェクトとして建設され、ハイブランドファッション店などが軒を連ねるショッピングセンター兼オフィスビル、そして地下には伝説のライブベニューということで鳴り物入りの登場だったようです。
時は80年代初頭、前述のとおりイギリスはインフレタイム真っ只中。地方の経済難をどう打破するかに知恵を絞っていた行政はこの頃、ビートルズって観光資源になるんじゃね?と気づいたようで、観光客を呼び込む経済ブースターとしての希望を託されたのが新生キャバーンクラブとこのCavern Walksだったのです。ちなみにこれまで➀②で紹介した銅像も80年代初頭の設置ということで、Mathew Stを盛り上げようという気運が高まっていた時期だったんですね。もちろん施設の建設にあたり行政から許可が下りたわけですが、資金源の可能性が見出せたから一度壊したMathew Stの片側をもっかい作ろう、ってなんかね、それが行政の仕事というのは理解しておりますが、なんかね。
80年代初頭といえば我々にとって、いや世界にとって非常に痛ましい事件が起こりました。そう、ジョンの死です。当時開発段階にあったCavern Walksの設計を担当していた建築家のデイビッド・バックハウス氏は1980年12月9日の早朝にジョンの訃報を受け、その朝のうちに設計デザイン図を完成させたそうです。「ジョンの死により、”Mathew Stとビートルズの深い縁故をここで絶やすわけにはいかない”という強い使命感に突き動かされて書き上げた」と氏は語っています。いわばCavern Walks自体がジョンへのトリビュートなんですね。
さらにCavern Walksから現キャバーンクラブまでの外壁の一部にはジョンの前妻シンシアによるデザインが施されています。鳩とバラを主なモチーフに、ジョンへの哀悼の意を表するとともに、平和への願いを込めたデザインにしたそうです。さすがアートカレッジ卒。
そして何よりジョンへのトリビュートとなったのがこのビートルズ像だったのです。制作の企画はもちろん行政ではなく、建物のオーナーである保険会社。制作は彫刻家のジョン・ダブルデイ氏に依頼されました。ちなみにこのダブルデイ氏はロンドンのベイカーストリートに立つでっかいシャーロック・ホームズ像を手掛けた彫刻家としても知られています。当初ビートルズ像は屋外の設置が予定されていたそうですが、資金不足のためCavern Walks内に収められたとのこと。それでも当時は買い物客で賑わっていたので、屋内設置でも人目に触れる機会は多かったと思われます。
ところが2008年からCavern Walksは衰退の一途をたどることに。原因はこれ、さらなる再開発により誕生した大型ショッピングセンターLiverpool Oneです。
ファストファッション店やレストランエリア、映画館も完備しているいわばイオンのような商業施設でCavern Walksは一挙に客足を盗らてしまいました。エピー像があるWhitechapelのショッピングエリアの動線上にLiverpool One が位置しているのもCavern Walksが孤立する要因になったと考えられます。以降Cavern Walksからテナント撤退が止まらず、今日まで長い間閑古鳥が大合唱している状態。せっかくのビートルズ像も現在では人が寄り付かないままひっそりと佇んでおります。にしてもひっそり過ぎる。
2022年に撮影されたCavern Walks内部の映像がありました。2分で館内全て見終われるってのがなんか切ないですけでも。
Walk Through virtual tour of Cavern Walks Liverpool 4K video
2023年2月現在、Cavern Walks内で営業しているテナントはなんか怪しい電子タバコ屋とカフェくらいです。カフェはChantilly Beatles Cafeという店舗で、お安めの大衆食堂メニューが豊富。素泊まり宿泊の際、私は必ずここで朝食をいただきます。イングリッシュブレックファスト£3.95はロンドンじゃあり得ませんよ、やっす。
Chantilly Beatles Cafe
月~土(日曜定休) 09:00~17:00営業
そんなわけでカフェと電子タバコ屋は営業しているものの、Cavern Walksは現在こんなことになっております。なんか、めっちゃ改装中。
というのも、このCavern Walks、再び再開発の手が入り新しい施設に生まれ変わろうとしているのです。2018年、新たなオーナーがこの建物を購入し、Cavern Walksにビートルズインスパイアのラグジュアリーホテルをオープンすることを発表しました。ライブシアターや映画館、博物館のような展示エリアも併設する計画だそうです。
オーナーのクレイグ・グリーンウッド氏は34歳の若き不動産投資家。彼いわく「あらゆる面でビートルズがリバプールにもたらしてくれたものを考えると、私自身がその歴史の断片を所有し、そしてその断片をこれからの時代に形として残していけるというのはとても光栄なこと。この場所の歩みと伝統に敬意を抱きながら、歴史に新章を刻めることを楽しみにしています」とのことで、非常に素晴らしいですね。元々ある歴史資源を保護・再生・利用して遺していく、私が求める再開発はこれなんですよ!
このままだとCavern Walksに未来がないのは明らか、それどころか行政主導でまた建物を破壊される可能性も高いですからね。このホテルのオープンはそれを防ぐ有効な手立てになることは間違いないでしょう。勝手ながら、グリーンウッド氏のインタビューから「Mathew Stの破壊を二度も繰り返させない」という意思を感じました。ほんとに素晴らしい、ありがとうグリーンウッド氏。
ホテルの名称はCavern Walks Hotelとなる予定だそうで、2022年10月に館内のイメージ図が発表されました。グレードとしては高級ホテルを目指すようですが、宿泊の価格帯が気になるところ。2023年の夏から一部の客室をオープンできるように調整を進めているそうです。
肝心のビートルズ像は現在、改修工事に伴い、避難を余儀なくされているようでCavern Walksの空き店舗に放置、いや保管されていました。
いや、やっぱ放置っすね。
ホテルがオープンする時にはきっとまた設置されることと思います。かつてのようにたくさんの人にこのビートルズ像を見てもらえると嬉しいですね。あんま似てないけど。
⑤Four Lads Who Shook the World
住所・ポストコード: 9 Mathew St, Liverpool L2 6RE
店名・検索ワード:Eric's Live
「Four Lads Who Shook the World=世界を震撼させた4人の若者」の文言とともにマドンナが赤ん坊を抱いている像。1974年に設置されたこの像こそがリバプールで初めて制作されたビートルズ誕生の地を示す記念碑なのです。初めてリバプールを訪れた際どうしてもこのマドンナ像と一緒に写真を撮りたくてMathew Stを5、6往復したものの全然見つからず、泣く泣く捜索を打ち切りました。そして数年後の2回目の訪問時、きちんと下調べをしてやっと発見。そら見つからんわけですよ、だって、、、
こんな上にあると思わんやん!!というわけで、思いもよらずかなり上に設置されていために地べたを這いずり回って探していた初訪問時には絶対に見つからなかったわけなのです。全ガイドブックはそゆことちゃんと書いといて!!と、当時思いました。
このマドンナ像は地元ラジオパーソナリティーを務めるピート・プライス氏の提案により制作されました。彼はビートルズやシラ・ブラックのキャバーンクラブでのギグを実際目にしたのはもちろん、ピート・ベストの電撃交代に猛抗議するなど、キャバーンクラブ全盛期とともに青春を過ごした人物なのです。今や世界の中心にいる同郷4人組が、リバプールのこの地に確かにいたことを示すために「地元ヒーローを讃える銅像を」との要請を出したものの、行政は難色を示すんですね、やはり。そこでプライス氏は地元密着型新聞Liverpool Echoに投書してメディアを巻き込んでのキャンペーンを開始。ビートルズファンや地元民など多くの賛同者と十分な寄付金を集めて、銅像の制作を地元彫刻家アーサー・ドゥーリー氏に依頼しました。
完成したマドンナ像はオリジナルのキャバーンクラブがあった向かいの建物、の上部に設置されました。前編でも述べたとおり、行政及びブリティッシュレールに強制退去を命ぜられて向かいに引っ越したため、マドンナ像の設置時にはキャバーンクラブがここで一時的に営業を再開していたんですね。当時の仮キャバーンクラブのオーナーは二つ返事で設置に許可を出したそうです。
余談ですが、その後この仮キャバーンクラブは1973年に営業を開始した後1976年に閉業、同年Revolution clubとして再開、さらにその同年にはEric's というライブベニューに変わります。このRevolution clubとEric's ではザ・クラッシュ、ラモーンズ、そしてセックスピストルズなどがギグを行ったそうで、ここもまた70年代後半から80年代までのリバプールの音楽シーンを盛り上げた伝説的な場所なんですね。1980年に一度閉業して現在はEric's Liveという名前で営業を続けています。
前編でご紹介したオリジナルキャバーンの淋しすぎる入口跡はこのマドンナ像のはす向かいにあります。2017年にシラ・ブラックの銅像(ちなみにこちらも行政ではなくご遺族の提案による制作)が入口跡に設置されたので以前よりは足を止めてオリジナルキャバーンクラブの存在に気付く人が多くなったようには思いますが、やっぱもうちょっと派手にしてほしい。
2022年6月ローリング・ストーンズがリバプール公演を行った際、ミック・ジャガーが特に人だかりに囲まれることなくここで普通に観光していたのはなんか微笑ましかったです。
ところでなぜリバプール初のビートルズ記念碑なのに4人がモチーフではないのか?すなわちビートルズ4人の姿の銅像を制作しなかったのか?それは制作者のアーサー・ドゥーリー氏が抽象的なフォルムの宗教彫刻を主に手掛けていたから。そのため写実的な人物彫刻はちょっと専門外だったのではないかと思われます。
だからこの像もちょっと宗教彫刻っぽいですよね。このマドンナは母なる街リバプールを表しており、抱かれる赤ん坊は彼女が生んだ=リバプールが生んだ子供たち、というコンセプトなのだそうです。マドンナの周りには4人の子供たちの名前のイニシャルが確認できますね。マドンナの左手にあるプラークには旧約聖書から『エレミアの哀歌』と思われる数節を抜粋して表記しており、「かつてこの地はあんなににぎやかだったのに」という子供たちの巣立ちに寄せるマドンナの淋しさを代弁しています。
しかし…このマドンナ像、よく見ると抱っこしている赤ん坊は3人。もう1人はなんかすごい単体ですよね。なぜマドンナは4人全員を抱っこしてあげないのか?これまたなかなかのバンダリズムストーリーが存在しているのです。
1974年の像の完成時、実はマドンナはしっかりとその腕の中に4人の我が子を抱いていました。その貴重な画像がこちらです。
どの子がいなくなったかお分かりでしょうか?ちなみに名前のイニシャルも若干現在と違うんですよね。1995年に一度修繕されたようなのでその時に現在の仕様に変更されたのかもしれませんが、今はもう無い左上の「M」は恐らくマドンナのM、右上の「r」に似たアルファベットは謎です。ポールのPであることは確かなのですが、何文字?
では本題に戻って現在のマドンナ像と比較してみましょう。
そう、羽の生えた天使の赤ん坊がいないんですね。
そもそもマドンナが抱いていた4人の赤ん坊はそれぞれ誰だったのか?ですが、制作者のアーサー・ドゥーリー氏によれば「マドンナが抱く3人の子供たちはジョン、ジョージ、リンゴ、そしてケルビム(天使)の子供はポールを表しています。ポールにはある明白な理由で翼を授けました」とのことで、もうお気づきですね?マドンナ像が完成・設置されたのは1974年、ポールは既にウィングスとして活動していたので、もう、そゆことでしょ。
いわばベイビーポールがいなくなったわけですが、それはなぜなのか?
盗まれたんですよ。
マドンナ像お披露目の翌1975年にベイビーポールは突如盗まれてしまったのです。Strawberry Fieldのゲートとかエリナー・リグビー像の項目でも申しましたが、なんでそんな銅像とか壊そうとか盗もうとか思うんでしょうかね?下手したら自分がケガするくらい頑丈なものなのに、それに立ち向かうエネルギーとモチベがほんと不思議。マドンナ像に至ってはこの高さですよ、究極ケガじゃ済まんのですよ。
ところがですね、このベイビーポール像、戻って来たのです!
2005年の夏、キャバーンクラブ主催のビートルズツアーを運営していたビル・ヘックル氏(現キャバーンクラブオーナー)は1本の匿名電話を受けます。受話器の向こうの男性は深い謝罪とともに、その昔ただのいたずら心でベイビーポールの銅像を持ち帰ったこと、銅像はその後ずっと自宅のガレージに保管していたこと、そしてキャバーンクラブの入口に銅像を置いてきたことをヘックル氏に告げたそうです。キャバーンへ向かったヘックル氏は店の入口でビニール袋に入ったベイビーポール像を発見、めでたしめでたし。この盗人男性の正体は謎のままですが、30年越しの贖罪を果たすために行政ではなくハックル氏に電話したのは正解だったと思いますね。
というわけで30年の時を経て無事に子供たちが4人揃ったわけですが、このベイビーポール像、せっかく帰って来たのに未だにマドンナの腕の中に戻されていないんですよね。詳細不明ではありますが、恐らくもう4人いるから今さらベイビーポール像を戻せないのではないか?との理由が考えられます。もっかい画像を見てみましょう。
4番目の子供は「LENNON LIVES」の文字がある通り、ジョンの死を受け追悼を込めてジョンを表す赤ん坊として1980年に追加で設置されました。ベイビージョン下方のプラークには「Imagine」の歌詞が表記されています。そこで以下のジレンマが発生しているのではないかと。
・ベイビーポールをマドンナの腕の中に戻せば赤ん坊は5人になるので成立しない
・だからと言ってベイビージョンを撤去するわけにもいかない
ということでベイビーポール像については続報もなく、どこか安全な場所に保管されているとは思いますが、事実上未だに行方不明。再び母なるマドンナに抱かれる日を願って、ベイビーポールが今どこかで歌っているかも知れませんね。
Stuck inside these four walls
Sent inside forever
Never seeing no one nice again
Like you, mama you, mama you…♪
またも余談ですが、この4人の赤ん坊を抱くマドンナ像、実はもう1体幻のバージョンが存在しています。同じくアーサー・ドゥーリー氏作のとても小さいサイズのもので、数年前まで全く世に出ていなかったのですが、Mathew Stにある正真正銘のビートルズ博物館Liverpool Beatles Museumにて2020年より展示されています。ぜひこちらも合わせてご覧になってみては?
⑥ジョン・レノン像
住所・ポストコード: 10 Mathew St, Liverpool L2 6RE
店名:Cavern Pub
検索ワード:John Lennon Statue - Mathew Street
Mathew Stの端にさしかかる頃に見えてくるのが1997年1月にキャバーンクラブのオープン40周年を記念して制作・設置されたジョン単体の銅像です。2015年により写実的なビートルズ4人の銅像が登場するまでこのジョン像が一挙に‟リバプールはビートルズの聖地”というシンボルを担っていた印象が強いので、リバプールと言えばこの銅像を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
ジョンの背後の壁はThe Cavern Wall of Fameと呼ばれ、1957年のオープンから今日までキャバーンクラブに出演したミュージシャンたちの名前がひとつひとつのレンガに刻まれています。こちらもジョン像と同時にお披露目となりました。
お披露目時にはミュージシャン名入りのレンガが1801個も積まれたそうなのですが、以降レンガは増えているんですね。今どれくらいなんでしょうか。1900個くらい?
余談ですが、このレンガ、増えることもあれば減ることもあるのですよ。ロック歌手のゲイリー・グリッターのレンガがThe Cavern Wall of Fameから取り外されたのは2008年のこと。彼は児童ポルノ所持、海外での児童買春など未成年への性的虐待による逮捕歴があったのですが、2008年ついに性犯罪者として国に終身登録されたのです。(登録されると海外渡航など一定の行動に関して機関の審査・許可が必須になる)その報道を受けてレンガを外せとの猛抗議がキャバーンクラブに寄せられ、やむなくレンガは取り外されることになりました。
当初キャバーンクラブは、罪とは別として、ゲイリー・グリッターがキャバーンクラブのステージに立った歴史的事実を示すという意味でレンガは残すという方針だったそうですが、被害者からの訴えもあったため、それはさすがに無視できなかったようです。また、世間の非難の声も大きかったのは、イギリスでは「未成年への性的搾取は凶悪犯罪だ」という社会認識が日本のそれと比にならないくらい圧倒的に強いからなんですね。日本の某芸能事務所社長の黒い真実に迫るドキュメンタリーをBBCが企画するのもそういった認識からなのでしょう。
ちなみにゲイリー・グリッターはレンガ騒動の後余罪が発覚したため再逮捕・収監されるのですが、模範囚だったこともあり刑期を早めて2023年2月に出所したそうです。
ところで皆様、このジョン像なんか違和感あると思いませんか?私、ふと思うのですが…
革ジャン着てるのに髪型が超モップトップって変じゃないですか?時代があってない!だってこの↑ジョンって、この↓ジョンでしょ?
銅像を制作する時この写真をもとにしているのは間違いないので、ますますリーゼントじゃないとおかしい!でね、調べました。でね、違和感の正体が判明しました。実はこのジョン像、オリジナルが存在していたのです。その像がこちら。
やっぱりリーゼントだった!!!!しかもめちゃめちゃアルバムジャケットを再現していていい感じ。ところが哀しいかなここでもバンダリズム発生。1999年12月初旬、頭部が何者かにより破壊されたことにより、モップトップの新しいジョンの頭が制作・差し替えられました。え?なんでオリジナルと同じリーゼントを作らなかったの?って思いますよね。これには銅像設置を提案したキャバーンクラブが地味に隠したがる黒歴史が存在していました。
当時のジョン像を知る地元民の話によると、リーゼントジョン像は似てなさ過ぎてかなり評判が悪かったそうです。ジョンだと誰も気が付かずに素通りされるどころか、建物のくぼみに佇んでいて通りから見えにくい位置にいたため、ふと通行人を脅かすこともあったとか。そこで、リーゼントジョンの頭部が破壊されて新しい頭が必要になったことを機に、モップトップに変更したんですね。そのため服装と髪型の時代が異なっている、というわけなのです。
銅像を制作した地元彫刻家のデイビッド・ウェブスター氏は頭部の再制作に際して「50年代(ハンブルク時代)のジョンの容姿で銅像を制作したのはキャバーンクラブの依頼でしたが、多くの人にとってのモップトップのジョンの方が印象が強いと思うので、私としてはこのスタイルのジョンをずっと制作したかったのです」とコメントを出しています。
評判が悪かったどころか人々に恐怖を与えたリーゼントジョン像を提案したのは、キャバーンクラブだった!この事実をキャバーンクラブはあんまり公にしたくないのか、リーゼントジョン像が存在していたことを積極的に表に出してないんですよね。いや、別に大々的に発表しなくても良いけど、隠してる感が否めないのがものすごい気になる…。
ちなみにキャバーンクラブが新しいモップトップ頭部の制作期間としてにウェブスター氏に与えた猶予はたったの2週間!というのもリーゼントジョンの頭部が破壊された日から数週間後にポールのキャバーン凱旋ライブが控えていたため、それにどうしても間に合わせてほしいとの懇願だったようです。ウェブスター氏も青春時代をキャバーンクラブで過ごしたリバプール市民の1人ということで、急ピッチで仕上げてくれたんですね。ウェブスター氏のアトリエを取材した貴重な映像がありましたが、ジョンだらけ。彼がモチーフのジョンについて語る様子からして、ジョンの顔の魅力に取り憑かれている様子が伺えます。そこに愛があるんやで。
John Lennon Statue - Sculptor David Webster
ウェブスター氏がキャバーンクラブのために作品を制作するのは実はジョン像が初めてではありません。詳細な時期は不明なのですが、おおよそオリジナルキャバーンの向かいに引っ越して再オープンした際、もしくは前出の Revolution clubがオープンした際(キャバーンクラブのメモリアルとして)と推測される時期に、ウェブスター氏は店内装飾用の超巨大レリーフを制作しています。でかいです。ものすっごでかいです。それがこちら。
現在は現キャバーンクラブの内部にて展示されています。ほんとにでかくて少し離れて見ないと全貌が分らずスルーしてしまいがち。ジョンの魔女っ鼻の作り込みが著しく見えるのは、やはりウェブスター氏のジョン愛が強いせいでしょうか。こちらが飾られているのは、平日・週末昼アクセスフリー、週末の夜はキャバーンクラブへの入場とは別でチケットが必要となるイベントルーム内です。この会場でビートルズトリビュートギグが毎週末行われているので、4人のそっくりさんを観に行く際にはぜひこの作品もお見逃しなく。
⑦Hard Days Night Hotel
住所・ポストコード: Central Buildings, North John Street, L2 6RR
検索ワード:Hard Days Night Hotel
いよいよMathew Stを抜けました。突き当りを左に曲がるとすぐに見えてくるのがHard Days Night Hotelです。ご存じ、世界初そして世界唯一のビートルズインスパイアホテルとして2008年にオープンしました。その外壁に4人の銅像が設置されています。ご覧のとおり高い位置にあるので一緒に記念撮影できないのが残念ですね。では、1人づつ見ていきましょう。
この像たちの最大の特徴は2点。なぜかみんなテンションが高い、そしてみんなソロ時代の姿がモチーフ、といったところでしょうか。前者はまぁ置いといて、後者に少々疑問が残るところです。満を持してリバプールに誕生するビートルズホテルの4人の銅像がなぜソロ時代モチーフなのか?⑥のジョン像作者のウェブスター氏もおっしゃっていたとおり、やはりザ・ビートルズの世界的なイメージってこれ↓じゃないですか。観光客向けにするならモップトップだと思うんですけどね。
誰もがビートルズと認識するモップトップ時代ではなく、ソロ時代の4人をモチーフにしたHard Days Night Hotel像の作者…それは何を隠そうデイビッド・ウェブスター氏だったのです!え、ジョン像作った時とスタンスちがくない?とも思いますが、これにはウェブスター氏なりの理由があったようです。
ホテルを建設していた当時、ホテル事業者が前出の⑥ジョン像をいたく気に入り、ぜひホテルにも4人の銅像を制作して欲しいとのことでウェブスター氏に依頼があったそうです。1体2mの人物彫刻を4人分、1年をかけて制作されました。ホテル開業直前のインタビューでウェブスター氏はソロ時代をモチーフにした理由をこう語っていたそうです。
というわけで、リンゴだけなんかふわっとしていますが、そういったコンセプトのもとソロ時代をモチーフにしたようですね。氏が「4人が幸せだった時期」と言っているのは、巨大になりすぎたビートルズというある種の呪縛から解き放たれてそれぞれの活動に専念していたことを指すのかも知れません。だから銅像みんなテンション高いんすね。
もしくは、④Cavern Walksビートルズ像よりも詳細なモップトップ像が今後制作されることを見越して敢えてソロ時代をモチーフにしたのでしょうか。だとすれば、世界的に見てもそれぞれのソロ像の4体セットというのはかなり珍しいですし、マレットヘアーのポール像なんかここでしか見られないと思うので結果モップトップ像でなくて正解だったと、大優勝だったと言えるのではないでしょうか。近くで見られない、一緒に写真が撮れないというのがほんとに残念ですけどね。
さぁ、ここまでMathew Stとその付近の銅像を見てきましたが、いかがでしたでしょうか。前編で述べましたが、リバプール初訪問時の2012年当時、ビートルズ生誕地を示す公共の記念碑・銅像は④Cavern Walksビートルズ像⑤マドンナ像しかなかったんですよ。銅像に期待を膨らませ過ぎていた私のせいでもあるかもしれませんが、シンボルが④⑤だけだとあまりにも淋しすぎると思いませんか?しかも②③④⑦は店舗装飾なので省くとして、それ以外は公共物なのに全て有志発案の銅像制作なんですね。ちょっとほんとこれどう思います?と、勝手にネチネチ言うとりますが、本当に本当にほんとぅぅぅに公共の銅像制作は行政主導では行えないとか、そういう法律とかあるのかしら…?
まぁ、ネチるのはこれくらいにしてMathew Stの雰囲気を以下動画、ストリートビューでお楽しみください。
Mathew Street Lockdown Walkthrough | The Guide Liverpool
ところで先ほどの話に戻りますが、本当にウェブスター氏がモップトップ像が今後制作されるという見通しを立てていたのだとすれば、これまた大優勝という結果を収めることになります。そう、2015年にビートルズ像の新しい銅像が設置されたんですね。もちろんモップトップの。ではその銅像を見るためにさらにマージ―川方面に歩みを進めましょう。後編へ続く。
●画像クレジットがないものは筆者撮影
●出典・参考