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祖父母が亡くなっていろいろなことを考えてみた

今年の1月に祖母が、3月に祖父が亡くなりました。
父方の祖父母で、彼らにとってわたしは初孫でした。
わたしが生まれてから従兄弟が生まれるまで10年開いているので、10年間わたしはたったひとりの孫としてたっぷり愛されてきました。

わたしが生まれる前に母の母、つまり母方の祖母が亡くなったのをカウントしなければ、身内が亡くなったのは初めてです。
祖母が亡くなる直前に、コロナ禍にも関わらず特例として施設に行き彼女に会ってきたのですが、その時は全く死というものを実感できませんでした。
祖母は話すことも、起き上がることもできなかったけど、しっかり呼吸をしていました。
だから、わたしは何もわかりませんでした。

その数日後に祖母が亡くなり、息子である父は手続きに追われました。
亡くなったと聞いても、わたしは悲しむことも泣くこともありませんでした。
お葬式があるけど、サロンでつけているネイルはどうしよう。ピンクにしている髪はどうしよう。
それしか考えていませんでした。

年始で葬儀場も火葬場も忙しかったのか、お葬式が行われたのは祖母が亡くなってから1週間たった日でした。
ネイルは外して、髪はピンクのままでお葬式に臨みました。
葬儀場に向かう車の中でも、葬儀場に着いても、わたしの心は落ち着いていました。

そんな時でした。
葬儀場のエントランスから、告別式が行われるフロアに移動した時。
祖母の笑っている写真が、参列者を迎えるカウンターに置かれていました。
それを見たら、涙が止まらなくなったのです。

わたしが来ると、いつも一緒に料理をしてくれた祖母。
大好きな春雨サラダとレモンティーを準備してくれていた祖母。
ふらっと遊びにきただけなのに、お小遣いだよと一万円を握らせてくれた祖母。
認知症が始まって、大学の入学祝いを2回も買ってくれた祖母。
いっぱい食べるでしょと、食べきれない分を全部わたしに寄越す祖母。

もう彼女は、この世にはいない人になってしまったんだと、その瞬間に感じました。

結局告別式が始まっても涙が止まらず、お別れの時間が来てもひとり涙を流し、火葬場で焼かれるまで鼻を啜っていました。

そしてその2ヶ月後に、祖父も息を引き取りました。

祖父を失ってわたしが一番に考えたのは、また悲しめるかどうかでした。

祖母の時と同様、祖父が亡くなっても、わたしは何も感じませんでした。
それより、祖母の時はあんなに泣いて参列者を驚かせたというのに、祖父の時は泣けなかったら白い目で見られるんじゃないか。
そんなことばかり考えていました。

前回と同じ葬儀場で葬儀がとり行われましたが、2ヶ月前に通った時のようにわたしは落ち着いていました。
いや、焦っていたかもしれません。いつまで経っても訪れない悲しみに。

葬儀場のエントランスホールに来ても、まだ涙は訪れませんでした。
わたしの焦りは頂点に達し、逆にこの後の昼食を楽しみにしていたほどでした。

そしてエレベーターで、告別式の行われるフロアに移動をしました。

前回と同じようにわたしたちを迎えたカウンターに、祖父はいました。

祖父は、笑っていました。

わたしの頬に、涙が流れました。

一緒に映画を見にいって、その帰りにオレンジジュースを買ってくれた祖父。
畳の部屋で一緒に飛び跳ねて遊んでくれた祖父。
電子辞書の使い方を教えてくれた祖父。
パソコンのワープロアプリに、わたしが来た日は日記をつけていた祖父。

彼もまた、いなくなってしまったのです。

涙が止まらなくなって、参列者も目を当てられなかったのか、4本しかない大きなゆりの花をお棺に詰める係をやらせてもらったり、遺影を持たせてもらったり、随分と手厚いお別れの時間を頂きました。

泣けなかったらどうしようなんていう焦りは、全く必要なかったのです。

長くなりましたが、これがわたしの、2023年初頭の大きな出来事でした。

そして、いろいろなことを考えたのです。

ずっと目を背けてきた、身内の死という事実、その時期。

わたしの両親も、きっとわたしより早く亡くなるでしょう。

その時、わたしはどんな心構えでいたら良いのか。

涙は出るのか。

もちろん泣く、泣かないに優劣はないですが、わたしにとって泣けるか泣けないかは大きな問題なのです。

昔本で、死者はツボを持っていて、その人のために泣かれた分の涙が入ったそれを持って歩くという内容を読んだことがあります。
これは、子供を失って毎日泣きくれている親に、涙が負担になるからあまり泣かないでと勇気づけるための話だった気がします。
わたしは子供を失ったわけではありませんが、祖父母もわたしが泣いた涙の分だけ重いツボを持つことになります。

きっと祖父母は、重いなんて一言も言わずに、そのツボを大事に持ってくれるんじゃないかな、と思いました。
先にも書きましたが、初孫で、ずいぶん可愛がってもらいました。
初めての外泊も祖父母宅だったし、遊園地にも、ピクニックにも、浅草観光にも、温泉にも行きました。
どんな時もわたしの味方で、いつも優秀だねと褒めてくれました。
食にうるさいのに、わたしが作ったきゅうりサンドを美味しいと食べてくれました。

ツボよりもっともっと重いものを、祖父母は持っていると思うのです。
だからそこにツボがちょっと増えたくらいでは、文句なんて言わないと思います。

生前のふたりは、よくツアーに参加したり、お出かけしたり、充実した老後生活を送っていました。
そんな仲の良かったふたりだからこそ、ほぼ同じ時期に旅立って行ったのだと思います。
もう病気などに囚われずに、自由に、楽しく過ごして欲しいと思います。
そしてたまには、わたしのことも見にきてね。

祖父母の次は、両親の死が待っています。
思いっきり重たいツボを持たせてやろうと、今からわたしは意気込んでいます。

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