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休学2ヶ月目、知らない高校で50分話してきた話。


私の休学がはじまって2ヶ月。

なんとしょっぱなから、月1のペースで人前でお話をする機会をいただいている。ありがたすぎる!!
1ヶ月目に大学で、2ヶ月目に高校でお話しすることができるなんて、思ってもみなかった。ほんとに嬉しすぎる。私に時間をくれた方々に全力で感謝!
なんで私が!?と思っても、大丈夫。伸び代は誰よりも多く持ち合わせてるから安心しよう。それにしてもありがたい〜〜〜!

私の中高時代を知っている人からしたら信じられないかもしれないけれど、私は基本的に人前で話をするのがあまり好きじゃない。あんなに「マイクが大好き!私をステージの上に立たせて!」って感じで同級生にも後輩にもイキリたおしてた(と自分では思ってる。お恥ずかしい、、)のに、実はずっと苦手意識がすごく強かった。それは、圧倒的に自分という人間に自信がなかったから。むしろ大人数の前で話すことで、なんとか自分の自己肯定感をキープしていたのかもしれない。うーーーん、自分のことながら不思議。JKってよくわかんない。

と、私の過去のよくわからない話は置いておいて、

休学開始から2ヶ月終了記念のその日、私はこれまでまったく縁がなかった地域のある高校でお話しする時間をいただけることになった。いただいた時間は50分。前日まで15分だと思ってたのに、、、(ちなみに母校では今後もこういった機会に恵まれることはまずないと思われる。適材適所って言葉がこの世にはあるらしい。)

高校時代のこと、進路選択のこと、今の大学に入ったこと、休学を決めたこと、、
私は全力で話したし、高校生たちはメモしたり、笑ってくれたり、深くうなずいてくれたり、それはそれはもう一生懸命に聴いてくれた。
しっかり質問もしてくれるし、悩みや迷いも打ち明けてくれるし、めちゃくちゃいい子たち!!!
話す前、一緒にいた人に伝染するくらい緊張してたことなんて、話し始めて30秒で忘れてた(がち)。50分なんてあっという間だし全然話し足りないね。

何より、もう彼らと3つも歳が離れていることに驚いた。
正解がないことに悩んで悩んで、いっぱい迷って、自分が置かれた環境に苦しんだり、隣の席のアイツと比べて焦ったり、落ち込んだり、ぜんぶつい最近のことのように思える。うんと昔のことのようにも感じるけれど。

悩めるってすごく素敵だなって感じた。

私は大学で、オープンキャンパスのスタッフとして働いている。そのとき、話をした高校生にはほぼ必ず「高校卒業までにどれだけ考えたか、だよ。」と伝えるようにしている。人生の進路というのは自分の選択がすべて思った通りにいくとは限らない。しかし、そんな自分の人生に対して、自分はどうなりたいか、この後どうしたいか、自由に考える権利はだれにも等しくそして無限に認められいる。

「あ、でもね、考えるだけでよくて、「これだ!」って答えを断定しなくてもいいの。結論を決めようとすると苦しくなるからね。」
って言葉を付け加え忘れないことも、オープンキャンパススタッフの大切な仕事。(私が勝手に考えてるだけ。)考えるだけでもう充分すぎるんだもん。

私は、日本にいて、よっぽどのことがない限り、環境によって人生の幅は狭まらないと思う派。どんな環境にいようが、自分の意志とそれに従って行動する勇気さえあればいつでも自分にとっての最大幸福にたどり着くと信じてる。(あくまで2019年6月4日時点)

大きな成長や学びのチャンスは、壁にぶち当たった時にやってくる。逆に恵まれた環境が学ぶチャンスを奪うことだってたくさんある。要するに、その人にはその人だけが見てきた世界があるし、その経験と価値観こそ何より一番価値があるものだから。今、1年くらい前に「宇宙で一番大切なのは、あなたの意見です。」って言われてはっとしたこと思い出した。いい言葉やなあ。

だからね、どんな選択をすることになっても大丈夫。ああやっぱ無理だってなったら環境を変えることだって意外と思いのままにできるんだよ。難しいと思ってることなんてほとんどが自分が作ってる虚像なんだから。

みんな(わたしも含めて)、自分で自分らしさとか生きる範囲決めがち。その範囲から出られなくなりがち。これがち。がっちがち。

私は自分で選んで今の大学、学部に進学することを決めた。
だけどふたを開けてみれば、入学後は大学やその友達といた時間よりもそれ以外の時間の方が長かった。しかも学部の授業よりも他学部の授業受けてる時間の方が多かった。まあこれは教職がおおきな理由だけど。あと居住先は半年で変わったし、さらに言えば、毎日必ず同じ家に帰ってくる必要もないよなあと思ってた。(今もそう。)

高校のときから薄々気づいてたけど、大学に入学してから、"同じ環境にいても生き方の選択は人それぞれ"だって強く感じた。
しきりに「置かれた場所で咲きなさい」って言う先生もいたけど、私はひとつの場所できれいに咲く方法を模索する前に、いろんな花壇や肥料の種類、先輩フラワーたちの咲き方を見てから自分の身を置く土壌を決めたいと思った。

特に今の時代は簡単に情報を入手できて、人と繋がることもワンクリックな広くちいさな世界の時代。いろんな働きかたが認められやすい時代でもある。私は、使えるものは使って、できるだけ楽しく気楽に生きたい。

私が自由に好きなように動けたのって、ずっといっぱい考えて生きてきたから。

でも、普段から余計なこと考えすぎちゃって無駄に悩んでネガティブになったり、この性格のせいで損してる!楽しめてない!ほんといや!って思うこともこれまでの人生でたくさんあった。
だけど考えちゃうものは仕方がないし、心底嫌になってもこれが私だし、ここまでくると自分の面倒臭さに愛おしさすら感じることも、ある。考えすぎた人生の貯蓄が自分の背中を引っ張って、手を引いてくれることも、ある。
ああ愛すべき考えすぎな自分。いつもありがとう。これからも仲良くやっていこうね。


と、このように高校生とのお話で私はまた自分と見つめ合い、高校生と悩みを共有し合ったのでした。生きてる限り迷いも不安もつきものだもんね。やっぱり悩めるって幸せ!!!

いい時間だった。。。

私は彼らの高校名以外の情報をほとんど知らない。声すら聞かないままお別れした子がほとんどだった。でも、私の話を熱心に聴いてくれた生徒たちのことを他人とは思えないというか、もっと話したかった。またどこかで会いたいと思う。
そしてそのときは、今度は私が彼らの話をじっくり聴く番だ。その日が楽しみでならない。

あの子はどんなことを考えて、何に迷って生きているんだろう。


おわり。



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ななみ
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