脱領土化した世界資本主義<帝国>への身構え・序説 ─誰が今の日本を売っていて、誰に買わせているのか

はじめに

 「ネットリテラシー」という言葉がある。インターネット全盛のこの時代、世間に溢れる情報を適切に取捨選択して、偏見や誤解をしてないか、正しく活用できているかといったことの能力である。
 さて、現在(いま)の世界に暮らすわたしたちは、どうなのだろうか。

中国でのサッカーW杯中継炎上

 2022年11月下旬、中国で大規模な反政府運動が起こった。もはや足かけ3年にもおよぶ、政府の徹底した「ゼロコロナ施策」によって、国民の鬱積した不満が爆発したものである。中国最大の経済都市といえよう上海ではロックダウンが続き、生産・販売・消費の活動が禁じられ、大都会の通りから人が消えていた。
 この間に、2021年東京オリンピック、そして22年には北京オリンピックがあった。だがそれらはいずれも、世界も大規模感染の最中にあり、無観客試合含め厳戒態勢のもとで開催されていた。ここまではいい。世界的にそうあって然るべきだったからだ。
 だが、2022年11月に開催された、サッカーのワールドカップは別である。もはや世界は「コロナ禍以降(ポストコロナ)」の局面に入っている。欧州では空港でさえ誰もマスクなど付けていない。これが欧米の「国際スタンダード」だ。

 そんななか、中国代表は出場こそ逃したが、人びとは観戦に食い入った。だから、すぐさま試合の中継映像をめぐってSNSが炎上した。
 炎上は開会セレモニーからはじまった。自分たちの日常とはかけ離れた、「密」で熱狂して叫ぶ観客が映しだされたからである。
 すぐさま熱狂シーンは画面に出なくなった。だがこれ自体が、火に油を注いだ。中国の民衆にとって、驚きのことではなかったからだ。

──ワールドカップは、コロナ対策が厳格だった2021年の東京夏季オリンピックと2022年の北京冬季オリンピックの後に開催された、はじめての、リラックスした対策雰囲気での最初の主要な国際スポーツイベントである。そのため、中国中央テレビのような各放送局は、北京において勘付かれる(look down on)かもしれないような*[1]可能性のあるものは何であれ、検察官が反応するために30秒〔ライブ中継を〕*[2]遅らせることを含む、お馴染みの(familiar)対抗策を講じざるを得なくなった。*[3]

 米国最大手の経済系情報発信メディア『ブルームバーグ(Bloomberg L.P.)』のウェブ新聞、11月29日付コラムである。民衆にとってこれはお馴染みだというのだ。
 日本人口の十倍以上、14億もの人口を抱える中国で、ワールドカップ中継がごっそりメディア統制されるというのは、にわかに信じがたいかもしれない。だが中国人にとってこれは、十分あり得る話だというのだ。
 厳格な長期規制に対する反発デモは、その前のウイグル自治区での火災や江東省での雑踏事故に端を発するが、国営中国中央電視台がサッカーの中継映像を操作していることは、さらにデモを煽ることでしかなかった。当誌はいう。「もはや〔コロナ禍は終わったかのような観客がいないという〕映像そのものが、メッセージなのだ」。
 この記事では、中国国内SNS上での投稿がピックアップされている──「カタール人がマスクを買えないなんて知らなかった」「ワールドカップでマスクをつけている〔観客〕なんて誰もいないはずだ。だって中国にいる人なら誰だって、世界中の人が〔コロナで〕死んだって知っている。だから私たち〔中国人は〕コロナのテストをちゃんと受けて、ロックダウンを続けるべきなんだ」(いずれもWeibo:新浪微博、中国の巨大ミニブログサイト)/「彼らは私たちと違う星に住んでいるの?」(WeChat:微信、日本でいうLINE)──このような皮肉タップリの投稿が溢れたという。

 とまれ、中国政府は、厳しいコロナ規制に抗議する激化したデモを受け、発生から1週間が経った12月4日、中国江南省を皮切りに、上海でも規制緩和をはじめた。PCRの陰性証明書をダウンロードしたスマホを提示しなくても、公共交通機関が利用できるようになった。*[4]

デモを先導する「若者の世代」

 この抗議デモにおいては、とりわけ大学生などの若い世代が注目されている。英国BBCニュースは12月2日付の新聞で、デモに参加する若者の声が取りあげた──「ちょっとほっとしている。私たちはやっと、長い間言いたかったことを言うために一つになれた」(BBCの取材に応じた若い男性)。「批判を恐れて声を上げないのでは、国民に失望されると思う」「清華大学の学生として、永遠に後悔してしまう」(北京の清華大学の女子学生)。*[5]

 そして中国の「白紙デモ*[6]」へ最も熱量を帯びて参加するのが若い世代であることの背景を、当誌は続いて次のように説明する。

──ゼロコロナ政策によって、人生の一番いい時間を奪われたと、この〔精華大学の〕女性は語った。彼女の世代は収入源や教育の機会を奪われ、旅行もできなかった。時にはロックダウンで数カ月にわたって閉じ込められ、家族と離れ離れになったり、人生の計画を遅らせたり諦めざるをえなかったりした。

 このデモにおける若い世代が担っている役割は、若くない世代には当然ながら「天安門事件」を彷彿させる。1989年、当時の鄧小平主席の中国共産党政府に対し、反政府デモが北京や上海など各地に広く展開した。そして民主化を求めた巨大な民衆の塊が北京の天安門広場に集まり、軍の鎮圧によって膨大な死者が出たという事件だ。
 この時もデモを繰り広げたのは、中国に新しい風を呼び込もうとした若者だった。

 若者こそが時代を変える。あるいは変えるべきなのだ。もしくは反対に、若者はやはり若気に至るものなのだ──だがこのように、「若い世代」を「若くない世代」が褒めたりスカしたりすることに、本稿の関心はまったくない。
 ここで言いたいのは次のひとつだ──日本においてこの中国を独裁的に統制された国だと見透かす(look down on)ポジションなど、まったくもって、ない。

「正しいネットリテラシー」の起点になるポジション in JAPAN

 予選リーグで強豪ドイツとスペインを破る(そしてほぼ同格のコスタリカに負ける)という偉業をやってのけた日本代表だが、日本のビジネス系総合メディア『JB Press』は、先述の中国中央TVで、サッカー中継がお馴染みに編集されることを次のように説明した。ベテラン記者が組織するソースだけあって、この記事は大手携帯キャリア「au」のポータルサイトや、YahooニュースはじめNiftyやLivedoorなど、さまざまな大手メディアにも掲載された。*[7]
 ウクライナ戦争勃発から1年が経とうとしているなか、ネット社会に暮らす日本の民衆が、メディアのどこに位置付いているか──このポジションを次の記事から考えてみたい。

──全世界から予選トーナメントを勝ち抜いた強豪チームが集まった。熱戦の模様は中国全土でテレビ中継されている/信じられないかもしれないが、今回出場はできなかった中国のサッカー人口は「2616万6335人」(FIFA公式サイト)。世界最大だ/中国の若者たちも連日、テレビに釘付けされている。また試合経過をネットでチェックしている/アジア代表の日本がドイツを破った時は、飛び上がって喜んだという。*[8]

 どうやら中国では、もはや若い世代は古い世代のように反日感情がないといいたいようだ。サッカースポーツという国境を越える世界の祭典において、中国の若者ならば国際感覚があり、スポーツを通じて同じアジアの日本を応援していると。そしてさらに中国の若者ならば、世界ではマスクを着用していないことなど、とっくに見透かしているのだと。

 この日本というポジションからの、中国の若者の対コロナの心境の「読み」には、中国の若者に対する一つの前提がある──長らく続いてきた中国共産党の政治体制を窮屈に思っていて、解放されたいと願っている、と。芸能、ファッション、国際留学、国境を越えた恋愛関係。もはや中国の若者も日本の若者も、同じ若者の世代として新しい繋がりを望んでいると。

 だがこの『JB Press』は引き続き、米国の政治関係誌『The Hill』におけるホワイトハウスの報道官の発言を引用する。だがだがこの引用は、『The Hill』が付した次の一文が省略されている。『The Hill』の原文パラグラフは次のようになっている。

──「わたしたちは、人びとが恐れることなく抗議する権利を有することを、きわめて明らかにしてきた」、だがCOVID-19のロックダウンに抵抗した中国市民に対する、米国のサポートおよび支援に関しては、一切のコメントを控えているようだ(would not)。*[9]

 ホワイトハウスは、この市民デモへの中国に介入に関するコメントがないではないかwould not──このように報道官の発言を評価する『The Hill』には、決して無垢ではない政治的意図が潜んでいる──中国の若者が抗議することは、みているだけの事実なのかと。
 『JB Press』の記事のように、中国の若者が中国政府に抵抗していることだけがニュースになっているのではないのだ。ホワイトハウスのコメントがないことそのものが、『The Hill』のニュースにしたかったことなのだ。

 そしてこの記事は、続いてブリンケン国務長官のNATO外相会議での発言に触れる。

──こと抗議行動──わたしたちがいま中国でみている抗議行動、イランやその他の地域で異なった理由でみている抗議行動である──ということになれば、わたしたちの立場とはどこであれ同じものである。つまりそれは、わたしたちは人びとがどこであれ平和裏に抗議をおこなう権利をサポートするし、人びとの見解、関心事、そして欲求不満を宣言するための抗議行動〔をサポートすること〕である」。このように長官は、二ヶ月以上におよび、イラン政府を揺るがした反政府抗議に言及して述べた。

 中国のデモに参加する若者たちを眺める日本人は、この米国の世論を介した土俵の上にいるのだ。日本人は、米国の外にはいないのだ。一人勝ちする米ドルとともに、「西側」(と冷戦時代の言葉を敢えて使おう)のリーダーシップを完全にとった米国が包む世界資本主義のなかに、『JP Press』の記事を読む日本人は居る。ここから自らを引き剥がした、世界におけるもうひとつの巨大な世界、ロシアや中国を見積もる(look down on)ポジションなど、ましてやどこにもない。

──南京の女子大生は当局に拘束されたが、白紙を手にした抗議者が各地に次々と現れた。白紙には「何かを書いても消される」ということを示し、言論封殺に抗議する意味があるという。(『産経新聞』2022年12月5日)

 この一文に誤りはない。だが、わたしたちが考えるべきなのは、この「正義」に織り込まれた不均衡な世界の力関係である。この一文が、冷戦時代での米国の長きラテンアメリカへの武力介入の正義そのものであり、米国が当然視した「わたしたち」の現在である。
 この「わたしたち」に日本人が入ることは自明だ。米国同時多発テロのあと、米国政府は、世界のテロは抹殺しようと「Show the Flag」と日本に囁いた。日本は湾岸戦争の二の轍を踏むまいと頑張った。

 アフリカ大陸のモロッコ代表は、ワールドカップ決勝第1回戦でスペインを負かしたあと、記念撮影で笑顔で集まり、パレスチナの旗を掲げた。世界三大通信社のひとつ『フランス通信社』は、フランス出身のモロッコ代表監督の会見を報じた。

 ──「私たちの後ろには国民、アフリカ大陸、アラブ世界がついている。大きなエネルギーがついている。できる限りのことをやる」*[10]

  一方でアメリカ大陸の南をみれば、かつて米国に反旗を翻したキューバやニカラグアに限らず、アルゼンチンや米国お隣メキシコといった経済大国も、明らかに米国から囲われることを拒み、中立を維持するという公式見解を発表している。*[11]
 だからもはや、アフリカ諸国や産油国諸国、ラテンアメリカ諸国は、冷戦時代から日本がべったりの「西側」には居ないのかもしれない。そんないまの世界で、中国を客観的に捉えるポジションなど、日本のどこに位置取れるというのだ。

 そして先の米国『The Hill』誌の記事は、ワシントンD.C.にあるシンクタンクの発言で閉じている。

──中国は、おそらくは世界で、最も洗練された監視と抑圧の機構を備えており、その抑圧のためのやり口は、きわめてよく発達している。*[12]

 あと半歩である。2001年米国同時多発テロを経たアフガニスタンへの米国軍事介入、そしてそのあとのイラクに対するそれを、まったく疑うことなく受け入れるまでは。

 アフガニスタンの民衆は、抑圧政権タリバンから解放されたがっている。
 中国の若者は、独裁化した中国共産党から解放されたがっている。

 わたしは、ここまで書いた中国のデモに関する記述に、何ひとつ旧冷戦期の「東側」の発言を使っていない。そしてここまでのわたしの叙述に、いかほどの違和感があっただろうか。「自由へと解放させる」。この思考の地平を見渡しながら、近代の世界ではいかほどの血が流れてきたのか。そして今もってなお、流れているのか。

 Goole LCCで、ヤフージャパンで。すなわち日本が合法的にアクセスできるインターネットの空間で、ロシアや中国について中立な情報のもとで議論をしていると言えるポジションなど、あるわけがない。

「スマホを正しく活用できていますか」

 わたしはよく大学で話をするが、先だって学生に「自分のスマホとの関係を見直してみてください」というレポート課題をだした。筆者のちょうど子供の世代といえる彼女ら彼らの、スマホへの認識を覗きたくなる話をしたからだ。
 返ってきた意見はどれも、「時間を決めている」「もっと依存状況を自戒しなければならない」といった、しっかりしたものである。

 わたしはよく、わたし自身がそうである団塊ジュニアくらいの世代が、満員電車に揉まれながらも必死で足を踏ん張ってスマホゲームに熱中している姿をみかける。「洒落たクツ履いて、高そうなカバンもって、それなりの社章つけて、それでこれかよ」と思う。
 そういう筆者も、座れて広げた最新Mac Bookのモニターには、ひっきりなしにSMSや新着投稿のアラートが飛び込んでくる。だから学生の回答は、わたしを含む団塊ジュニア以上の世代こそに突き刺さるべき意見だといえよう。ゲームウォッチからファミコンへ、スーパーファミコンからVRまで。『ドラえもん』や『ちびまる子ちゃん』を観ながらも、空き地や公園といったオフラインでの放課後を、デジタル世界へと移行させたからだ。

 この世代ギャップは、筆者の感覚というものではない。ひとつ例を取ろう。社会がデジタル化されて、いいカモになっているのは若者ではなく中高年なのだと。

 2014年、アップルミュージック(iTunes)が、アイルランドのロックバンドU2のアルバム『Songs of Innocense』を無料配信した。先着限定5億人にである(実際に入手したのは約8000万程度)。
 これはたちまち若い世代で問題になった。勝手にアップルミュージックを介して、興味も無い音源が勝手にデバイスの容量を喰ったのだ。そして削除できない。ネットには「U2・削除・できない」といった検索が相次いだ。どうやらVol.のボノが、Appleのスティーブ・ジョブズと面識があったらしい*[13]。

 U2とは、団塊ジュニアの世代にはとりわけ、「洋楽」を代表するバンドのひとつだ。そして「宗教紛争に反核運動に反アパルトヘイト、薬物依存対策、アフリカ貧困救済、アムネスティ、エイズ対策プログラム支援」*[14]──とにかくチャリティーに名を連ねる慈善バンドでもある*[15]。
 もう少し詳しい人は、デビュー当時、アイルランド出身ということもあってか、ライブには大きな白旗を掲げ、多民族共存や反戦を訴えるといった、社会性・政治性の強い印象があろう。「硬派」な洋楽ファンの、支持する熱にはすごいものがあった。

 だがそんなこと知らない若い世代の人たちには、迷惑極まりない無料配信である。そしていくら批判を浴びたところで、U2には間違いなくメリットしかない。案の定この次作『Songs of Experience』(2017)は全米チャート1位を獲得し、ロック史上初の10年期四連続(1980年代〜)No. 1アルバムを出した伝説バンドとなる。どうやらグラミー賞を22回取ったバンドは、ロック史上にはないらしい。

誰が誰のための苦労をしているのか

 日本で、次々とリメイクされる昭和のアニメや映画。完全に昭和で一世風靡した歌手のモノマネ大会やカラオケ合戦。完全にジジババ向けの温泉旅番組。高価なグルメ食レポ。高齢政治家の絶滅しないセクハラ発言──どれもこれも、「貧乏しか知らない」*[16]若い世代を完全に無視したようなコンテンツばかりである。それでいて間違いなく、団塊ジュニア以上が完全な社会の荷物になっても、若者の世代から徴税する社会は変わらないだろう。

 あたりまえである。少子化で子育てを終えて、バブルのツケだけを残してリタイアしゆくこの世代こそが、これから数十年は、最もお金と時間を持っている集団だ。

 だから本稿、次章からを筆者は、少子化と円安からはじめた。残念だが目下、日本のこれからの世代に用意されているのは次の二極だと思えて仕方がない──外貨に対して目減りする日本円を抱えて天寿全うを待つか、海外に流出するか。   
 それがいやならば延々と、ジリジリと確実に増えゆく出費と、一層厳しくなる国内労働市場に、ただただ耐える人生しかない。それでも死んで抜け勝つ団塊世代は言うだろう──わたしたちはもの凄く働いて戦後高度成長をうみだしたと。それを見倣って団塊ジュニアは言うはずだ──わたしたちはもの凄い競争社会を生き抜いてきたと。

 オトコは社畜となって吐くまで営業接待で酒を飲み、オンナはひたすら夫の両親まで世話してきたと。イジメや暴力やセクハラはアタリマエだったと。

 次の世代は、そんな未来など真っ平ゴメンだと知っているはずだ。それは絶対に間違ってはいない。コロナ禍までのニュースは確か「ネットでも話題の」ことだった。それがいまや「ネットで話題の」ことばかりだ。この日本社会に飛び交っている情報は、いったい誰が「足で稼いで」発信しているものなのか。

 この社会をつくってきたのが、本稿「2.」で取りあげる動画の登場人物だ。本当に考えるべきなのは何なのかを、考えてもらいたい。
 奨学金の利子、給料を手にするまでに引かれる洒落にならん直接税、値上がるサブスクや端末といったインターフェイスの料金。
 チェーンレストランから大衆居酒屋、コンビニ弁当からビックマックまで、いったいそれらを購入し楽しむ毎に強いられる神経痛のような微細な痛みは、いったい誰の為に耐えているのか。

 とはいえ間違わないように。なにもわたしは、世代間の摩擦を煽ろうというのではない。誰が悪いとかいった、特定の人間を論じたいわけではないのだ。だからといって誰もに責はない、つまりは社会や時代のせいだというつもりも、まったくない。

日本将来を占うために不要となったラテンアメリカという「教科書」

 誰もが皆、自分で自分の首を絞めている。生きるなかで、グローバルに展開する現下の世界金融資本主義を介すその都度にである。インターネット空間を縦横無尽に支配するそれを介す総てのアクションを、洗いざらい点検すべきなのだ。

 なぜ銀行金利がゼロのまま、高校の教科書にまで「NISAやiDeCoをやりましょう」とあるのか。なぜ大学のレポート作業をしてるのにワケのわからん「お勧め商品」が広告されるのか。

 わたしたちがいま正視すべきは、この「ポイントラッキー当たりくじ」から兆円規模のトレードに至るまで、何の現物も現金も精算することなく、ひたすら負債や債権、権利借款しかも期限付き(もちろんサブスクも含まれる)を重ね重ねゆく、「負債の資本主義」である。そこを最も安住の地にした、世界金融資本主義の<帝国>である。

 これに正対する身構えの準備には、この世界資本主義の周辺こそが格好のヒントの宝庫となる。かつて「第三世界」といわれ今では「途上国」といわれる地だ。なぜならば、こうした地に生きる人びとこそが、世界資本主義システムが不可避に強いる「ツケ」を一手に背負ってきたからである。こうした資本主義の矛盾を生き抜く人びとこそが、これら諸問題の乗り越え方や生き延び方に関する、豊穣な経験と知恵を持っているからだ。

 わたしはラテンアメリカ地域研究を専門としている。この2022年夏までは、ラテンアメリカの同時代史を勉強することの重要性は、この理由ゆえだと話してきた。
 だがたったの数ヶ月である。たったの数ヶ月──わたしが夏休みにメキシコに現地調査に行って帰ってくるその二ヶ月でだ。
 帰国してみればそこには、ラテンアメリカが長らく耐えてきた経済大国への被従属経済そのものへと向かう社会があった。そしてその詰みゆく日本が起死回生を託したと言わんばかりの熊本経済に、寸分違うことのない被従属経済の完成形をみつけた。
 秋に授業がはじまっても、いちいち現在の資本主義の問題点を説明するのに、つまり被従属の厳しい経済構造を具体的に明示するために、ラテンアメリカを教科書にしなくて良くなったのである。



[1] 本論において傍点部は、断りがない限り地文引用文問わずすべて筆者によるものである。

[2] 本論での亀甲弧は、地文引用文にかかわらず、すべて筆者による。

[3] (“FIFA fans without masks pose dilemma for Chinese TV”, Bloomberg, Nov. 29, 2022, https://www.moneycontrol.com/news/trends/sports-trends/fifa-fans-without-masks-pose-dilemma-for-chinese-tv-9617601.html、2022年12月9日閲覧)

[4] 「中国でコロナ規制緩和の動き拡大、デモ発生から1週間」『REUTERS』、2022年12月5日(https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-china-idJPKBN2SO0J3、2022年12月10日閲覧)

[5] フランシス・マオ「中国で若者たちがデモを先導、その動機は」『BBC News JAPAN』(https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-63831677、2022年12月9日閲覧)

[6] このデモが「白紙デモ」と言われるのは、そこに何らかの限定された特定のメッセージを込めて逮捕されることを避ける、白紙であること自体が既に言論や表現の自由が奪われていることへの意義であるといった意味が込められている。(「中国コロナデモ、白い紙が抵抗の象徴に 名門大学など異例の広がり」『REUTERS』、2022年11月28日、https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-china-protests-idJPKBN2SI05D、2022年12月10日閲覧)

[7] 『au Webポータル』(https://article.auone.jp/detail/1/4/8/85_8_r_20221202_1669930652518244、2022年12月8日閲覧);『YAHOO! JAPANニュース』(https://news.yahoo.co.jp/articles/930f89f363b08e41f03b3a8834764a99926c5ede/comments、2022年12月15日最終確認);『@niftyニュース』(https://news.nifty.com/article/world/worldall/12114-2022742/、2022年12月21日閲覧);『(livedoor)NEWS』(https://news.livedoor.com/article/detail/23302905/、2022年12月21日閲覧)

[8] 「ワールドカップが引き金、中国の白紙デモに米政府も右往左往 ──ロックダウンの中ノーマスク観衆を観た若者が怒り心頭に」『JB Press』、2022年12月2日、日本ビジネスプレス(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/72940、2022年12月8日閲覧)。

[9] “Biden treads lightly in response to COVID protests in China”, The Hill, Nov., 29 (updated on 30th), 2022. (https://thehill.com/homenews/administration/3755371-biden-treads-lightly-in-response-to-covid-protests-in-china/、2022年12月9日閲覧)

[10] 「モロッコ、アフリカ大陸の応援を背にカタールW杯4強目指す」『AFPBB News』2022年12月10日(https://www.afpbb.com/articles/-/3442797、2023年1月3日閲覧)

[11] 大串和雄、2022年「ラテンアメリカ諸国から見たウクライナ戦争」『TOKYO COLLEGE Working Paper Series』東京大学国際高等研究所東京カレッジ、1-17ページ

[12] 発言は、新アメリカ保障センター、インド太平洋上席研究員(Senior Fellow for the Indo-Pacific Security Program at the Center for a New American Security)のもの。

[13] 市川哲史、2014「X JAPANはU2よりも27年早かった!? 市川哲史が明かす、無料配信にまつわる秘蔵エピソード」『Real Sound』(https://realsound.jp/2014/09/post-1408.html、2022年12月8日閲覧)

[14] 市川、2014年、前掲書

[15] エチオピア飢餓災害の際に結成され(1984年)、英国・アイルランドの有名ロックバンドたちによる「バンド・エイド」(作成曲「Do They Know It’s Christmas?」)の中心的バンドでだった。

[16] わたしの授業の学生のリアクションペーパーから。とりわけ、明治学院大学の「社会科学概論」および「質的データ分析」の受講生(2022年度)および、龍谷大学での三学部合同の招待講演(2022年11月16日)での受講生には、多くの示唆を受けた。ここに記して感謝したい。

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