見出し画像

畠山重忠と同じ「死ぬどんどん」の犠牲者、稲毛重成

 毎回のように誰かが権力闘争の犠牲となり、いわれなき死を遂げる。SNSでは朝の連続テレビ小説をもじって「死ぬどんどん」の異名がついた『鎌倉殿の13人』。9月18日放送回では、鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』が「譜代勇士、弓馬達者、容儀神妙」とほめあげた坂東武者の鑑(かがみ) 、畠山重忠(1164~1205、演:中川大志さん)が謀反の疑いをかけられ、殺された。

読売新聞オンラインのコラム本文

↑読売新聞オンラインに読者登録すると全文がお読みになれます

上総広常を上回る理不尽さ

 ドラマで理不尽な 誅殺(ちゅうさつ) が目立つようになったのは、4月17日放送回「足固めの儀式」で、有力御家人の上総広常(かずさひろつね) (?~1184、演:佐藤浩市さん)が謀反人の汚名を着せられ、源頼朝(1147~99、演:大泉洋さん)の命を受けた梶原景時(1140?~1200、演:中村獅童さん)に“公開処刑”されてからだろう。

 だが、重忠の死の理不尽さは広常を上回る。広常にも謀反の意思はなかったが、頼朝が京都の朝廷に近づくことに反対し、「関東ファースト」を求めるなど、頼朝の路線を否定するところがあった。それに対して重忠は、武勇、人格、識見などが申し分ない上に、頼朝に忠実に従っていた。
 その重忠になぜ謀反の濡れ衣を着せられたのか、コラムでは“史実”に基いて振り返っている。史実がカッコ付きなのは、ドラマ主人公の北条義時(1163~1224、演:小栗旬さん)のこの時の動きを正当化するため、『吾妻鑑』に相当な脚色がある、とみる向きが多いからだ。

途中から陰謀の主役は義時に?

 執権で義時の父、北条時政(1138~1215、演:坂東彌十郎さん)は、時政の後妻、牧の方(生没年不明、演:宮沢りえさん)の告げ口に振り回され、暴走してしまった感は否めない。だが、そのきっかけとなった一粒種の北条政範(まさのり)(1189~1204)の毒殺と、重忠の嫡男、畠山重保(?~1205、演:杉田雷麟さん)がそれを通報したという話はドラマ上のフィクションだ。時政が政範の死に関して畠山氏を恨む理由はなく、牧の方に讒言されても真に受けるとは考えにくい。

政範の遺品を見て憤怒を募らせる牧の方(『畠山重忠:少年武士の鑑』国立国会図書館蔵)

 となると、畠山の乱は時政夫妻の言いがかりが発端だったとしても、途中から義時による「畠山潰し」、さらには「時政排除」の陰謀に性格を変えたと考える方が自然、ということになる。

薄字は畠山の乱発生時には故人。赤字は女性

とばっちりで殺された稲毛重成

 主犯が時政か義時かはちもかくとして、この事件にはもうひとりの被害者がいる。時政の娘婿で、重忠と同じ秩父党のメンバーだった稲毛重成(?~1205、演:村上誠基さん)とその親族だ。ドラマで描かれた通り、重成は「今回の畠山重忠との戦を仕組んだ」という言いがかりをつけられ、「捨て石」となって殺された。殺したのは時政(実は義時?)の命を受けた三浦義村(1168~1239、演:山本耕史さん)だった。

 重成も悪人ではなかった。妻だった時政の娘は既に亡くなっており、重成はその供養のために相模川に橋を架けている。その橋の落成式の帰りに頼朝が馬から落ちて急死したいきさつは、ドラマでも描かれた通りだ。

スーパーの店名に名を残した重成

 ちなみに稲毛氏の居館は桝形城(川崎市多摩区の生田緑地)にあった。東京の多摩地区や神奈川に多くの店舗を持つスーパー「いなげや」は、創業者がこの一帯を支配した重成にあやかろう、と店の名前にしたという。

いなげや三浦三崎店。歴史のめぐりあわせ的にはすごい店

 いなげやの公式ホームページには「店名は鎌倉時代に(創業者の猿渡)波蔵の出生地一帯を統治していた豪族、稲毛三郎重成侯にあやかったものです」と記されている。千葉市稲毛区とは無関係で、むしろ東京都稲城市に関係があるわけだが、人望と統率力があったからこそ、稲毛の名が残ったのだろう。

  強引な時政の重忠・重成討伐は自身の失脚につながる。その「牧氏の変」についてもコラムで書いているので、お読みいただきたい。

 畠山の乱は和田合戦などに比べて知られていないが、「武士の鑑」の悲話という要素のほかに、義時の権力奪取、その後の承久の乱のきっかけにもなる節目のできごとだったと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?