「人生なんてさあ……」言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十八)丸山健二
標高が七百五十メートルだからといって、この地の夏が格別涼しいというわけではありません。
内陸性気候の特徴で、確かに湿度は低く、海辺のむしむし感と比べたらまだましとはいえ、たびたび発生するフェーン現象のせいで気温が都市部のそれを上回ることも珍しくないのです。「信州って意外に暑いんですね」などと客にからまれても、「そうなんですよ」のひと言でさらりとかわすしか手がありません。
冬は雪と低温に支配され、夏は夏で世間が想像する以上の高温に見舞われるとなると、当地の生活環境がなんだか馬鹿馬鹿しい限りに思えてくるのも無理からぬ話でしょう。
端的に言いますと、絶景の空間というのは過酷な自然の証明にほかなりません。確かに、旅行者の目を通したそれは一服の絵そのものであるでしょう。ですが、地元住民が肌に直接感じる思いは綺麗事では済まされず、いくら慣れているとはいえ、やはり闘いを強いられる現実には動かしがたい重圧が付き物です。とりわけ老いが深まってきた者にとっては、いかんともしがたい圧迫感を撥ね返すための、体力の減少を補う気力が必要で、その気力を補佐する虚勢が否も応もなく求められます。
そうです、虚勢です。空威張りです。年寄りの冷や水です。
しかし、そのためにはある程度の体力を持ち合わせていなければなりません。今のところはぎりぎりでも完全に失われてはいない底力をなんとかやり繰りして高齢者らしからぬ営みをつづけていますが、はてさてこの先いったいどうなることやら……。
先のことなど案じても仕方がないとうそぶいて澄ましていられたのは、もうずっと前の、たぶん五十代の頃までだったでしょうか。だからといって、救いの材料が完全に消えてなくなったわけではありません。
俗に言われるところの〈天然の性格〉、幸いにもそれを見事に備えた妻と、現在という時間の観念しか持っていないタイハクオウムのバロン君こそが頼みの綱なのです。その両者が日々そばにいてくれるだけで、くよくよした気分の半分以上が和らげられ、あとの半分は庭を埋めている草木の息吹が忘れさせてくれます。
「人生なんてさあ、本当はそう重く受け止める値打ちもないんだよ」とのたまうのは、余命いくばくもないイタヤカエデの大木です。
「思い通りの末路を迎えられる人間がどれほどいると思う?」と訊いてくるのは、マイナス十度以下の気温が危険ゾーンのせいで黄金時代を迎えられそうにない、アメリカナツツバキです。