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「あの世へ持ってゆく花」言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(三十七)丸山健二

 葉っぱだらけになってしまった夏の庭を彩ってくれるのは、各種のユリです。

 テッポウユリ系よりもクルマユリ系が好きで、オリエンタルリリーの括りで販売されているド派手なユリも、使い方次第で新鮮な驚きと感動をもたらしてくれるために厳選したものを少々使います。

 しかし、所詮はオニユリやヤマユリといった自然系の引き立て役でしかありませんから、さほどの思い入れがなくても、美の基準に適合している場合に限り植えるのです。

 特定の花への愛着は、色や形のほかに、郷愁といった要素も欠かせない条件で、少年時代に山で出会ったその花が胸のどこかに焼き付いたまま、いつしか精神的な宝にまで昇華されているのです。

 たとえば風に揺れるコスモスの花にそれを感じている人は少なくありません。あるいはヒマワリ、あるいはまたアサガオ、そして黄色い小菊などが素晴らしい香りといっしょに深々と記憶に刻まれていたりします。

 とはいえ、自分の庭へ取りこみたいと思うのはユリの仲間が主で、ほかは寄せ付けません。思うに、床しさを突き抜けてしまう切なさが付き纏っている花だからではないでしょうか。

 妻は子どもの頃、父親が畑で栽培した、当時はまだ珍しいグラジオラスやダリアを抱えて帰宅する途中、注目の視線を浴びたことが忘れられないようで、今でもときどきその話をして懐かしがります。だからといって庭にそれを植えてほしいとは言いません。ほかの思い出と重なって胸苦しさを覚えるからでしょうか。

 クルマユリ系でなくても気に入りの野生種がいくつかあり、試しに植えてみたのですが、やはり環境が適していないらしく病気や虫にやられて全滅しました。そして辛うじて残ったのがタキユリで、名の通り滝のように茎をしならせて花を咲かせる風情はまた格別なのですが、残念なことに数を増やしてくれません。

 近年タキユリは絶滅危惧種に近い扱いを受けているという噂を耳にしました。「さもありなん」のひと言で自分を納得させたものです。

 面白いのは、タイハクオウムのバロン君が大型のけばけばしいオリエンタルリリーに異様な関心を寄せて大騒ぎをすることです。熱帯雨林の花を知っているはずもないのに、どぎつい色と形状に潜在的なノスタルジーを刺激されて原始的な血の騒ぎでも覚えるのでしょうか。

「どの花の思い出をあの世へ持ってゆくつもりなのか」とカノコユリに訊かれました。

「あっちへ行けたら、そこでまた新しい花を探してみるよ」と私は答えてやりました。

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