古いくまのぬいぐるみ
久しぶりに小説を書こうと思った。お題はランダムな単語を三つ引いてそこからもらう。
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家族には良い思い出がない。
父親には「お前の幸せなんかどうでもええんねん」と言われ、僕は胸倉を掴まれて壁に押し付けられながら、こんな酷いこともあるんだな、と半分他人事のようにその光景を眺めていた。
家を出ると決めて、だから老後の面倒は見れそうもない、と伝えると母は「今まで何のためにあんたを育ててきたんや!」と怒り出した。たまに優しいときもあったのに、動物のように喚く声を聴きながら、いよいよ何の後悔もなくなった。
かくして家を出て、何年か経ち、肉親はいなくてもどうにか気楽に生きている。彼らが今生きているのか死んでいるのかすらわからない。妹が結婚したと風の噂で聞いたが、どうしてあの家に育って自分も家族を作ろうと思えるのか本当に不思議である。
祝いはしないが呪いもしない、彼らの幸不幸はどちらでも良いから、これからも自分と関わらないでいてくれるようにとだけ祈っている。
ある日、家に帰ると宅配便の不在票があった。何か頼んだ覚えはない。後日受け取ってみると、でかい段ボール箱に、確かに自分の名前と住所が書いてある。差出人は知らない名前で、住所も見覚えが無い。
なんだろうか、と開けると、中身はでっかいくまのぬいぐるみだった。ちょうど両腕で抱えられるくらい、なんとなく温かみがある。
よく見ると、綺麗だがどうも新品ではない。ところどころ色褪せている。
一緒に手紙が入っている。古くてほとんど読めないような字だ。誰から? 名前にも見覚えはない。
どうにか読むと、だいたい以下のようなことが書いてあった。
差出人はどうやら、自分の母方の祖母の友人らしい。このぬいぐるみは自分が生まれたときに祖母が買ったもので、会えない自分の代わりのように、いつも居間に置いて大事にしていたと。自分が受験だと聞いたらぬいぐるみに話しかけて祈り、自分が怪我をしたと聞いたらぬいぐるみを撫でて慰めてくれていたと。私が死んだらこれを孫に送ってほしい、と遺言を残していたので、その通り送ります。……とのこと。
母の実家は遠い田舎にある。物心つく前に飛行機で一度行ったはずだが、記憶はあいまいでセピア色にぼやけている。顔も声も思い出せない。祖母がいたことも今まで忘れていたし、亡くなったことも今知った。
上手に悲しむだけの土壌もないが、それでも自分の幸福を願ってくれる人がいて良かったな、と少し泣きそうになってしまった。生きている間に会いに行けば、抱きしめてくれたりしたんだろうか。十代のころに会いにいけば、家の話をしていれば、かわいそうだねとしわしわの手で頭を撫でてくれて、甘い果物でも食べさせてくれたりしたんだろうか。
ありもしない思い出を空想して、少し救われたような気がして、手紙を畳んだ。これは大事にしまっておこう。
この「祖母の友人」の名前も住所も知らない、この人がどうやって自分の家を調べたのかは全く謎である。が、そんなことよりこのぬいぐるみである。でかくて困る。
まさか捨てるわけにもいかない、かといって置く場所はない。とりあえずベッドに置き、一緒に眠って数日を過ごした。
ある朝寝相が悪くて、身体を起こすときにぬいぐるみが下敷きのようになってしまった。自分の肘がぬいぐるみの腹に思いっきり刺さり、柔らかい感触がした。うわごめんね、とぬいぐるみにか祖母にかわからないが何か謝りながら、置き場所を考え直さなきゃいけないかもなと思った。
その晩、仕事に疲れて帰ってきて、夕飯を食べながらぬいぐるみを眺めていた。
今日は体調が悪くて職場で腹を壊しており、トイレに籠りながら世界全部を呪いたいような気持ちになっていたが、こうしてくまのぬいぐるみと一緒に夕飯を食べていると何か心が癒される感じがする。よく好きなキャラクターの小さいぬいぐるみと一緒に外食したり旅行したりする人がいるが、少しだけ気持ちがわかったかもしれない。
また数日は部屋の片隅にぬいぐるみを置いていて、ほんのり癒されながら過ごしていたが、やはりでかいなと思い、結局押し入れに仕舞うことにした。何かのお守りのように、心の片隅に大事にしていよう。
さて家族には良い思い出がないと言ったが、唯一血筋に関しては少しだけ感謝している部分もある。例えば親知らずが全部綺麗に生えてくる。例えば怪我や病気をしづらく、しても治りが早い。例えば疲れにくく、きつい運動をしても一晩眠るとだいたい元気になっている。
特に身体が丈夫なのは助かっている。意外とふとしたときに、遺伝的にはまあ悪くない生まれなのかもな、と思わされることがある。
それがここしばらく、どうも体調が悪い。ずっと頭痛があり、咳き込んだりしている。別に最初は些細なものだったのが、だんだん少しずつ悪化しているような気がする。熱はなくて風邪ではないようだが、原因がわからずいろいろ調べ回り、三か月くらいして、ハウスダストアレルギーというのが近いのではと思い、部屋が埃っぽいのがいけないのかな、と掃除でもしてみることにした。
雑巾のひとつでもあったはず、と押し入れを空けると、あのぬいぐるみが押し入れの物々に押されてひしゃげている。大事に袋に入れておいたはずなのも少し開いて、ほんのり埃を被ってしまっている。
いけない、とひしゃげた頭を直してやって、汚れも綺麗にした。押し入れも良くないかもしれない。でかいぬいぐるみとは意外と難儀なものだ。
部屋掃除も済ませて、久しぶりにぬいぐるみと一緒に眠った。何となく何かに守られているような気がして、その日は父の夢も見ずに熟睡できた。
翌朝起きると気分が良い、仕事を済ませて家に帰り、やはり体調が良くなっている。部屋を掃除したせいか、ぬいぐるみと一晩寝たおかげかはわからないが、ともかく治ってよかった。ぬいぐるみはもうしばらく部屋に置いておくことにする。世のでっかいぬいぐるみユーザーの人たちは一体どうしているのだろうか。ベッドの一角を占拠された状態で、一緒に過ごすしかないのだろうか。
それから一年くらい経った。
ハウスダストアレルギー(らしきもの)の件以降、どうにも体調が良くない。なんとなく身体がだるかったり、目がかすむような気がしたり、怪我の治りが遅かったりする。昔はどんな怪我も跡が残らないくらい綺麗に治ってたのに、今は半年前にぶつけた足の指が未だに痛む。
人に相談したら、その年齢ならそういうもんだよ、と言われてしまった。足の指はヒビ入ってるかもしれないから病院行きなよ、とも。そりゃそうなんだけど、そうすると自分の老いを認めるようでどうも許せない。もう若くないのは事実なんだけど。
ふとぬいぐるみが目に入った。もうインテリアのように部屋の片隅に置かれている。ほんのり埃を被っているのを払うと、なんとなく最初に見たときよりさらに色褪せているような気がした。人も老いるしぬいぐるみも朽ちる。ずっと何も失わないでいるのは不可能だから、失うと同時に何かを見つけにいかなきゃいけない、居場所はいつか出なきゃいけなくて、しがみつくよりも新しい役割を引き受けなくてはならない。
でもぬいぐるみは捨てるわけにもいかないよな、と思い、洗ってやることにした。ぬいぐるみを洗うのなんて初めてだ。
叩いて埃を出して、薄めた洗剤で拭いてやり、干す。一日乾かすと、来たときのように綺麗になった。
よく見ると足先の布がほつれて、綿が少し出ている。これも直してやろう。小学生のころの裁縫セットを……と押し入れを探そうと思ったが、家を出るときに持ってきてないんだった。仕方なく手芸屋で一番安いものを一式買い、下手な縫い方だが直してやった。
綺麗になったぬいぐるみを部屋の片隅に置いて、眺める。祖母もこうやって定期的に洗ってくれてたんだろうか。
顔も声も仕草も思い出せない祖母のことを考える。写真も撮らせないから大きくなってどんな姿をしているのかもわからない孫のことを考えながら、祈り、幸せを願ってくれていた祖母のことを。
自分が生まれたときに買ったんなら、もう相当昔のもののはずだ。そうは見えないほど手入れされている。よく見ると目立たないように縫った後がいくらかある。自分がやった他にもほつれて縫い直したところがあるんだろう。
翌朝起きて、嘘のように気分が爽やかだった。足の指ももう痛まない。
田舎の空気は済んでいると聞くが、祖母の済むところもそうだったんだろうか、と考えながら仕事を終えて、ぬいぐるみにただいまを言う。疲れもなくて、乾いたような落ちついたような、退屈なため息がほうっと出た。
なんとなく捨てずに置いていた段ボールの、差出人の名前を見る。住所は飛行機で1時間半、行けない距離ではない。知らない人だけど、向こうも僕を知らないだろうけど、会ってどうするのかはわからないけど、この人も永遠に生きてるわけじゃないんだよなと思った。
残りの有給を数えて、チケット代を勘定して、まだ迷い、ぬいぐるみを眺める。好きにしなよ、と言っているように見える。行くにせよ行かないにせよ、君の決めたほうが正しい道だよ、と言っているように見える。まだ心は決まらないけれど、どっちを選んでも後悔しないような気がする。